“コンビニの父”の功績を改めて――

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 セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問の鈴木敏文氏が亡くなった(享年93)。私はローソンで22年間、店長やバイヤー、商品開発者として働いたが、1990年に入社した頃、コンビニは既に「形」ができていた。それはすべて、鈴木氏が率いたセブン-イレブンが作った形だった。追悼の意味を込めて、私が思う鈴木氏の功績を改めて振り返ってみたい。

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「常識破り」の発想と発送

  1974年、セブン-イレブン日本1号店を東京・江東区にオープンした当初、店舗には1日約70台の納品トラックが来ていたという。牛乳、パン、飲料、菓子といった商品をメーカーごとに個別配送していたためだ。およそ15分に1台のペースで車が来ていた計算になる。

“コンビニの父”の功績を改めて――

 そこで鈴木氏らが推し進めたのが「共同配送」だった。ライバルメーカーの商品を同じトラックに載せるという、当時の流通業界では「常識破り」の発想だ。1976年に始まり、現在では70台は約9台まで激減。商品の鮮度が上がり、コストは下がり、CO₂も削減された。この仕組みは、後に日本のコンビニ物流の標準モデルになった。

「ツナマヨおにぎり」--“邪道”が国民食になるまで

 1983年、セブンはおにぎりの「シーチキンマヨネーズ」を発売した。現在では「ツナマヨおにぎり」として、定番のおにぎりの具になっているが、セブンの資料によると、取引先企業の小学生のお子さんが食べていたマヨご飯から開発者が着想を得たという(現在はローソンとファミリーマートははごろもフーズのものを使用しているので「シーチキンマヨネーズ」で、セブンは「ツナマヨネーズ」と、少しややこしいのだが……)。

 だがよくよく考えると、ご飯にマヨネーズとはなかなか異色の組み合わせである。今でこそ多様でユニークな商品が受け入れられコンビニの棚に並ぶが、コンビニで商品開発に携わっていた身からすると、ひと昔前はツナマヨのような一風変わった商品を提案することのハードルは決して低くなかった。

 ましてや、コンビニのトップを走るセブンである。“邪道”ともいえるツナマヨおにぎりの発売に至った背景には、当時、社長として企画にゴーサインを出す立場にあった鈴木氏の先見性と「舌」、そして「売れるかどうかはお客様が決める」という思想があったゆえ、と筆者は考えている。コンビニの商品開発において、トップの試食や味覚がいかに重要かは、別記事「コンビニのトップに求められるのは『舌』だ 高給の経営者に庶民の味がわかるのか…セブンを築いた鈴木敏文氏の味覚」で触れたとおりだ。

 “ツナマヨおにぎり”がいざ発売されると爆発的人気を博したのはご存じのとおりで、10年ほど前にコンビニコーヒーが発売されるまでは、売り上げ数量的にコンビニトップの商品だった。今でも、トップクラスの定番商品であることは間違いない。開発者もすごいが、同時に鈴木氏の判断力がなければ、今日のツナマヨおにぎりは無かっただろう。

さかのぼれば1978年にコンビニおにぎりを売り出したのも鈴木氏だった。

「今では当たり前にどこのコンビニでも売っているおにぎりも、実は周囲の反対を押し切って開発した商品だ(中略)『売れるはずがない』と多くの人から言われたし、反対を押し切って発売してみても、実際に最初の頃は、1日に1店舗当たり2〜3個しか売れなかった」

 と、反対に遭ったことを振り返っている(ダイヤモンドオンライン2016年9月20日インタビューより)。

 業界全体のコンビニおにぎり年間販売数は約60億個規模。日本人1人あたり年間約48個、月4個のペースで食べている計算になる。

15年で「生活インフラ」へ--ATMと公共料金が鍵だった

 1987年の公共料金収納開始、2001年のセブン銀行(当初はアイワイバンク銀行)開業およびATMサービスの展開。この2つが「物を売る店」から「生活インフラ」へのコンビニの決定的な転換点だった。

 銀行は15時に閉まり、土日は使いにくい。そんな時代に、セブンは24時間利用できる支払いの場を用意した。いつでも電気・ガス・水道料金が払えて、現金も引き出せる。コンビニが「毎月必ず行く場所」になっている人も少なくない。今ではコンビニは宅配便、チケット、住民票、メルカリ発送、災害時拠点まで担う「ミニ市役所+ミニ銀行+物流拠点」だ。

「社員は”した”しか言わない」--強権と顧客第一主義の両立

 鈴木氏のトップダウンは有名だった。「できない」「前例がない」は通用しない。でもその判断基準は常に「消費者は本当に便利か?」だった。社長の好みでも社内政治でもなく、お客様目線を軸にしたトップダウンだったからこそ、現場が「厳しいけど合理的」と受け入れた。

 また、鈴木氏自身がセブンの弁当や中食を日常的に食べ、品質を確認し続けたことも見逃せない。休日でも自宅近くのセブンで弁当を購入し食べていたという逸話や、経営者にありがちな会食が少ないといったエピソードも聞く。自ら生活者の舌で商品を評価したことは間違いなく、「金の食パン」に代表される高付加価値プライベートブランド(PB)の路線を打ち出せたのも、「PBは安かろう悪かろう」という常識を疑い続けた結果だ。

訃報を聞いた際の喪失感

 一時はコンビニ業界の王者として君臨したセブンだが、今はかつてほどの勢いはない。その背景には2015年に展開した「オムニチャネル戦略」の失敗があったこと、それが鈴木氏の肝入りで始まり、次男・康弘氏を2014年にセブンHDの執行役員に招いて始まったことは、きちんと触れておく必要はあるだろう(別記事「セブンの独り負けは『弁当の上げ底』だけが原因じゃない 9年前から王者凋落の兆しはあった」参照)。

 私がこの業界で敬う偉人は、ダイエーを創業した中内功氏と鈴木氏の2人だ。奇しくも両者とも、晩年は世襲絡みの問題が影を落としたといえる。圧倒的な推進力を持つカリスマ経営者ゆえに、後継者問題という宿命は避けて通れないのだろうか。

 とはいえ、「コンビニチェーン」を超え、分散型の民間生活インフラ網を作り上げた功績は論を俟たない。思えば、ローソンに勤務していた当時、「負けたくない」と常に意識していたのは、企業としてのセブンではなく、その精神的支柱だった鈴木氏その人だったように思う。当時コンビニに携わっていた方は皆同じではないか。鈴木氏の訃報を聞いた際の喪失感は、同じ業界に生きた者にしかわからないかもしれない。

 ライバル企業の創業者の訃報が、これほど心にポッカリと穴を開けるとは思っていなかった。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

渡辺広明(わたなべ・ひろあき)
流通アナリスト。コンビニジャーナリスト。1967年静岡県浜松市生まれ。株式会社ローソンに22年間勤務し、店長、スーパーバイザー、バイヤーなどを経験。現在は商品開発・営業・マーケティング・顧問・コンサル業務など幅広く活動中。フジテレビ『FNN Live News α』レギュラーコメンテーター、TOKYO FM『馬渕・渡辺の#ビジトピ』パーソナリティ。近著に『ニッポン経済の問題を消費者目線で考えてみた』(馬渕磨理子氏と共著、フォレスト出版)がある。

デイリー新潮編集部