ここで立ち止まって考えてみてください。業績好調な会社が、なぜ「切らなくてもいい人員」を、あえて切るのでしょうか。

◆「なくてもいい仕事」という不都合な真実

ここからが本題です。AIウォッシングという言葉は、「企業がウソをついている」という批判で止まりがちです。でもぼくはもう一段深いところに問題があると思っています。

問いを変えましょう。なぜ大企業には、「AIがなくても消せる仕事」がここまで積み上がっているのか。

イギリスの文化人類学者デヴィッド・グレーバーは著書『ブルシット・ジョブ』の中で、現代社会の多くの仕事は「客観的に見て存在する必要がない、あるいは有害ですらある」と論じました。これは過激な主張ですが、大企業の日常を少し観察すれば、肌感覚として頷ける部分があるはずです。

確認のための確認、会議の結果を共有する会議、誰も読まないレポートの作成……。これらは「必要だから」というより、「慣習があるから」「万が一のバッファとして」「組織の正当性を示すために」存在していることが少なくありません。

シアトルの職場でも、あるチームが解散したとき、残ったメンバーが「実はあのチームが何をしていたのか、よくわかっていなかった」と話していたことがあります。笑えない話ですが、これは珍しい光景ではありません。

経営者はそのことを、おそらく前から知っていました。でも「人を切る」ことには政治的コスト、社会的コスト、感情的コストが伴います。だから多くの場合、見て見ぬふりをしてきた。AIという「時代の必然」は、その決断を正当化する格好の言い訳になったのではないかと思います。

AIウォッシングは、企業が嘘をついているという話ではなく、「経営者が前からわかっていた不都合な真実を、やっと実行に移し始めた」という話かもしれません。

◆日本人はこれをどう受け取るべきか

日本に話を移します。

日本の会社員文化は、ある意味で「ブルシット・ジョブ」を最も大規模に生産してきた文化かもしれません。稟議、形式的な上司への報告、惰性で続く定例会議--これらは日本の職場に特有の密度で積み上がっています。

そのぶん、AIウォッシングが起きる土壌は日本のほうが厚い、とぼくは見ています。「AI投資のため」「DX推進のため」という大義名分のもと、大企業が抱えてきた余剰人員を整理する動きは、これから日本でも加速するはずです。
問題は「AIに仕事を奪われるかどうか」ではありません。もっと根本的なことです。

あなたの仕事は、AIがなかったとしても、本当に存在する必要があったのか。

これは脅しでも自己啓発でもなく、純粋に問い返してみる価値のある問いだと思います。「自分のポジションがなくなっても会社は回るか」という問いに、今すぐ答えられるかどうか。それが、これから数年で待遇が二極化する分岐点になりそうです。

Microsoftが「自発的に」と言いながら実質的に人員整理を進めているように、企業は穏やかな言葉を使いながら、静かに本質的な問いの答えを出し始めています。その問いを、自分に向けるタイミングは、もう来ています。<文/福原たまねぎ>

【福原たまねぎ】
シアトル在住。外資系IT米国本社のシニアPM。ワシントン大学MBAメンター(キャリア・アドバイザー)。大学卒業後にベンチャー企業を経て2016年に外資系IT企業の日本支社に入社。2022年にアメリカ本社に転籍し現職。noteでは仕事術やキャリア論など記事を多数発表。X:@fukutamanegi