日ロ情勢に翻弄され、交渉は停滞。一向に解決の兆しが見えない北方領土問題。その歴史を、漫才で伝えようと奮闘する芸人がいる。北海道出身のお笑いコンビ「アップダウン」ボケの竹森巧さん(47)とツッコミの阿部浩貴さん(48)だ。

【映像】北方領土漫才「ふるさと」

 M-1グランプリ準決勝に2001年から3年連続で進出するなど若手のホープだったが、最近は「特攻隊」や「原爆」など重い日本の歴史を、笑いを交えながら伝える活動に力を入れている。

 そして、戦後80年を迎えた今年、新たに「北方領土漫才」を完成させた。「不謹慎ではないか」と懸念する声も上がる中、悩みながら作り上げた漫才。お笑い芸人として、2人が伝えたいメッセージとは。

■元島民の切実な願いと、お笑い芸人の葛藤

 「アップダウン」の2人が北方領土漫才を作ったきっかけは、元島民らで作る団体「千島連盟」からの依頼だった。元島民の平均年齢は89.6歳。若い世代にどう伝えていくのかが課題だ。

「相手を引き付けるというか、まずそこですよね。それが我々素人が一番弱いところ。いかに小学生とか中学生にまず関心を持ってもらえるか」(千島連盟の森弘樹専務理事)

  千島連盟との打合せで、北方領土に関する資料を見た阿部さんは「こういうの見るとやっぱ、当たり前ですけど、人が生活していたんだなって」とつぶやく。竹森さんは「どう転んでもお笑い芸人なんで、お笑いは絶対入れるし」と伝える。阿部さんは「正直まだ分からないです。まだもっと深く知らないと輪郭が見えてこない」と悩む。

  後日、竹森さんは元島民が多く暮らす羅臼町(らうすちょう)に向かった。

 伊藤宏さん、90歳。10歳まで国後島で暮らしていた。「考えるもなんもなかった。ただ恐ろしいだけで。ここ(自宅の窓)から(国後島が)見えるんですよね。元気だったら行ってみたい」と島を見つめる。

 択捉島、国後島、色丹島、そして歯舞群島からなる北方領土。1945年に旧ソ連軍に侵攻され、およそ1万7000人がふるさとの島を追われた。

 竹森さんを待っていたのは国後島出身の2人。伊藤さんは、旧ソ連兵が自宅に踏み込んできた時のことをいまも鮮明に覚えている。「20人か30人で銃を持って。玄関の戸を開けるのに、銃でこう開けて。銃向けてこうやって入ってくるの。土足でね」(伊藤さん)

 北方領土の問題をどう漫才に落とし込むのか。すべてが手探りだ。「僕らも同じレベルだと思うんですけど。実際ふわっとは知っているけど、なんで問題になっているのかあまり知らないっていう人が多いと思うから。まずそこから、これの何が問題なのかとか」(阿部さん)

■「特攻隊」との出会いが変えた「お笑い」の道

 23歳で上京したアップダウン。3年前に事務所から独立し、いまは実家がある札幌と行き来しながら全国を回っている。長崎で披露したのは「原爆体験伝承漫才」だ。

「ア〜」(竹森さん)
「そう、このように空襲警報が鳴っているなか」(阿部さん)
「そうなんだ」(竹森さん)
「しゃべってたんかい、お前、おい。いましゃべっていたの?いま」(阿部さん)
「ただの相づち」(竹森さん)
「あ、空襲警報やっているわけじゃないの?ややこしいからやめて」(阿部さん)
「ピカっという青白い光がして、まばたきをした瞬間」(竹森さん)
「ドーン」(効果音)
「その光は爆風となって悟少年を襲いました」(竹森さん)

 重い歴史を、笑いを交えて伝える舞台。芸人の2人がなぜこうした活動を始めたのか。高校1年生の時にコンビを組んだ2人。阿部さんがクラスメートの竹森さんを誘った。コンビ名はこの教室で生まれた。「アップダウンという名前の由来というか。こっちかこっち(教室の掲示板)に前回のテストよりも成績がアップ、ダウンみたいな」(竹森さん)

 高校卒業と同時に吉本興業に入ると、すぐに東京のテレビ番組にレギュラー出演。M-1グランプリでは、準決勝に4回進出した。ただ、誘われて芸人の道に進んだ竹森さんは悩み続けていた。

「他にも面白い人いっぱいいるし、俺の存在意義って一体何なのかなというのが分からなくなった。心がつらくなって、辞めようと思った時の特攻隊の平和会館との出合い」(竹森さん)

 竹森さんにとって大きな転機となった場所が、鹿児島県にある「知覧特攻平和会館」だ。

 第二次世界大戦の末期。旧日本軍が行った特攻作戦。戦闘機で敵の艦船に体当たりするなどして、隊員およそ6000人が命を落とした。彼らの存在、思いに触れ、人生が変わった。

「この方々にしてみたらもう自分の悩みなんか、なんだその悩みっていう。なんでこの方々のことを忘れているんだ、知らなかったんだと。この記念館に来たから、そういうふうに考えさせられたので。残すとか伝えるということが、本当に大切なことだなと思います」(竹森さん)

 今度は竹森さんが阿部さんを説得。特攻隊を題材に芝居を作り上げたのだ。

「すいません」(阿部さん)
「睡魔だけにすいません。ダジャレ言っている場合か」(竹森さん)
「いや言ったつもりなかったんですけど」(阿部さん)
「そんなこと言っていないで、とっとと準備してこい、おらぁ!」(竹森さん)
「はい!」(阿部さん)
「まったく、訓練だぞ」(竹森さん)

 「お笑い芸人として王道を進みたい」と思っていた阿部さん。当初、戦争をテーマにすることには反対だった。「難しいんじゃないって、本当に単純に。僕のその時のイメージ、戦争って本当に暗くて悲惨で。それを対極のお笑いで。いや、それ笑える?って思って。取材を通して、一生懸命生きた人がこんなにいたというのと同時に、その当時にも笑いがあったというのを知った」(阿部さん)

■「不謹慎と言われても」手探りのネタ作り

 前例のない北方領土漫才の制作。元島民への取材を重ねる。

 中村勝さん、87歳。歯舞群島・志発島(しぼつとう)出身だ。「私の祖父母のところでは(旧ソ連兵に)立派な柱時計を持っていかれた。貴重品みたいな物はみんな持っていったそうですよ。6歳か7歳ですからね。島の思い出があまりにもあるので、帰れなくなったという思い」(中村さん)

 2024年12月、2人は竹森さんの自宅でネタ会議をしていた。

「地理的なことをまず説明するくだりをやろうかなと思っていて」(阿部さん)
「地理の説明ね」(竹森さん)
「ここが国後」(阿部さん)
「これどうしようかな、足りなくなっちゃうな」(阿部さん)
「足、足とかも使えば」(竹森さん)
「足使える?」(阿部さん)
「どうも私が北方領土です」(阿部さん)
「どうもネコタ・ネコキチです」「どうもホッカイ・ドウノスケです」(竹森さん)
「スベりそうだな」(阿部さん)
「ははははは」(竹森さん)

「この最後のメッセージだよね」(阿部さん)
「みなさん一人一人の力が世の中を変えることができるっていうのを伝えないと」(竹森さん)
「そっちじゃない気がするな。それだと北方領土返還の思いを発信しましょうになっちゃう気がする」(阿部さん)

 「お笑いでそれを扱うとなると、どうしてもデリケートな問題ですから、不謹慎と思われる人もたくさんいらっしゃると思いますけど」と語る阿部さん。北方領土漫才の制作を依頼した千島連盟が行ったアンケートには、漫才のネタにすることを心配する声が寄せられていた。

「漫才というコンテンツはイコール『お笑い』のイメージが強く、特に元島民にとっては『不謹慎』ととられかねないと危惧しています」(アンケートより)

 北方領土漫才の披露まで2週間。2人は追い込まれていた。「まだネタを構築している段階で、立ち稽古までは至っていないという状況」(竹森さん)、「ちょっと焦っています」(阿部さん)

■笑いと涙で伝える「ふるさと」初披露の日

 そして迎えた、北方領土漫才、初披露の日。竹森さんが「緊張しております」と笑うと、阿部さんは「まずはウケるかどうか。漫才なので。そこが一つと。そこから僕らが発するメッセージが受け入れられるかどうか」と冷静に語る。そんな2人は本番直前までネタ合わせをする。

 漫才のタイトルは「ふるさと」。2人が話を聞いた元島民の中村さんの姿もあった。

「それではお待たせいたしました。アップダウンの登場です」(司会)

「どうも〜」(竹森さん)
「どうも〜アップダウンです。よろしくお願いします」(阿部さん)
「はい。北方領土をテーマとした漫才やっていきましょうよ」(阿部さん)
「それではよろしくお願いします」(竹森さん)
「はい、いやお前もやるんだよ。2人でやるんだよ、漫才なんだから」(阿部さん)

「これ国後ね、国後」(体を使って島の位置を示す阿部さん)
「そうそうそう」(竹森さん)
「で、その横に択捉があります」(竹森さん)
「択捉がありますね、うん」(阿部さん)
「やれよ」(竹森さん)
「無理だよ、お前。全パ―ツ使ってるんだよ、無理だろお前」(阿部さん)
「足があるだろ、足が」(竹森さん)
「足!?」(阿部さん)
「足でやれよ」(竹森さん)
「足で?」(阿部さん)
「足だよ!」(竹森さん)
「じゃあもうここ、北東ですかね」(片足を上げる阿部さん)
「そうですよ」(竹森さん)
「この顔の」(阿部さん)
「もっと上げないと!」(竹森さん)
「もっとね?」(阿部さん)
「もっと上げないと」(竹森さん)
「もっとね?これね」(阿部さん)
「もっと、もっと上げないと」(竹森さん)
「無理に決まってるだろ。顔より上に足上がるわけねえだろ、そんなもんは!」(阿部さん)
「だったらお前、これ地図使いましょう」(竹森さん)
「地図あんのかい!」(阿部さん)

 会場から笑いが起きる。

「歯舞群島、いろんな島が集まっているんですけど。一番近いのは貝殻島という所で、納沙布岬までなんと3.7キロ」(阿部さん)
「3.7キロですよ」(竹森さん)
「近いですよ」(阿部さん)
「めちゃくちゃ近くないですか。僕んちからイオンまで5キロですからね」(竹森さん)
「イオン?」(阿部さん)
「イオンよりも近いですから」(竹森さん)
「イオンの距離は人それぞれだろ」(阿部さん)

 北方領土での、かつての暮らしぶりも伝える。

「お、何やらすごい屈強な方が来ましたけども。すいません」(阿部さん)
「おう」(竹森さん)
「あ、すごい荒々しい感じですね」(阿部さん)
「この村はな、捕鯨が盛んな場所なんだ」(竹森さん)
「捕鯨?クジラですね」(阿部さん)
「あっ、船が来たようですよ」(阿部さん)
「お、汽笛を聞き逃すな」(竹森さん)
「汽笛?どういうことですか?」(阿部さん)
「ああ、実はな汽笛は合図になっていて」(竹森さん)
「合図?」(阿部さん)
「捕れていたら3回、捕れなかった場合は1回しか鳴らないんだ」(竹森さん)
「なるほど、そういうことですか」(阿部さん)
「ボ〜」(竹森さん)
「いま汽笛が鳴りました」(阿部さん)
「っとしている暇はないからな」(竹森さん)
「しゃべってたんかい、おい!」(阿部さん)

 およそ50分の舞台。後半は朗読や演劇も交える。最後に演じたのは元島民が北海道本土へ引き揚げる船の中での出来事だ。

「握り飯、わかめ、野菜のみそ汁。本当においしかったことをいまでも忘れない。そして夜には船員のギター演奏による歓迎会が行われ、リンゴとカキをもらって食べ、感涙にむせんだ」(阿部さん)
「何か歌ってほしい曲はありますか」(竹森さん)
「ふるさと…ふるさと!」(阿部さん)
「うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川 夢は今も めぐりて 忘れがたき ふるさと」(竹森さん)

 竹森さんの歌を聴きながら、涙ぐむ観客の姿も。

「日本のふるさとだった島。そして80年たったいま、ロシアの人々のふるさとでもあります。国同士の話し合いが厳しいいま、解決の道がなかなか見えない非常に難しい問題です」(阿部さん)

「今回ですね、取材を通じてどんどんどんどん人々が無関心になっていくこと、このことこそが一番苦しいんだということが分かりました。自分事として考えられるようになれば、それこそが問題解決の第一歩につながるんじゃないかなと、我々そう信じております」(竹森さん)

 終了後、元島民の中村さんが2人に思いを伝える。「お世話になりました。本当にありがとうございました。見事でした。聞いていて、わが事と思って聞かせていただきました。そこにまさか歴史まで入れてもらえるとは思っていなかった。本当にお世話になりました。一言お礼を言いたくて」。

■薄れゆく記憶をつなぐために

 お笑い芸人として向き合った北方領土。2025年3月、2人は羅臼国後展望塔から島を眺めていた。

「こうやって見ると近いですよね。そこにあるんだもんな」(阿部さん)
「あそこに日本人が住んでいたんだよ」(竹森さん)
「こんなに近いけど行けないっていうね…」(阿部さん)
「ねえ…」(竹森さん)

 戦後80年、薄れゆく北方領土の記憶を、笑いと涙でつないでいく。

「今回の漫才でよく知ることができたので、子どもを連れてくればよかった」(女性客)

「社会科の授業で聞くよりは、ずっと分かりやすかった。子どもたちがこういう形でなじんでもらえるといいなと」(男性客)

 1人でも多くの人に「関心」を持ってほしい。自分事として──。

「無関心になってはいけないということで、我々もこれからも考え続けていきましょう。竹森君、聞いている?」(阿部さん)

「あ、ごめん。聞いていなかった」(竹森さん)
「いや俺に無関心かい。もういいよ」(阿部さん)
「どうもありがとうございました」(2人)

※取材対象者の年齢は2025年7月放送当時
(北海道テレビ制作 テレメンタリー『不謹慎と言われても 漫才で伝える北方領土』より)