バレンタイン監督vs広岡達朗GM ロッテを揺るがした対立の火種は開幕前から燻っていた
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■ミスターマリーンズ初芝清氏による「笑いと涙の初芝劇場」(第21回=2024年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回は元ロッテ監督のボビー・バレンタイン氏について綴られた、ミスターマリーンズ初芝清氏による「笑いと涙の初芝劇場」(第21回=2024年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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日本初のゼネラルマネジャー(GM)は、私が初めて打点王を獲得した1995年、ロッテで誕生した。
元巨人の名選手にしてヤクルト、西武を初の日本一に導いた名将・広岡達朗さんである。かねて「日本球界にGMは必要」と提唱していて、「日本にはロッテ監督の適任者はいないから」とレンジャーズで監督経験のあるボビー・バレンタインをロッテの監督に招聘した。しかし、これが後に“内部抗争”に発展することになる。
最初から2人の考えは正反対だった。広岡GMは「発展途上の選手が多いので練習で鍛え上げて欲しい」と依頼。しかし、ボビーは「個々の力量が高い選手が多いのに、実力を発揮できていない。チームとしての歯車が噛み合っていない。選手のモチベーションと自信の回復が最優先だ」と返したという。
ボビーのメジャー式の野球は画期的だった。選手の自主性を重視し、春のキャンプの練習は短時間で終了。疲労回復を最優先とした。不安を覚えた広岡GMは、自ら講師となってキャンプ中に内野守備の講座を開いた。マスコミは「GMが現場介入」と騒いだが、守備が得意ではない私にとって、かつて遊撃の名手だった広岡GMが直々に守備を教えてくれるのだから、素直にうれしかった。当時、GMの仕事が何かを知る選手は少なかった。あるいは広岡GM本人もそうだったかもしれない。開幕前になっても一向に上がってこない調整のスピードに「これで開幕に間に合うのか?」とカリカリしていた。
ボビーにとって、大リーグではあり得ないGMの現場介入は面白くなかったようで、「グラウンドの中は任せてくれ」といら立っていた。開幕前から不穏な空気が流れていた。
コーチや選手にも不安があったのは確かだ。こんなに早く練習が終わっていいのか。これで勝てるのか……。キャンプから特打や特守は禁止。「特訓」と呼べるものは全くなく、これまでに経験したことのない緩やかなペースの練習に私も戸惑った。
案の定、開幕後は勝てなかった。4月は8勝14敗1分けで最下位。一部のコーチがボビーのやり方に対する不満を広岡GMにぶつけた。後で聞いたところによると、「練習時間が短い」「負けても怒らない」「具体的な指示を出さないで自分で考えろと選手任せ」といった内容で「これではチームが弱体化する」と訴えたという。同じ考えだった広岡GMは「このままでは暑い6月以降、夏場を乗り切れない」と危機感を覚えたそうだ。それでもボビーは涼しい顔で「短期間でチームが劇的に強くなるはずはない。6月には上昇する」と突っぱねたという。
ボビーは「自分で考えない選手は成長が止まってしまう」と話していた。選手に出すのはヒントまで。あとは自分で考えるように仕向けていた。今なら当たり前だが、当時の日本人には理解しがたい考え方だった。そんな中、2人の確執を決定付ける“事件”が起きたのだ。
(つづく)=●関連記事 【続きを読む】広岡達朗GMが「休日を召し上げ」バレンタイン監督は激怒した では、それらについて詳しく報じている。
▽はつしば・きよし 1967年2月26日生まれ。東京都豊島区出身。二松学舍大付高卒業後、社会人野球の東芝府中で都市対抗に3度出場。88年ドラフト4位でロッテ入団。95年に打点王、ベストナインを獲得するなど強打の三塁手として活躍。「ミスターマリーンズ」の愛称でロッテ一筋17年、2005年に引退。通算1732試合で打率.265、232本塁打、879打点。07〜10年社会人のかずさマジックでコーチ。14〜19年セガサミー監督を務め、日本選手権準優勝、都市対抗4強など。現在はオールフロンティア監督。野球解説者。
