デビュー47年目となるBOROさん(手前)が語る半生と最新アルバム

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 昭和歌謡、昭和ポップスにスポットライトを当てたラジオ番組『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』(ラジオ関西)3月13日放送回に、シンガーソングライターのBOROさんがゲスト出演。これまでの音楽・芸能生活や、2年4か月ぶり25枚目のニューアルバム『NO LIMIT!』について、番組パーソナリティーの中将タカノリさん(シンガーソングライター、音楽評論家)、橋本菜津美さん(シンガーソングライター、インフルエンサー)と語り合いました。

デビュー47年目となるBOROさんが語る半生と最新アルバム『NO LIMIT!』

 BOROさんは、中将さんと初対面。ただし、リンド&リンダース・加賀テツヤさんをはじめ、共通の知人が多いといいます。

 BOROさんは「縁があるなと思った。テッちゃん(加賀)とは兄弟のような関係性だったので、懐かしい話ができてうれしい」、中将さんも「加賀さんと同じロックンローラーの空気を感じる。お話に聞いていたのでお会いできてうれしい」と喜び合います。

 同番組で1曲目にオンエアされたのは、アルバム『NO LIMIT!』収録曲で、2月11日に先行配信されたシングル『RIVER』。

 川沿いの街で暮らす人々と、それを見つめる樫の木を描写した印象的な楽曲ですが、実はBOROさんがウォーキングコースとして愛する兵庫県三田市のニュータウン「ウッディタウン」の風景を歌ったものということです。

 このエピソードに、神戸電鉄親善大使でウッディタウン中央駅周辺に馴染みのある橋本さんが反応。「駅前の風景がすぐに浮かんできた」と驚きます。

3月11日に発売されたニューアルバム『NO LIMIT!』

 話は盛り上がり、話題は「BORO」という名前の由来に。デビュー以来用いられているこの名前は、BOROさんが中学2年生の頃、通学に使っていた自転車について書いた『ボロの相棒』という詩が由来だそう。国語の授業で書いたものを、知らないうちに先生が県のコンクールに応募しており、見事に入賞。昼休み中に放送部が1か月間、朗読を続けたところ、すっかり「BORO」というニックネームが定着したということです。

 その後、音楽活動を始め、大阪・北新地の飲食店で弾き語りをしていたところ、内田裕也さんにスカウトされます。名前を聞かれ「B・O・R・O…BOROです」と答え、現在に至っています。

貴重なエピソードの連発で盛り上がるスタジオ

 番組での2曲目に紹介されたのは『大阪で生まれた女』(1979年)。

 BOROさんの代表作として知られるこの曲ですが、BOROさんバージョンよりも数か月前に、萩原健一さんが歌ったバージョンがリリースされています。

「裕也さんがショーケンさんに『今度、こんな奴をやるんだよ』と僕のデモテープを聴かせたところ、当時、結婚直前だったいしだあゆみさん(※大阪府池田市出身)のことを思い浮かべて『これ、あゆみの曲だ! 歌わせてよ』と言ったそうです。すぐに裕也さんから電話がかかってきて、『もちろん! ぜひ歌ってください』と快諾しました」(BOROさん)

 数々のヒット曲、話題曲を手がけるBOROさん。番組で3曲目に流れたのは『NO LIMIT!』に収録された『ネグレスコ・ホテル』(1983年)のセルフカバーでした。

 大人の恋を哀愁たっぷりに歌い上げた名曲ですが、もともとは大塚製薬から発売されたノンアルコール飲料「シンビーノ」のCMソング。フランスのネグレスコ・ホテルを思い浮かべてBOROさんが歌詞を書き、それに井上大輔さんが曲を付けたこの曲は、見事ヒットをおさめますが、それと同時に「ネグレスコ」を名乗るラブホテルが大量発生するという珍現象が起こったそう。BOROさんによると、今でも関西のある街に残っているとか……。

 最後にオンエアされたのは、沢田研二さんに提供した『やさしく愛して』(1987年)。

 中将さんが「すごい状況の中で発表された曲」と評するこの曲は、リリースに先立って1987年1月7日放送の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)で初披露。この日は沢田さんと前妻・伊藤エミさんの離婚が成立した当日で、「もっとやさしく愛せばよかった」と別れゆく相手への謝意をつづったメッセージと、涙ぐむかのような熱唱はファンの間で語り草となっているそうです。

 制作背景について尋ねられると、「練習やレコーディングにも立ち会いました。プロデューサーの方とか、ある意味家族的な付き合いをしていたので、沢田さんの状況も全部わかって書いた曲。男の懺悔(ざんげ)ソングだと思っています」とBOROさん。

 明かされたあまりにリアルすぎる背景に、中将さんも橋本さんも驚きを隠せない様子でした。