みのもんたさん

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 フリーアナウンサーのみのもんたさんがこの世を去ってから1年が過ぎた。妻・靖子さんに支えられテレビ界の頂点に立つまでの道のりと、遺された莫大な遺産とは――。

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【実際の写真】3000坪の敷地に立つ“みの御殿”! みのもんたさんの「17億円大豪邸」を見る

「何やっても食べていけるから」

 みのさんの本名は御法川法男(みのりかわのりお)。1944年8月22日に東京・世田谷区に生まれた。父親の正男さんは水道メーター製造販売を手がける「日国工業株式会社」(現・ニッコク)の元会長である。

 立教中学・高校から立教大学経済学部経済学科に進学。妻の靖子さんは1年後輩で、「放送研究会」サークルで知り合った。

みのもんたさん

 大学卒業後、文化放送に就職。アナウンス業務を主体とする報道記者としての採用だったが、本人は不本意だったようで、入社後も会社の水が合わず、くすぶっていたという。

 入社3年目、24歳のとき、深夜ラジオ番組「セイ!ヤング」のパーソナリティーに起用され、靖子さんとの結婚生活も順風満帆だったのも束の間、担当を外されてしまう。

 しかし一度は若者の代弁者として、スポットライトを浴びた身だ。裏方に徹することはできなかった。79年9月、35歳で文化放送を退社。当時、長女は1歳で、靖子さんは2人目の子供となる長男を身ごもっていたが、みのさんの背中を押したのは妻の「何やっても食べていけるから」の一言だったという。

稼ぎは1日1000万円

 家業を手伝いながら「プロ野球ニュース」(フジテレビ系)で土・日曜のキャスターを務め上げたみのさんは、1983年に始まった同局の特別番組「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」のナレーターに抜てきされる。

 番組での名調子が好評を博し、その後「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ系)のレポーターなどを経て、ついに89年4月、「おもいッきりテレビ」の2代目総合司会に抜てきされたのである。

 還暦を超えた頃、キャリアの頂点を迎える。2005年3月、朝の情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」が放送開始。同年暮れには、NHK紅白歌合戦の司会も務めた。ほかにも「クイズ$ミリオネア」(フジテレビ系)などに出演。翌年11月、「1週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者」とのギネス記録も認定され、最盛期のレギュラー本数は16本に達した。

「最高で1日平均1000万円を稼いだといわれています。週6換算で6000万円、1年50週なら30億円です。一度、本人にその数字をぶつけたら“CMがあるからもっと多いよ”と聞かされて驚きました」(日本テレビ関係者)

 靖子さんは専属スタイリストとしても活動。「おもいッきり」の20年間で使ったネクタイは1万本を超えた、という逸話も残されている。そんな彼女の長年の献身に報いようとみのさんは10年、神奈川県鎌倉市の相模湾を一望する高台に推定価格17億円の豪邸を建てた。(以下、「週刊新潮」2025年5月1・8日号をもとに加筆・修正しました)

カネに糸目をつけず……

 高級住宅地として知られる鎌倉山の最奥部に建つ通称“みの御殿”。3000坪の敷地に240坪の延床面積を誇る大豪邸は、みのさんが65歳の時、2009年に完成した。

「広大な土地の取得代も含めて17億円をかけたと報じられました。静かな住環境とプライバシーを確保するために、隣接する山林も購入したそうです。00年代のみのさんは全盛期で、ギャラの総額が30億円を超えた年もあったといいますからね。大好きだった奥様と老後を過ごすついのすみかを建てるべく、カネに糸目をつけなかったのでしょう」 (芸能記者)

 しかし、妻は邸宅が完成した3年後の12年、皮膚がんで逝去。みのさんは以降も独りで住み続けた。

「囲炉裏をかこんで奥様とお酒を飲むのを楽しみに」

 その家を訪れたことのある彼の知人によれば、そこかしこから、仲むつまじかった夫婦の暮らしぶりが伝わってくる造りになっていたという。

「地下1階、地上2階の建物の中には、20以上もの部屋がありました。ほとんどは洋室でしたが、1階のリビングの隣に囲炉裏が備え付けられた板の間の和室があったり、地下に茶室のような部屋が設けられていたりと、ところどころに和の様式が取り入れられていた。みのさんは年を取ってから、囲炉裏をかこんで奥様とお酒を飲むのを楽しみにしていました」

 他にも、さまざまな用途の部屋があった。

「2階には、天窓付きの衣装専門の部屋が設けられていました。みのさんの専属スタイリストだった奥様は、自然光のもとで膨大な数の洋服や小物に目を通して、彼の日々のコーディネートを決めていました。同じ組み合わせでテレビに出ないように、細心の注意を払っていたといいます。多忙な夫婦をサポートするためのお手伝いさんが、日中、詰める部屋まで用意されていたと聞きました」(同)

個性が強過ぎる物件

 設計は、日本建築学会の学会賞を00年に受賞した高名な建築家、齊藤裕氏が手がけた。建築誌の編集者が言うには、

「世界中の木材を選りすぐって使う齊藤氏は、まさに“木の匠”です。みの邸も骨組みは鉄筋コンクリートですが、チークなどの高級な造作材をふんだんに用いています。カーブを駆使したモダンなデザインと木の温かみが同居しており、芸術的価値の高い名建築だと思います」

 前出の知人が最も感銘を受けたのは、

「建物の内と外の至るところから、相模湾を見下ろす絶景が味わえることです。日常生活のあらゆるシーンで、素晴らしい眺望が目に入るように計算されているのだとか。お風呂なんて、窓から江の島と富士山の両方が見られますから。みのさんは湘南の海を眺めながら、敬愛する石原裕次郎さんに思いをはせていたようですよ。休日ともなれば庭やテラスに出て、青空の下日光浴をしていたそうです」

 今も登記簿上の所有者はみのさんのままだが、不動産コンサルタントの森島義博氏に聞くと、

「ご遺族が相続する場合は、高額な維持費がかかるでしょう。一方で売却しようとしたところで、なかなか買い手が現れないと思います。立派な大豪邸であることは間違いないのですが、鎌倉駅から車で15分と交通の便が悪く、敷地も広過ぎます。さらに、みのさんの家だったという“色”まで付いている。不動産売買の世界では、どうしても個性が強過ぎる物件は敬遠されてしまうのです」

“ズバッ!”と買ってくれる人が現れたらいいけれど。

デイリー新潮編集部