「ウマ娘 プリティーダービー」というゲームが大ヒットしている。2021年2月末に配信が開始されると、約1カ月半で500万ダウンロードを突破。アニメ放送やヤングジャンプで漫画連載されるなど、何かしらのメディアで「ウマ娘(うまむすめ)」という独特の響きを耳にした人も多いのではないだろうか。
2012年皐月賞で優勝したゴールドシップ。破天荒な伝説はここから始まった

 ゲームのストーリーも独特だ。実在した競走馬を"擬人化"した「ウマ娘」たちが、トレーニングや経験を積みながらレースに挑んでいく。登場するウマ娘は、過去の名馬を擬人化しており、スペシャルウィークやサイレンススズカ、トウカイテイオーなど、競馬ファンなら誰もが知る馬名がそのままキャラクター名になっている。一人ひとりの性格やストーリーもまた、モデルとなった競走馬をベースにしている。

 ウマ娘の中でも、ひときわ異彩を放つキャラクターがゴールドシップだ。破天荒かつ誰も予測できない自由な行動で周囲をかき乱し、強めの口調でまくし立てる。そんな性格がファンから愛されている。

 もちろん、このウマ娘の性格は、モデルとなった競走馬ゴールドシップの性格を受け継いだもの。そう、ゴールドシップこそ、歴史に残る破天荒なサラブレッドだった。そして、その個性を最初に世に知らしめたのが、2012年のG技月賞(2012年4月15日/中山・芝2000m)だったのである。

 ゴールドシップは、2歳の7月にデビューすると、皐月賞までに5戦3勝、2着2回と安定した成績を積み上げた。しかも5戦目には、名馬の登竜門とされるGII共同通信杯(東京・芝1800m)を勝ち、世代の主力とされていた。

 競走馬は3歳になると、一生に一度のクラシックレースを同世代と戦う。牡馬にとっての第一弾が皐月賞だ。ゴールドシップもこの舞台に駒を進め、4番人気でレースを迎えた。

 皐月賞当日、勝負のポイントになったのが前日の雨だった。芝は水分を含み、ただでさえ消耗していた馬場の内目はコンディションが悪化。そこで、スタートから各馬は内側を避け、数頭分大きく空けて馬場の良い外目を進んでいった。

 ゴールドシップは、18頭立ての最後方からレースを進めていたが、3コーナーから一気にスパートを開始。ここで驚いたのは、その進路だ。各馬が変わらず外を回るなか、ゴールドシップは、ただ1頭、ぽっかりと空いたインコースへ突き進んだのである。

 前方のライバルが外へ膨らむ状況で、さらにその外を回って後ろから追い上げようとすれば相当な距離ロスになる。鞍上を務める内田博幸騎手の判断により、距離ロスのないインコースを狙ったのだった。

 もちろん、内目の悪い馬場に脚を取られるリスクはあった。しかし、ゴールドシップはそれをものともせず、怒涛のスパートを見せたのだ。最後方にいた芦毛の馬体は、3、4コーナーで10頭以上交わし、いつの間にか先頭の背後へ。まるでワープしたような感覚だった。その後、直線で先頭を交わすと、最後は独走でゴールに飛び込んだのだ。

 ただ1頭、荒れた内目の進路を選び、一気のスパートで勝利したゴールドシップ。この馬の個性が最初に輝いた瞬間だった。

 これ以降も、ゴールドシップはいくつもの伝説を作った。予測できない行動を起こし続けた存在であり、破天荒なエピソードは数え切れないほどあるのだ。

 皐月賞のあと、ゴールドシップは3歳秋にG亀堂崗沺糞都・芝3000m)とG詰馬記念(中山・芝2500m)を連勝した。この2戦も、常識破りのロングスパートで勝利。特に菊花賞では、後方2番手から残り1200mあたりでスパートを開始。外から上がって先頭集団に並びかけた。そのまま直線入口で先頭に立つと、豪快に押し切った。京都の芝3000mでは"タブー"とされる、異例の超ロングスパートだった。

 3歳までのゴールドシップは、成績こそ安定していたが、すでに"気分屋"の性格で有名だった。調教後に突然暴れ、スタッフにケガをさせたこともある。他の馬を威嚇し、調教でもやる気を出さないこともあった。毎回、位置取りが後方になるのも、スタートで騎手の指示に従わず、すぐに加速しない性格面が起因していた。

 そんな気分屋の一面は、翌4歳(2013年)から徐々にレースにも表れる。

 代表的な一戦が、4歳の4月に挑んだG掬傾直沺春(京都・芝3200m)。長距離戦に強く、向かうところ敵なしのゴールドシップは、単勝1.3倍という圧倒的人気に押された。しかし、後方からレースを進めたものの、今までのようなロングスパートが決まらない。人気を裏切り5着に敗れてしまった。

 そうかと思えば、続く6月のG喫塚記念(阪神・芝2200m)は"別馬"のようなレースぶりで快勝。前半から珍しく先行し、非の打ち所がない優等生の走りを見せたのだ。

 そのまま復活するかと思いきや、秋にはG汽献礇僖鵐ップ(東京・芝2400m)で15着と大敗するなど、1年近くG犠〕から遠のいてしまう。

 よみがえったのは、5歳(2014年)になった6月の宝塚記念。復活をかけたゴールドシップは、ベテランの横山典弘騎手とコンビを結成。横山騎手は3週間にわたってゴールドシップの調教に乗り、どうすればゴールドシップの気持ちが乗るか、走る気が出るかを追求したという。そうして、見事に勝利を飾った。

 レース内容は昨年のリプレイのような、鮮やかな先行抜け出し。それ以上に有名なのは、レース後の横山騎手のコメントだ。スタートから、ゴールドシップに「お願いします、走ってください」と祈り続けたという。また、調教では「賢い馬なので、気分を害さないためにもムチを入れなかった」とも話していた。結果、マジメに走り続けたのだろう。

 その後、海外のG騎旋門賞(フランス・芝2400m)にも挑戦したゴールドシップ。6歳(2015年)になると、横山騎手とのコンビで5月の天皇賞・春を勝利。G気裡蕎〔椶鮠った。このレースも、後方から圧巻のロングスパートを披露。無尽蔵のスタミナは、祖父メジロマックイーンの血から来るものだろう。

 ゴールドシップにとって、天皇賞・春が最後のG犠〕になった。がしかし、この馬の物語を記すには、続く宝塚記念での"事件"も忘れられない。

 4歳、5歳と連覇していた宝塚記念は、間違いなく得意舞台。3連覇への期待は高かった。さらに、前走の天皇賞・春では"らしい"ロングスパートを見せて、調子もよさそう。これといった死角は見当たらず、当日は1.9倍の大本命となった。

 その宝塚記念のスタートで、事件が起きた。ゲートに入ったゴールドシップは突如暴れ出し、スタートのタイミングで大きく立ち上がって出遅れてしまう。この時点で1秒近い遅れとなり、勝利は絶望的に。結局、15着に沈んでしまった。

 G気梁臻槎診呂、大出遅れでレースを終えてしまったのである。通常なら、馬券を買ったファンの怒りで埋め尽くされそうなものだが、ゴールドシップの場合は、この出遅れさえ"らしさ"や"個性"として愛された。それこそが、この馬が唯一無二の存在である証しだろう。

 6歳で引退したあと、現在は種牡馬として、子どもたちをレースに送り出している。今度は種牡馬として、新しい伝説を残すかもしれない。"本家本元"のゴールドシップは、いまだ健在である。