派手な活動で知られる三崎氏だが、この日はリラックスした様子で話してくれた

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 2019年2月脱税容疑で逮捕され、保釈後は脱税したとされる1億8000万円を「贖罪寄付」するなどの一連の「青汁劇場」が話題となった“青汁王子”こと実業家の三崎優太氏(31才)。2020年も、若者の未来を応援するための基金を設立し、自身の過去を綴った著書『過去は変えられる』(扶桑社)を出版するなど話題の尽きない同氏だが、10代で起業し2度もビジネスを成功させ、年商130億円の会社を作ることができた経緯についてはあまり語られない。成功までにどんな紆余曲折があったのか、話を聞いた。
 
 三崎氏は、北海道札幌市に生まれ、オホーツク海近くの北見市という、豊かな自然に囲まれた穏やかな土地で育った。だが、同氏の幼少期は平穏なものではなかったという。

【写真】引っ越したばかりの豪華な新居をバックに撮った青汁王子こと三崎優太氏

「ぼくは、歯科医の父と専業主婦の母、年の近い妹の4人家族という平凡な家庭で育ちました。しかし、小さい頃から両親の仲が悪く、家族はいつも喧嘩ばかりしていて、常に居心地の悪さを感じていました。反発心を抱きながら育ったせいか常に親に反抗するようになり、学校での集団生活にもうまく馴染めなかった。家では怒られ、学校でも問題児扱いで、自分は『社会に必要のない人間』、そう思えて毎日がつらかった」(三崎氏・以下同)

 高校を2度退学し、「社会不適合者」のレッテルを貼られ、コンプレックスを抱えながら17才になった三崎氏。どうすれば自分の人生を変えられるか考えていた時、一冊の本に出会ったという。

「たまたま立ち寄った書店で、『ケタ違いに儲かるアフィリエイト術』(英知出版)という本が目に止まりました。帯には『月収400万円稼ぐ』と書かれていて、今の状況を変える糸口になるかもしれないと思い、買って読んでみました。本には、携帯電話のアフィリエイトサイトで稼ぐ方法が書かれてあったのですが、アフィリエイトの存在すら知らないぼくにとっては、スキルや資格がなくてもお金を稼げることに、衝撃を受けました」

 アフィリエイトとは、インターネットを利用した成果報酬型の広告のこと。サイトを作り、さまざまな商品の広告などをリンクやバナーで掲載し、サイトを訪れた人がそれをクリックして商品を購入すれば、報酬が支払われる仕組みだ。2006年当時、携帯アフィリエイトはまだ黎明期といえる状態で、参入者は少なかった。

「最初に作ったのは、ゲーム『龍が如く』の攻略サイトです。実際に自分が大好きなゲームだったし、攻略法もよく知っていました。手探りで何とか独学でサイトを作り上げて、ひたすらサイトの完成度を上げて行ったら、月の売り上げがいきなり10万円以上もあったんです。自分の好きなことが、アイディアと努力でお金になったことに驚きと感動と満足感でいっぱいでした。社会不適合者と言われ続けてきたぼくの人生に、光が見えたような気がした」

 三崎氏はアフィリエイトの世界に夢中になった。朝起きたらまずパソコンを起動し、睡眠中と食事以外はサイト作りとアフィリエイトの研究に明け暮れた。2か月目には売り上げが30万円になり、増えるサイトの数に合わせて人手も増やすと、月の売り上げは400万円と急激に増えていった。

「頑張れば頑張るほどお金になる。目に見えて結果につながることが嬉しくて、どうすればサイトにもっと人が来てくれるのか、毎日試行錯誤を繰り返しました。規模もどんどん大きくなって、ドコモなどの携帯キャリアの公式サイトを50サイトほど運営するようになる頃には、年間売り上げは1億円を超えていました。コンプレックスだらけのぼくの人生でしたが、これから先もっと事業を大きくして経営者として成功すれば、過去の失敗や挫折、コンプレックスも肯定できる人生を送れるんじゃないか、そう思えるようになり、18才で株式会社メディアハーツを立ち上げました」

稼いだ1億円を投資で失う

 だが、その後三崎氏は、会社運営の要とも言える人材面で苦労することになる。

「それまで、自分の周りにいた友人に声をかけて事業を運営してきましたが、彼らは自分と同じ高校生。最初のうちは面白がって手伝ってくれましたが、しばらくすると仕事を放り出して遊ぶようになった。目の前に大きなチャンスがあるのになぜ掴もうとしないのか、当時の自分には全く理解できず、衝突することが増え、仲間たちはどんどん離れていきました。

 経営者の知り合いもおらず、相談する相手もいない。そもそも当時、札幌には20代で起業している人もほとんどいなかった。東京に行けば、自分と同じような経営者や同じ価値観の仲間が見つかるんじゃないか、もっと広い世界を見てみたい、そう思うようになり、東京行きを決めました」

 東京・原宿の竹下通りにオフィスを借り、再びアフィリエイトの事業をスタートさせた三崎氏。しかし、東京での人材獲得はさらに厳しいものだった。

「採用面接をしても、ぼくより年上で高学歴の人がほとんど。大学はおろか高校すら卒業していないぼくについて行こうという人は少なく、なかなか人が集まりませんでした。入社してもらっても、打ち合わせなどの場でぼくが何か発言する度に、舐めた態度を取られることはしょっちゅうありました。

 そんな時、ぼくの心をへし折る決定打になったのが、信頼していた数少ない役員に裏切られたこと。社内の機密情報をライバル企業に売られそうになったんです。仲間を求めに東京に出てきたけど、馬鹿にされ裏切られ、せっかく東京に出てきても孤独な状況は変わらず、すっかり人間不信になってしまった。会社を続ける気力を無くしたぼくは、しばらく経営から離れ、会社を休眠させることにしたんです」

 幸い三崎氏の手元には、それまでコツコツ貯めた約1億円の資金があった。それだけあればしばらくは何もしなくても暮らせる。普通の人なら、その1億円を出来るだけ減らさないよう努めるだろう。しかし、三崎氏の場合は真逆だった。

「会社を休眠してしばらくは部屋にこもり、株やFX、企業分析の勉強をして過ごしました。ただ黙々と数字と向き合い、誰とも会わず、引きこもりの生活です。一人で家にいれば誰に傷つけられることもない、ずっとこんな感じでのんびり暮らしたいな…そう思ったぼくは一生分のお金を稼ぐため、貯金していた1億円を全額投資につぎ込んだんです」

 だが、金融の世界のスピードは想像以上に速く、短期間で大きくリスクを取っていた三崎氏は結局失敗。あっという間に無一文になってしまった。

「比較的緩やかに状況が変化する事業経営と違って、金融の世界はぼくには向いていませんでした。死ぬ思いをしてやっと稼いだ1億円なのに、振り出しに戻ってしまった。しばらくは絶望していました。でも、資産を全て失ったら、またゼロからやり直すチャンスかもしれない、そんな爽快感が不思議と沸いてきたんです」

 三崎氏は、新たに事業を立ち上げることを決意。少ない資本で成功するためには、伸びる分野を探さなければならない。そこで役立ったのが、ぼろ負けした株式投資で学んだ企業分析だった。

「上場企業や事業規模の似ている会社の決算書を読み漁り、朝から晩まで企業分析に没頭しました。徹底的にリサーチしていくうち、美容業界と通販事業の伸びが特に大きいことに気付いたんです。『これだ』と思い、すぐに休眠させていたメディアハーツを再開、新たに美容部門を立ち上げました。投資の勉強をする前だったら、決算書なんて見向きもしなかっただろうから、引きこもりの時間も無駄じゃなかったんです」

 この時立ち上げた新規事業の柱となったのが、後に年商130億円の大きなビジネスに成長する青汁の通販事業だ。

「経営者は、ここぞという時にどれだけアクセルを踏んでリスクを取れるかが大事。もし投資でちまちま儲けていたら、小さくまとまってしまっていたかもしれない。そう考えると、人間関係で苦労したことも、無一文になったことも、ぼくにとって必要だったと感じています」

「人生は1回しかないんですから」そう語った三崎氏。石橋を叩いて渡るような慎重なタイプだったら、現在の実業家・三崎優太は生まれていなかっただろう。

取材・文/小山内麗香