「納骨の受け入れを制限します」。関西屈指の参拝者を誇る一心寺が、先日、こんな新聞広告を出した。一心寺ではこれまで「1万円から」という格安の費用で納骨を受けてきたが、納骨件数の急増で対応しきれなくなったのだ。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「宅配便で遺骨を勝手に送りつけてくる遺族もおり、一心寺はそうした『送骨』は送り返している」という――。
撮影=鵜飼秀徳
遺骨受け入れ制限の看板が立つ一心寺の山門 - 撮影=鵜飼秀徳

■多くの寺院経営は厳しいのに「納骨受け入れ制限」する理由

今月、ある新聞広告が目についた。広告主は、大阪市天王寺区にある一心寺という浄土宗寺院である。宗教法人が墓地分譲などの新聞広告を出すことは珍しくはないが、この広告は真逆であった。来年2021年以降、納骨の受け入れを制限するというものだ。

私は「いよいよ、そうせざるを得ない状況になってきたのか」と、複雑な心境になった。背景には、昨今の改葬や墓じまいの増加がある。

これだけを聞けば「墓じまいが進み、足元の寺院経営は厳しいはずなのに、納骨受け入れ制限というのはどういうことか」と、疑問に思う人も少なくないだろう。

だが、一心寺は特殊な事情を抱え、常に世相を反映してきた寺院なのである。本稿では、世にも珍しい一心寺の葬送の形態と、現代人の葬送の変化を見ていきたい。

■遺骨でつくった「お骨仏(おこつぼとけ)の寺」

一心寺は遺骨でつくった「お骨仏(おこつぼとけ)の寺」として知られている。

開基されたのは、1185(文治元)年のこと。もとは近くの四天王寺の付属の草庵であったが、江戸時代に入り、徳川家康の八男・仙千代が夭折した際に当時の住職が葬儀を執り行ったことがきっかけで家康の庇護を受けた。慶長年間の大坂冬の陣の際には、大阪城からちょうど1里離れたこの一心寺が徳川側の茶臼山本陣となった。幕藩体制下では寺社奉行直轄の檀家を持たない特別寺院に位置づけられる。だが、幕末になって衰退し、一心寺はなんらかの収益源を模索することになる。

そこで庶民向けに無縁の精霊を供養する施餓鬼(せがき)供養を始めると、大いに評判になった。

幕末から明治初期にかけて、地方から大阪に丁稚奉公に出てきた次男坊らが、この地で定住しはじめた。すると、遠い故郷の菩提寺に祀られているご先祖様を、大阪で供養したい、とのニーズが高まる。

そこで大阪の庶民は「一心寺なら宗派を問わず供養してくれる」と、分骨した遺骨を持ち寄るようになった。評判が評判を呼び、続々と一心寺に遺骨が集まり出した。1868年から1888年までの20年間で、境内の納骨堂は満杯になってしまったという。

そこで、当時の住職が考案したのが、遺骨を仏像に造形し、お祀りすることだった。人骨を粉砕し、鋳型で固めて阿弥陀如来像にする。こうすることで、大阪に拠点をもつ分家筋が、いつ何時でも手を合わせることができる。そのうえ永久的に、時代を超えて大勢の参拝客が、手を合わせてくれる。

現在、永代供養墓はどこの寺でもあるが、その元祖が一心寺の骨仏なのである。

■遺骨で仏像をつくるお寺が関西屈指の参拝客数を誇る理由

久しぶりに一心寺を訪れてみた。通天閣から徒歩5分ほどの場所にある。一心寺は観光寺院ではないので全国的な知名度はさほどではない。だが、常に人々が往来し、賑々しい雰囲気である。本山格でもない一般寺院としては、一心寺は関西屈指の規模と参拝客数を誇っている。

境内には骨仏納骨の受付があり、平日にもかかわらず数十人が列をなしていた。骨仏にしてもらうための遺骨を持参してきているのだ。一心寺は郵送での遺骨を受け付けていない。

骨仏は現在では10年間にわたって遺骨を集めて1体を造立することになっている。増高は5尺(1m50cm)である。納骨堂には8体の骨仏が安置されている。遺骨の総数は200万柱。間違いなく国内最大の永代供養であろう。

遺骨で仏像をつくるなんてグロテスク、と眉をひそめる人もいるかもしれない。だが、教えられなければ骨でつくられた仏像には見えない。遺族は実際に祀られている阿弥陀仏を前にして、亡き人の面影をそこに見るとも言われている。現在、大阪市の無形民俗文化財にも指定されている。

撮影=鵜飼秀徳
10年で1体造形される骨仏 - 撮影=鵜飼秀徳

■ここ10年で納骨が急増の背景に「永代供養」「墓じまい」

2017年、最も新しい骨仏の開眼が行われた。造立されまだ3年しか経っていない骨仏は、遺骨の色がそのまま残り、純白だ。だが、次第にろうそくや線香の煤がついて黒ずみ、風格がでてくる。

最古の骨仏は1887(明治20)年造立だという。1851(嘉永4)年から36年間かけて集められたものだ。この時、集められた遺骨5万柱以上と言われている。戦前までに6体がつくられた。しかし、それらは大戦中の空襲で消失してしまった。

焼け跡から6体分の遺骨を拾い集め、戦後に納骨された分と合わせて1体が造立された。そこから、現在まで、10年に1期ごとに1体がつくられてきている。

遺骨の数も、時代を反映する。戦後から2006年まで、1体あたりの納骨数は約13万柱〜16万柱で推移してきた。分骨用に小分けされた骨の場合は、さほどの分量にはならない。なかには全骨を納めたいというニーズもあり、一心寺側は応えてきた。それでも、10年間で1体の造形ペースは保ててきた。

それが、直近の2007年から2016年までの納骨数は22万柱と急激に増え、いよいよ「供給過多」になってきたのだ。増えた分は蓮台や光背を大きくすることなどで対処してきたが、それも限界点を迎えているという。

■火葬後すぐに寺に持ち込んで「遺骨処理」する人の感覚

一心寺の納骨が増えている背景には一族の墓に入らない「永代供養」ブーム、そして、墓じまいや改葬の増加がある。骨仏の本来の「分骨供養」を誤解し、全骨が持ち込まれるケースが多くなってきた。なかには火葬後すぐに持参してくるケースもあるという。誤解を恐れずに言えば、「遺骨処理」のような感覚だ。

さらに、墓じまいした後の古い遺骨を持参するケースも後を絶たない状態だ。関西では骨壺から取り出し、土に還す埋葬法が主流である。こうした遺骨は土が混じり、骨仏の造形に支障をきたす。

いずれにしても一心寺では、ここ数年で過剰に遺骨が持ち込まれ、受け入れが限界になってきている。

今後の納骨数を予測すれば、減っていくことは考えにくい。すでに日本は多死社会に入っているからだ。現在、死者数は140万人ほどであるが、2030年には160万人を突破。2060年以降も年間150万〜160万人レベルの死者数が続く。

■「骨仏」人気の理由は、納骨料が1万円〜と格安だから

しかし、なぜそれほどに、骨仏が人気なのか。

それは、身も蓋もない言い方をすれば「料金が安い」からである。納骨冥加料は小骨や分骨で1万円〜2万円。胴骨を含む容量の多いケースや全骨で1万5000円〜3万円である。

例えば、東京都心部の自動搬送式永代供養納骨堂では1柱あたり90万円前後であるから、一心寺の骨仏は破格といえる。よって、生活困窮者が一心寺に全骨を納骨したいというケースも少なくない。それを知る一心寺は、本来の骨仏の趣旨とは異なるものの、なるべく全骨を受け入れてきた経緯がある。

だが、そのことを逆手にとって、心ない考え方をする人も少なからずいるのも事実だ。

最近では、宅配便を使って遺骨を送り、永代供養してもらう「送骨」の手段で送りつけてくる遺族もいるという。一心寺では送骨は、送り返している。

一心寺は境内チラシなどで、「納骨件数の増加と胴骨の急増、さらに遠隔墓地の墓じまいなどによる大量・多数のご遺骨にどう対応すればよいか? 一心寺目下の重大問題であり、方針をあいまいにしたままでは済まされない急務」と表明。2021年より、直径9cm、高さ11cm以下の小骨壷のみ受け付ける。また、改葬(墓じまいによる納骨、遺骨の移動)納骨は一切受け付けないという。

故郷やご先祖様を思う「供養の心」があってこそ輝く骨仏である。一心寺の納骨堂の前で手を合わせる人々を見ると、多くは心のある人だと感じる。一方で、弔いを合理的にコスト重視で考える人もいる。先人が育んできた葬送文化や風習が、風前の灯である。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『仏教抹殺』(文春新書)など多数。近著に『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)。佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事。
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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)