金崎夢生が語る異国での2年間…ポルトガルで再認識した二つの原点とは

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「カナザキは興味深い選手。よく動く頑張り屋だが、A代表では少し中央に残って得点を取れるゾーンに入ってきてほしい。特にゴールを取るという部分で、彼のクオリティが(日本代表に)いいものをもたらしてくれると思っている」

 2018 FIFAロシアワールドカップ アジア2次予選のアフガニスタン戦とシリア戦に向けたメンバー発表会見で、日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、2月に鹿島アントラーズ復帰を果たした金崎夢生への大きな期待を口にした。

 迎えた24日のアフガニスタン戦。彼は指揮官の評価に応え、鬼気迫るようなプレーでゴールを狙い続けた。出場した79分間で放ったシュートは9本。これには2トップを組んだ滝川第二高の先輩にあたる岡崎慎司(レスター/イングランド)も「夢生が貪欲すぎるので」と冗談交じりに笑ったほどだ。

 その飽くなき得点への渇望が結実したのが、78分のチーム5点目だった。大分トリニータ時代の盟友・清武弘嗣(ハノーファー/ドイツ)が左サイドから上げたハイボールを途中出場のハーフナー・マイク(ADOデン・ハーグ/オランダ)がヘディングで落とした瞬間、一目散にゴール前へ飛び込みGKに激突しながら倒れ込む形で得点を決めた。喜びを爆発させた金崎はペナルティエリアを猛ダッシュで走り抜け、ピッチ上にひざから滑り込んでガッツポーズ。チームメートに祝福の嵐を受けた。「やっと入りました!」と試合後のインタビューで絶叫したのも、内に秘めていた喜びを抑え切れなかったからに違いない。この一発には大きな期待を寄せていた指揮官も「アカデミックなゴールではなかったが、それでも取ってくれたのは嬉しい」と頬を緩ませた。

 ハリルホジッチ体制における日本代表で2戦2ゴールという結果を残している金崎。彼は2007年から約7年間にわたって大分と名古屋グランパスでプレーし、2013年夏に海外挑戦を選択したが、国内でプレーしていた頃と現在を比較すると、劇的にプレースタイルが変化していることが分かる。

 当時は“万能型MF”という印象が強く、現在鹿島で2トップを組む赤崎秀平も「日本を離れる前はサイドとかボランチをやっているイメージだった」と言う。その金崎が2013年、2014年と2年間の欧州移籍を経て、完全なるストライカーへと変貌を遂げた。特に1年半の時を過ごしたポルトガル2部のポルティモネンセでの日々が非常に大きかったと本人も認めている。

 同クラブの本拠地・ポルティモンは、ポルトガル南部・アルガルベ州にある人口5万5000人の小都市。大西洋に注ぐアラデ川沿いの散歩道はリゾート地らしい雰囲気を醸し出し、急坂の多い旧市街からは異国情緒も漂う。この町で過ごした1年半の時を、彼を宝物のように感じているという。

「名古屋から2013年の始めにニュルンベルクへ行って半年間プレーした後、ドイツに残る選択肢もありました。でも(ミヒャエル・ビージンガー)監督とは考え方が違った。監督に直接聞いて、もう必要とされていないと分かって『じゃあ、もういいや。出よう』と。結局、その監督は自分が出た後、解任されたんですけどね(苦笑)。そんな経緯があって日本に帰ることも考えたけど、せっかく外に出たし、『純粋にサッカーをやりたい』と思った。そこで新たに契約した代理人から紹介されたのが、ポルティモネンセでした。ポルトガル2部だし、いろいろ考えた結果、『とりあえず行ってみよう』という感じで。ノリだったのかな、その時は(笑)。スタジアム(ムニシパル・デ・ポルティモン=約6000人収容)にはお客さんが1000人もいないし、最初はビックリしたけど、意外と良かったんだよね。町を含めて雰囲気がいいし、ポルトガルのご飯もおいしかった。小さなクラブだけど、みんな変におごっていなくて、ホントに一生懸命だった。ポルトガル2部は未払いのクラブも結構ある。ポルティモネンセではそんなことはなかったけど、給料は安いし、勝利給もない。そんな状況でも選手たちは必死にやっている。ポルトとのアウェー戦なんてバスで8時間かけて移動したりしましたからね。そういう環境に行ってみたことで、『周りからどう見られたい』とか『変に個性を出そう』とは思わなくなった。ポルトガルにいれば日本人っていうだけで見た目から周りと違う。だからこそ飾ったりしないで、普通の素直な自分でいいのかなと感じました。日本を出る前は無意識にそういう感覚になっていた気がします」