ポルトガルで過ごした日々をしみじみと振り返る金崎。生まれ育った三重県津市でサッカーボールを楽しく追いかけていた少年時代に返るかのように、原点回帰の機会を得ることができたという。

 ポルトガルではプレースタイルにおいても劇的な変化があった。2013−14シーズン当初にポルティモネンセを率いていたアンゴラ系ポルトガル人のラザロ・オリベイラ監督は彼をMFからFWへとコンバート。最前線に陣取るようになったことで相手を背負ってのプレーや体を張ってのキープなどFWとしての動きを叩き込み、2シーズン目には半年で9得点をマークするに至った。

「最初の監督はものすごく熱い人。僕も試合になると結構熱くなるんで、『あんまり熱くなりすぎるな。冷静になれ。退場するな』って言われたと思ったら、次の試合で監督が相手の監督を殴って退席処分になっちゃった(笑)。戦術はロングボール主体だったけど、自分はシーズン途中で中盤からFWになって、そこでプレーが変わったのかなと思います。向こうは一対一のシーンが多いんですよ。日本はパンパンとパスを回して展開を速くするスタイルだけど、ポルトガルはガッツリキープして攻める。そういう環境で鍛えられたのは事実だと思う。違いを口で説明するのはホントに難しい。一番は体験してほしいけど、できないですよね(笑)。僕は自分の言葉によってサッカーの見方が絞られるのが嫌なんですよ。僕の目線だけじゃなくて、いろんな考え方があるだろうし、あまり固定して受け取ってほしくない。ただ、僕は向こうでとにかく必死にやってきた。試合に勝ちたくて、そのためにどうしたらいいかを考えた結果、体をぶつけてキープしなきゃいけないと。それを一生懸命やってただけ。サッカーはまずは『戦うこと』が大事。それをやってから個性を出しなさいって、自分たちのサッカーをやりなさいって。だからハリルホジッチ監督の言ってることは正しいと思います」

 地道にコツコツと自分と向き合い、ポルティモネンセの1部昇格に全力を注ぎ続けてきた金崎は、2015年2月に鹿島への期限付き移籍という形で約2年ぶりに日本へ復帰する。欧州内移籍はいったん諦め、自分がサッカーをしている姿を家族や応援してくれる人に見せたいと考えたからだ。気持ちを切り替えて戦った昨季の2015明治安田生命J1リーグでは27試合出場9得点をマーク。10月には約5年ぶりの日本代表復帰も果たした。

 ハリルジャパンとして迎えた最初のチャンスとなったシンガポール戦で得点を記録したことは、非常にインパクトの大きな出来事。そこには隠されたエピソードがあった。

「実はあのゴールは慎司さんのおかげなんです。試合前日のご飯の時、『監督にいろいろ要求されるけど、どうしたらいいですかね』と相談したら、『好きなようにやったほうがいいよ』って答えてくれた。それで僕は『分かりました』と返して、翌日の試合で思い切ってやれました。慎司さんもいろいろな監督の下でいろいろ言われきた結果の答えなのかなと。慎司さんはいい先輩ですし、ホントに僕からすると助かる存在です」

 尊敬する先輩と2トップを組んだ24日のアフガニスタン戦では2人揃ってゴールを決めた。岡崎は「夢生とは自分たちでそれぞれが勝手にやっている感じ。それが悪くないんですよね」と独特の言い回しで相性の良さを口にする。レスターでプレミアリーグ優勝争いの原動力になっている先輩が「異常なほどの結果を出すためには、やっぱり周りのことを気にするより、自分のことをまず考えていかないといけない」と語った真意を金崎は誰よりもよく理解し合っているはず。ゆえに、彼も代表だからといって肩ひじ張ることなく、自分流を押し出しているのだろう。