学生の窓口編集部

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古典の教科書でも定番の「平家物語」。冒頭の「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声」はあまりにも有名ですが、本当に聞こえるかギモンな「鐘」なのはご存じでしょうか? 「祇園」から京都の繁華街を連想するかも知れませんが、祇園「精舎」はインドにある寺院、しかも江戸時代までどこかはっきりせず、

勘違いして「アンコール・ワット」に参詣していたほど不明な場所でした。本当の祇園精舎に「鐘」が登場したのは2004年になってから……平家物語の「鐘の声」は、いったいどこの鐘? なのです。

■アンコール・ワットは「祇園精舎」だった?

鎌倉時代に書かれたとされる平家物語は、教科書や問題集で一度は目にしたことがあるでしょう。その名の通り「平家」の栄枯盛衰(えいこせいすい)を記したもので、書き出しの部分はあまりにも有名。

 ・祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声

 ・諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり

今風に訳すと、諸行無常は「世の中はすべて変化する」といった意味で、平氏がどんなに栄えても、衰えてしまったのは防ぎようのないこと、祇園精舎の鐘にはそんな響きが感じられる、といったところでしょう。この切なくも詩的な表現は多くのひとがご存じでしょうが、じつはかなり??? な話、祇園精舎の場所すら正確に把握していなかったからです。

「祇園」は舞妓さんで有名な繁華街なのに対し、祇園「精舎」はインドの寺院が定説……日本に鐘の音が届く可能性は限りなくゼロですね。また、長いあいだ「アンコール・ワット」が祇園精舎と信じられ、そうとは知らず大勢が参詣… まったく違う場所に訪れて「ありがたや」と手を合わせていたのです。

なかには手本にならない例もあり、アンコール・ワットに「落書き」をしたひともいます。江戸時代の武士・森本右近太夫は、遺跡にわざわざ自分の名を書き記していったのです。

 ・寛永9年(=1632年)

 ・海上を数千里渡って、祇園精舎まで来た

 ・4体の仏像を奉納した

と、ちょっと恩着せがましい内容ですね…。この件からも、多くのひとがアンコール・ワットを祇園精舎と信じていたことが読み取れます。

■2004年からやって来た「鐘の声」

場所よりも決定的なのは祇園精舎には「鐘」がなかったことで、鐘の音からどんな印象を受けるか以前に、聞くことすらできなかったのです。

祇園精舎の鐘には諸説あり、小型のものはあった、なんて話もあります。ただし、私たちがイメージする「お寺の鐘」=梵鐘(ぼんしょう)は、2004年に寄贈されるまで存在しませんでした。もし平家物語の通り「鐘の声」が聞こえても、除夜の鐘でおなじみのゴーンという音色ではないのは確かです。

江戸時代になっても場所すら不明……鐘が登場したのは21世紀と聞くと、いったい何の「声」だったのか気になりますね。もしかしたら隠されたメッセージかも ? と考えると、古典の勉強が楽しくなるかも知れません。

■まとめ

 ・平家物語の書き出しの「祇園精舎」は、インドの寺院

 ・多くのひとが「アンコール・ワット」を祇園精舎と信じ、お参りしていた

 ・鐘が寄贈されたのは2004年。それまではなかった説が有力

(関口 寿/ガリレオワークス)