数千年の結婚観を打ち破った新しい価値観「裸婚」とは?−中国
最近、「80後」世代の婚姻生活を反映したテレビドラマ『裸婚時代』は新しい話題を呼んでいる。社会の共鳴と議論が絶えないドラマ『裸婚時代』は愛し合う恋人が親の反対を退けて「裸婚」を貫いた物語である。
「裸婚」というのはカップルが経済的に何もない状態で結ばれる結婚を指す。家、車も持たないのは勿論、結婚式も挙げないで、ひいては結婚指輪すらない状態で、結婚証をもらうことだけで新婚生活が始まるのが「裸婚」である。
主人公の劉易陽と童佳倩は家や車を持たない状態で、両方の親の激しい反対を退けて「希望の裸婚」を果たす。しかし「裸婚」からくる辛い思いは後を絶たない。初めに上がってくる問題は住む所であった。新婚夫婦の住む所をめぐって両方の両親がお互いにいがみ合う。ようやく住む所は劉家に決まったが、次に上がってくる問題は嫁姑問題である。嫁の童と意地悪い姑との対決は相当なものになる。姑に嫌味を言われ、意地悪される童をみていられない童の母は童の姑と喧嘩する。両方の親の間で激しい戦争が起きる。その戦争に巻き込まれた新婚夫婦は心を傷つけられる。この新婚のカップルは「裸婚」の辛さをたっぷり味わう。
「裸婚」は2008年にネットで流行った新しい造語である。その造語は現代人の生活からのブレシャーと現代人の婚姻の「自由」と「独立」を反映している。今の新しい世代にとっては、婚姻での結婚式の重さはますます軽くなっている。だから、「裸婚」は「80後」世代の新しい結婚の仕方だとも言える。
「裸婚」は現代人の婚姻に対する理解の変化でもあり、婚姻においての金銭観念の変化でもある。20世紀80年代には「結婚三大件」(結婚する時、必需品としての三つのもの。当時には腕時計、自転車、ミシンである)という言葉が流行っていた。21世紀初からには「有房有車」(家と車を持つ)が結婚相手を選ぶ基準になっている。その背景からみると「裸婚」は現実的にも、社会的にも大きな意義を持っていると言えざる得ない。
「裸婚」「半裸婚」は「結婚革命」を起こし「新結婚時代」を開こうとしているかも知れない。しかし、社会学者は「裸婚」「半裸婚」という結婚の大半はやむを得ない選択であるとみている。もちろん、「裸婚」は社会輿論でさんざん話題された「こう老族」(親のすねかじりをする子)に比べると逞しい一歩を踏み出したと言える。「裸婚観」は賛成するに値する。「裸婚」は新しい世代の伝統観念に対するチャレンジ精神と夢に対する追求精神の現れである。
「裸婚」は社会へ新しいメッセジーを伝えている。「裸婚」「半裸婚」の流行は無駄遣いを抑えて、浪費のないライフスタイルの構築にも意義がある。もっと大きな意義は楽観的な態度で現実に向き合う若者の精神状態にある。そういっても、「裸婚」から垣間見る社会経済の格差と不動産の異常な騰貴という現実から目を逸らしてはいけない。その問題の解決には政府と全社会の力が不可欠になる。
「80後」世代の選んだ「裸婚」という結婚の仕方は社会の理解と尊敬を得ている。社会の観念も日ごとに変わるし、人の選択も多様である。それはまさに社会の進歩である。ネットでは、「裸婚」が社会に呼び掛けるスローガンになっている。そのスローガンには伝統の風習に対する反抗のメッセジーを込められている。横行する贅沢な結婚を反対して、簡潔な結婚を導くその呼び掛けは肯定すべきである。
「裸婚」は数千年の結婚観念の束縛を破った新しい価値観であることは間違いない。しかし 「裸婚」の背景には社会分配の不公平という恐ろしい原因が横たわっている。結婚して独立生活をしようとする若者が「裸婚」という結婚の選択は「家も車も貯金もない」状況でやむを得ない選択である。住宅価格の高騰、結婚コストの値上がりのなかで、親のすねかじりをしない限りには家を買って結婚できるのはあり得ない戯言(たわごと)に過ぎない。現実には、普通の若者は「家を前にしては溜息をつくし、車を前にしては涎を垂れる」ばかりである。しかしお金持ちと官吏の子女にとっては、家も車も掌を返すように簡単に手に入れることができる。
「裸婚」に反映された社会問題を解決するには政府の努力が必要になる。まず、政府は社会保障システムの完備に力を入れ、弱者グループが社会の脇に追いやられないようにするべきある。次に、収入分配制度を改革して、一般労働者の収入を引き上げて、一般労働者でも家を買えるようにすべきである。その次には、税金などの手段で高所得グループの一部分の財を再分配して社会の格差の拡大を食い止めるべきである。そうして始めて、「裸婚」に反映される問題の解決が可能になる。(編集担当:祝斌)
