9条2項前段は、昔の日本人のような気概があれば運用できないことは無いのだが、望むべくもない。アメリカに何か言われるたびに中途半端に解釈を変えるくらいなら、変えた方が良い。

 深刻なのは後段だ。「国の交戦権はこれを認めない。」とある。どういうことか。「国際法上認められた権利の一部を行使しないこと」である。さすがに、小学生的要約では、意味がわからない。

 国際法は、要するに戦争のルールである。戦争は悲劇である。しかし、現実には無くならない。ならば少しでも悲劇を軽減しようとの趣旨から、国際社会で合意された掟が、国際法である。たとえば、「すべての国は軍隊を持つ権利がある」「すべての国はどの国と同盟を結ぶも自由である」「すべての国は自衛の為に戦う権利がある」「国際法を守って戦った戦闘員には、保護される特権と名誉がある」のように。

◆放棄したと解釈される範囲も伸び縮み

 ただ、このようにすべての国が認め合っている権利を放棄する国もある。たとえばスイスである。スイスは永世中立国なので、「すべての国はどの国と同盟を結ぶも自由である」との権利を放棄している。それに伴い、義務が生じる。特に重要なのが、「交戦する当事国双方の敵として振舞わねばならない」である。実際、スイスは二つの世界大戦で、国境を越えた国に対してはイギリスだろうがドイツだろうが戦いを挑み、戦死者も出している。これを中立義務と言う。

 我が国も、国際法の権利の一部を放棄していると解釈していた。その放棄した範囲が、これまたアメーバのように伸び縮みしている。

 最初は「ICBMの保持」「戦略爆撃機の保持」「戦時における中立国船舶の拿捕」のような、言ってしまえば「やらんでいい」ことに限定していた。裏を返せば、それ以外はなんでもやってよかった。

 ところがいつのまにか、やっていいことを限定し始め、「小銃(ライフル)は戦力に当たらない」「原爆保有は不可」「軍艦は中間で不明」と言い出した。これでは、やっていいことと悪いことが曖昧で、軍隊として動きようがない。

 今さら憲法解釈を元に戻せまい。ならば、どのように憲法9条を変えればよいか。2項削除が最もすっきりする。

 ただし、その後も解釈論争を続けるのでは意味が無いが。

―[言論ストロングスタイル]―

【倉山 満】
皇室史家。憲政史研究家。1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『噓だらけの日本近世史』が2月28日より発売