大鵬、朝青龍、武蔵丸、白鵬を超えた「前代未聞の大記録だった…!」横綱・大の里が”初めての負け越し”を喫した歴史的意味

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入門以来、初めての負け越し

横綱大の里は、令和5年5月が初場所なので、プロになってまだ3年である。

「幕下10枚目」に付け出され、幕下2場所、十両2場所で幕内に入った。

幕に入ってから11勝、11勝、12勝優勝、9勝、13勝優勝と5場所で大関になった。

すごいスピードである。

大関は4場所。

9勝、10勝のあと12勝優勝、14勝優勝で、令和7年7月場所から横綱である。

横綱としては、11勝、13勝優勝、11勝、10勝。

ものすごいスピードで横綱に駆け上がり、17場所続けて勝ち越している。

令和8年3月場所は、初日から3番続けて負けて、翌日から休場した。不戦敗がつくので0勝4敗11休。

初土俵以来、18場所めで初めて負け越した。(0勝4敗11休は15の負け越しと同等に扱われる)

横綱5場所めで、入門以来、初めて負け越したのだ。

「初めての負け越し」が遅すぎる。ちょっと異様である。

歴代の横綱でもそんな力士が見あたらない。

のちの大横綱でも、若いとき幕内で一度は負け越すものである。いわゆる「壁に当たる」といわれるやつである。それを乗り越えて、大関になり横綱になり、そのまま勝ち続ける「大横綱」となっていくのである。

大鵬、朝青龍、白鵬、武蔵丸も負け越し経験あり

わかりやすい例は通算32回優勝の昭和の大横綱・大鵬幸喜である。

十両を4場所で抜けた大鵬は、昭和35年1月場所に新入幕で12勝をあげたが、3月場所前頭3枚目に上がって7勝8敗と負け越す。

ただ負け越しはこの1度きり、次場所は11勝して小結に上がり、11勝、12勝、13勝優勝で大関、そのあと5場所で横綱に上がった。そのまま勝ち続け、次に負け越すのは(休場するのは)横綱になって26場所めのことになる。

朝青龍も入幕してから横綱まで14場所で駆け上がったが、小結のときに1度だけ負け越している。

白鵬は入幕してから横綱まで20場所、うち2度負け越している。

幕内に入ってから、負け越さずに横綱になったというのは、近年では武蔵丸くらいである。

武蔵丸は幕下の2場所めに負け越して以来、55場所連続で勝ち越している。連続勝ち越し記録を保持しているのだが、ただ、入幕して横綱になるまで8年42場所かかっている。8勝や9勝が続いて関脇や大関に留まりつづけていた。つまりは「上位の壁をつき破れていなかった」ということでもある。

また、一度ながら幕下で負け越しているので、大の里のように「入門以来負け越しなしで横綱になった」わけではない。

戦時中、横綱に昇進した「照國」

相撲の記録はどうしても「近年では」という但し書きがついてしまう。

なので、ここでは少し遡って「入門や入幕から勝ち越し続けた力士」を探ってみる。

入幕以降、負け越さずに横綱になった力士はそこそこいる。

たとえば照國。

戦時中、昭和18年に横綱に昇進した大正生まれの力士である。

昭和14年夏場所に入幕して以来、7場所連続11勝以上をあげて、横綱に昇進した。

ただし、年2場所の時代である。本場所での年間取り組み数は30番だけだった。当時も地方場所はもちろん開催されていたのだが、本場所にはカウントされず、そちらの成績は除外されている。

その照國も、十両にあがった場所で負け越して一度、幕下に落ちる。それ以外にも「新序」のときに負け越しがあり、大の里のようにデビュー以来負け越さずに横綱になったわけではない。

大正時代の名横綱・栃木山

さらに遡ると大正時代の名横綱中の名横綱である栃木山も負け越していない。

あの、天下無双、めちゃくちゃ強かったときに「禿げてきちゃったから、やめるわ」で有名な栃木山である。(諸説あるのだが、わたしはそうだとおもいこんでいる)

大正4年春場所に十両に上がって以来、ほぼ負け越しなく、大正7年の夏場所横綱に昇進する。

ただ、大正4年夏場所の成績が「5勝4敗1引分」で、これを勝ち越しといっていいのかどうか、わからない。そもそも一場所が10日だった時代で、「預り」「引分け」もあるから、比べようがないのである。キチキチっと勝ち負けを決めないという鷹揚さがもともとの相撲の世界にはあるのだが、このころはそれが如実であった。

その気分はじつはいまでも底のところで継続されているとおもう。

明治を代表する大横綱、角聖と呼ばれた常陸山も、入幕して2場所めは土俵あがらず全休、しかし番付据え置きでそのあと勝ち続けて横綱になる。

事情がわからないので、勝ち越しを続けていたのかどうか判断がしにくい。

大の里が負け越したのは「怪我のせい」

さらに番付をさかのぼっていくと、いろいろと勝ち続けの力士は出てくる。

たとえば実質初代横綱の谷風は、全盛期は負け越しどころかそもそも負けなかった。

安永7年春場所から、天明6年冬場所まで、9年間で1回しか負けていない。(江戸での本場所のみ)

ただこの9年間の前半、安永年間はずっと関脇で、大関にすらなっていない。もちろん横綱と書かれている番付は存在しないので、「横綱になるまで」という比較がむずかしい。

横綱が番付に載り始めるのは明治20年代からである。

そこから比べても、大の里は異様であり、異能であり、史上稀に見る特異存在であることはわかる。

そのわりに、熱狂的に騒がれていない感じがする。

その大の里が、デビュー以来18場所めで負け越しとなった。

「上位の壁」に当たったわけではなく、また、周りにその取り組みが研究されたから、というわけでもなさそうである。

「怪我のせい」というところがとても心配である。

そもそも、古来、ほとんどの関取が必ず「上位の壁」にぶちあたのに、大の里だけがそういう目に遭わなかったのがとても不思議である。

大相撲デビューしたときからずっと「まわりを圧倒する存在」であり続けていた、ということである。なぜそんな存在が突然、あらわれたのか。

相撲の神様に選ばれた存在だった、と考えるしかない。そうおもう。

だからこそ、怪我、というのがとても心配になってくる。

大関・安青錦も先場所で初めての負け越し

入門以来、ずっと負け越しなしでやってきていたのは大関の安青錦も同じである。

安青錦のデビューは大の里の2場所あと、令和5年9月場所からである。

日本の高校や大学での実績はないので前相撲から取っている。

令和5年11月場所は序の口で優勝、明けて令和6年1月に序二段で優勝、3月場所で三段目を通り抜け、5月に幕下になる。幕下を3場所で抜けて、十両2場所、令和7年3月場所には幕内に入った。

幕に入ってから、4場所連続して11勝、11月場所に関脇で優勝して大関昇進、令和8年1月場所は大関で優勝して、横綱昇進かと期待された。

その3月場所で、7勝8敗と1つの負け越し。彼もまたデビュー以来15場所連続して勝ち越していたのに、16場所めで初めて負け越した。

大関になって2場所めで「壁」にぶちあたったことになる。

そこまではずっと「周りを圧倒する存在」であった。

「初土俵から9場所で入幕」というのは歴代1位の早さながらほかにも何人かいるのだけれど、「初土俵から三役までが12場所」、「大関まで14場所」となると他に例を見ない。安青錦だけの記録である。

ひとつところに留まらなかった。

低い体勢で取って、引かれても絶対に落ちることがないという取り口で、圧倒していった。幕内に入って上位に上がっていくとき、安青錦はぜったいに前に落ちないというイメージが強かった。引かれて手を突くシーンをあまり見なかった。その型で圧倒していた。

ただ、幕内上位まで来ると、トップグループだから、やっと同じ相手と何度も対戦するようになる。

5月夏場所は大の里、安青錦、義ノ富士に注目

安青錦に強いのは、まず大の里、あとは王鵬と義ノ富士、そして大栄翔などである。

大の里や義ノ富士が勝つときは、最初から安青錦にもぐりこませない。突き放して体を起こしてそのまま外に出す。大型力士にそうされると、安青錦は弱い。

いわば、そういう取り口を研究されて、やっと幕内上位5場所めで、「上の壁」に当たったという感じである。もう大関なので、「幕内上位陣みんな」が壁になっているという感じである。

はたして、相撲人生初の負け越しのあと、どうなるのか。大横綱と呼ばれる人たちは、すぐに突き破り、次の次元へと進んでいったのだが、安青錦はどうか。5月場所を刮目して見るしかない。

あと、もうひとり、義ノ富士も、初土俵以来、負け越しがなかったのが、前2人と同じ、令和8年3月場所で初めて負け越した。前頭筆頭で7勝8敗。

幕下付け出しでデビューしたのが令和6年5月。

幕下5場所、十両2場所で駆け抜け、令和7年7月場所から幕内デビュー。

11勝、8勝、9勝、8勝と来て、5場所めに負け越した。まだ三役にも上がってないので、順当な「上位の壁に当たった」ということだろう。

ただ、大の里、安青錦、義ノ富士と、初土俵以来、負け越したことのなかった三力士が、令和8年3月大阪場所でまとまって負け越してしまった。

因縁を感じるところである。

何かが動いたのか、何かの風が吹いたのか。

三力士とも、5月夏場所で再び「圧倒的な力量」を見せつけるのだろうか。

目が離せない場所となる。

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