「内定ゼロで卒業」「面接官5人中4人が不採用」それでも“女子アナ”になれた44歳芸人の就活すべらない話【その後、社内恋愛で失敗して…】
「実は、面接官5名のうち4名が私を不採用にしたらしいんです。でも、バラエティ班の制作部長が…」
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学生時代、「内定ゼロ」で卒業を迎えたお笑い芸人の小林アナ。それでも諦めなかった彼女は、新潟県の地方局でチャンスをつかむ。だが、順調に見えたキャリアは「社内恋愛の失敗」で暗転することに──。異色のキャリアを歩み続ける彼女のインタビューをお届けする。(全4回の1回目/続きを読む)

元女子アナで知られる芸人の小林アナさん。卒業式まで「内定ゼロ」だったのに、どうやって女子アナに? ©橋本篤/文藝春秋
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女子アナ志望も「内定ゼロ」
――アナウンサーを目指したきっかけは何だったのでしょうか。
小林アナ 昔から目立ちたがり屋で、人前に立つ仕事がしたかったんです。でも、タレントになる勇気はなかったし、武器になるような特技もありませんでした。それでもアナウンサーだったら、入社試験に合格すればテレビに出られる。さらに正直にいうと、タレントと会社員の中間のような存在なので、親に説明しやすいだろうという打算もありました。
大学入試では、当時は1番希望していた英語学科よりも倍率が低めだったことから上智大学外国語学部ロシア学科を受け、運良く合格しました。入学後は放送研究会に入り、アナウンススクールにも通いました。上智のミスコンにも応募しましたが、書類審査落ちでした(笑)。綺麗な人が多かったのでハードルは高かったです。
――どうやって、アナウンサーの狭き門を突破したのですか?
念願のアナウンサーになれたけど…
小林アナ 大学3年生の夏から全国のテレビ局を受けたのですが、内定ゼロのまま卒業を迎えたんです。それでも、アルバイトをしながら就活を続けました。一度やると決めたからには、結果が出るまで諦めたくなかったんです。「絶対にアナウンサーになれる」という根拠のない自信がありました。そして半年後、たまたま中途募集のあった「新潟テレビ21」に採用していただくことができました。
――念願のアナウンサーになって、いかがでしたか?
小林アナ それが、予想外の厳しいスタートになりました。2004年10月に入社したのですが、同じ月の23日に「新潟県中越地震」が発生したんです。入社1ヶ月も経たないうちに、被災地で取材をしなければなりませんでした。
地名の読み方すら、まだすべて覚えられていなかったのですが、非常事態なので周りの方も新人指導どころではありません。私自身、何を聞いたらいいかも分からない中で、汗まみれで駆け回る日々が続きました。
――「新潟テレビ21」では、なぜ採用されたのですか?
面接官5人中4人が「不採用」
小林アナ 実は、面接官5人のうち4人が私を不採用にしたらしいんです。でも、バラエティ班の制作部長が「うちで引き取るから、ニュース読ませなくていいよ」と採用したと聞きました。私自身はニュースも読みたかったのですが、最初の頃は情報番組や現地レポーターばかりでした。
それが悔しかったので、誰よりも朝早く出社して、わざとみんなから見える場所で発声練習をしてアピールしました。毎日続けていると、「あいつ頑張ってるじゃん」という評判が広がり、ニュースを読ませてもらえるようになったんです。就活の時と同じで、「読ませてもらえるまで絶対諦めないぞ」という執念が実りましたね(笑)。
――その頃から、バラエティ番組は得意だったのですか?
小林アナ 番組内でミニコーナーを担当していて、企画、取材先との交渉、スタジオ出演まで自分でやっていました。金髪の三つ編みのカツラをつけ、レオタード姿の「フィット姉さん」というキャラクターに扮して、様々なフィットネスに挑戦していました。
当時は仕事のストレスで毎日お酒を飲んでいたので今より10kgほど体重が多く、フィットネスをしているのにどんどん太っていきました。でも、「大変だけど、みんなが笑ってくれるから楽しいな」と思ってました。
――順風満帆のようですが、なぜアナウンサーを辞めようと思ったのですか?
小林アナ 最初のきっかけは、社内恋愛の失敗でした。別れる時に少し揉めたので気まずくなってしまったんです。
それに、3年間アナウンサーとしてやりきった気持ちもあったので徐々に退職へ気持ちが傾いていきました。そんな時、ある方との出会いが決定打になりました。
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なぜ女子アナから女芸人に? その裏には「ある有名タレント」の存在があった――。
〈「私も人を笑わせたい」なぜ女子アナから芸人に…? 44歳女性の“大胆すぎるキャリアチェンジ”を決定づけた『有名タレント』の正体〉へ続く
(都田 ミツコ)
