「膵臓がちぎれ」交通事故で7回手術。痩せこけた体で絶望の天井を眺めた女性が知った「痛みの恐怖と私の役目」
助手席で遭遇した、居眠り運転による凄惨な交通事故。原形をとどめないほど大破した車体の中で、歯科医師・鹿乃さやかさんの膵臓(すいぞう)はちぎれた──。7回の手術、3か月の入院。水1杯すら口にできず、ガリガリに痩せ細った体で絶望の天井を眺め続けた日々。「痛みの恐怖」をみずから痛感したことで見出した「私の役目」とは。
【写真】「膵臓がちぎれた」あの日から現在まで。懸命に生きる鹿乃さんの記録(全16枚)
アレルギーで苦しむも…ポジティブ思考の原点は
── 幼少期はアトピーや食物アレルギーで苦しまれたそうですね。お母さんが鹿乃さんのアレルギー対応をされていたとか。
鹿乃さん:そうですね。特にアトピーは重度で、毎日血だらけでした。食物アレルギーで給食がまったく食べられなかったので、ひとりだけお弁当を持参。でも母は本当に根気よくケアしてくれて。だからつらい記憶はないんです。冷静に考えたら大変な状況だったと思うけれど、家族がつねに前向きで、当時から本当に大事してもらってきたのが、今の私の超ポジティブ思考のベースになっていると思います。
── そんなご家族のもとで育ち、その後は大学の歯学部へ進学。進学先はお父さんの影響だったそうですね。
鹿乃さん:はい、父が実家の愛媛で歯医者をやっていたんです。小さいころは親の仕事にそれほど興味はなかったのですが、学校帰りに患者さんによく声をかけられて。「昨日は歯が痛くて眠れなかったけれど、あなたのお父さんが治療してくれたおかげで今は痛くないよ」と感謝されたんです。そのときに「歯医者って人の痛みを取り除ける素敵な仕事なんだな」と初めて感じて。それがきっかけで、歯科医を目指すようになりました。
音楽フェス帰りの車で交通事故。瀕死の大けがを負い
── 24歳で晴れて歯科医師になり、3年目。順風満帆だった26歳のときに人生が一変したそうですね。
鹿乃さん:2019年7月、音楽フェスの帰りも同乗していた車が居眠り運転で速度感知機に激突。車体は原形をとどめないほど大破しました。どうにかして事故を防げなかったのかという後悔の思いもありますが、運転者は軽傷ですみ、助手席にいた私が大きなケガを負ってしまって…。膵頭部(すいとうぶ)断裂、つまり膵臓がちぎれ、腰椎も骨折。肺や肝臓などあらゆる臓器を損傷し、ICU(集中治療室)へ緊急搬送されました。
── 手術は合計7回にも及びます。想像を絶する苦しみだったはずです。
鹿乃さん:退院まで3か月。ICUでは面会も制限されたうえ、その後も膵臓が損傷しているため、2か月間は腸に直接栄養を送る生活。水1杯すら口にできませんでした。ボロボロに痩せこけた私を見て、見舞いに来た友人がショックで泣き崩れるほど。普段はポジティブな私ですが、動かない足で天井を見つめ続ける毎日に、一時は「死にたい」という思いが頭をよぎりました。
その傍らで、入院中のお年寄りたちが「こんなご飯いらない」と拒否している。それぞれの事情や病状もあったと思いますが、私自身精神的な余裕がなく「なんて贅沢なことを…」と感じたりもしました。でもそれと同時に、「いや、こんなところで人生終われない。早く退院して自分の思うように生きたい」って強く思うようになりました。
「どうして私だけ」という恨みを、使命感に変えた“奇跡”
── 事故を起こした運転手の方は奇跡的に軽症だったそうですね。やりきれない思いを抱くこともあったと思います。
鹿乃さん:正直「どうして私ばかり」という気持ちはありました。幼少期も重度のアトピーや喘息で苦しみ、アレルギーで自由にものも食べられない。それを乗り越え、やっと歯科医になれたのに…って。でも、主治医から「普通なら歩けるようになるのも難しい大ケガだった」と聞き、後遺症なく回復していく自分の体に、何かの使命を感じたんです。
── それが、現在の「歯科恐怖症を救う」という活動に繋がった?
鹿乃さん:入院中、看護師さんとの何気ない会話にどれだけ救われたか。その経験から「人と話してエネルギーを与えること」の大切さを再確認しました。歯科医には「怖い」というイメージがつきまといますが、自身が痛みの当事者になったからこそ、その恐怖を誰よりも理解できる。まずは自分の姿を知ってもらうために、配信アプリでの相談を始めました。
1.3%の歯科医しか持たない難関に合格し「痛くない治療」を
── 30歳で独立。歯科麻酔認定医という、非常に難易度の高い資格も取得されています。
鹿乃さん:歯科医のわずか1.3%しか持っていないとも言われる難関試験でしたが、どうしても必要だったんです。点滴から鎮静剤を入れることで、寝ているような状態で治療ができる「静脈内鎮静法」。これなら、歯医者が怖くて虫歯を放置し、歯を失ってしまう人をゼロにできる。患者さんから「寝て起きたら終わっていた。先生のおかげです」と言われるたび、父の背中を追って歯科医を目指したころの情熱が蘇ります。
26歳で瀕死の事故に遭うなんて思いもよらなかったし、理不尽な状況に絶望した時期もありました。でも「これは神さまに与えられた試練なんだ。きっとこれからものすごいいいことが起こるに違いない、後悔しないように生きたい」って思ったんですよね。その信念があったからつらいリハビリも頑張れたし、YouTubeや病院の立ち上げなど、過去の自分だったら絶対にチャレンジしていなかったことを実現できたんだと思います。
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壮絶な苦しみを経て、痛みの当事者として「救う側」に立った鹿乃さん。みなさんは、病気やケガの絶望から救ってくれた言葉や、忘れられない「医療現場での経験」はありますか?
取材・文:池守りぜね 写真:鹿乃さやか
