平塚中継所で襷を受け取った本多健亮【写真:産経新聞社】

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第102回箱根駅伝

 第102回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が2、3日に行われ、青学大が3年連続9度目の総合優勝を果たした。関東学生連合はオープン参加での出場。4区で起用された東京大大学院修士課程2年の本多健亮は1時間3分25秒でタスキを繋いだ。大学1年の時から5000メートルの自己ベストを1分30秒伸ばした努力家。学業と並行しながら箱根まで辿り着いた秘訣を聞いた。

 淡青のユニホーム。「東京大学大学院」の文字を胸に相模湾沿いを駆けた。当日のエントリー変更で関東学生連合の4区を任された本多。大島史也(法政大)から託されたタスキをしっかりと高橋歩夢(明治学院大)に繋いだ。「昔の競技力からは考えられないところまで来た」。24歳の院生は、12月の合宿で取材した際にこう口にしていた。大学4年まで、箱根駅伝は視界にすら入っていなかった。

 陸上を始めたのは中高一貫の名門・麻布中に入学してから。もともと50メートル走が好きだった本多は陸上部に仮入部したが、中学受験明けだったこともありジョギングだけでヘロヘロに。「こんなにキツイんだったら逆にやりがいがあるんじゃないか」と入部を決意した。

 中学1年の10月で短距離から長距離に転向。きっかけは、タイムが伸び悩んでいた時に先輩から「長距離は努力したら伸びるから」とアドバイスを受けたこと、そして米ボストンで働いていた父親のもとに家族で一緒に引っ越すことになったことだ。中2の3月まで約1年半ボストンに滞在。クラブチームでクロスカントリーなどに取り組んだ。

 帰国後も麻布中で競技を続け、そのまま麻布高に進学。南関東大会を目標に汗を流したが、都大会でも下位に沈み「1回自信をなくしたところもあった」。高校時代の5000メートル自己ベストは15分53秒。東大理科一類に現役合格したが、大学で陸上を続けるつもりはなく、自転車競技部の体験に行った。だが、ペダルに固定した足を外すことができず転倒。「これは向いてないな」と断念した。

「何もやらないよりは」と陸上部に入部。「上を目指すことはあまり考えていなかった。(5000メートル)14分台出せたらいいな」と箱根で走ることは想像もしていなかった。それでも「練習した成果がタイムという目に見える形で出る陸上の面白さ」に魅了され、淡々と練習を重ねた。大学1年時に15分43秒だった自己ベストが4年時には14分16秒に。「そこまで来たら箱根行くか」と野心が芽生えた。

研究室に1日9〜11時間こもる日々「練習に行けなくなることも」

 現在の自己ベストは14分03秒。大学1年から約1分30秒も更新した。大学2年から始めた1万メートルは33分50秒台から29分18秒13まで成長。タイムをここまで伸ばせた秘訣は「安定して距離を踏めたことが大きい。コンスタントに練習する中で着実に地力を伸ばせた」。月間500キロを最低限とし、試合がある月は600キロ、ない時は900キロ、時間がある時は1000キロを目標に練習を組んできた。

 とはいえ、学業と両立する中で練習時間を作るのは簡単なことではない。工学部物理工学科を卒業し、進んだ東大大学院では工学系研究科物理工学を専攻。「中赤外パルスを用いた化学反応制御」を研究テーマに、朝10時から夜7時、遅ければ11時ぐらいまで1日9〜11時間は研究室にこもる日々だ。

「実験がうまくいかないと練習に行けなくなることも。今日何キロ走るつもりだったけど、実験が長引いちゃったから削らなきゃ、みたいなのはどうしてもある」

 強豪校と同じようにはいかない。ポイント練習がない日は、家から研究室までの約10キロをジョギングで移動する“登下校ジョグ”を敢行。「自分のライフスタイルと両立するような形で練習スケジュールを組んでいく。(東大ランナーは)練習時間を確保する努力がみんなうまい。時間がない中でもなんとか練習しようという気持ちがある」のが文武両道の秘訣だ。

 ロールプレイングゲームのレベル上げを楽しむように――。「目の前のゴールを追っているうちに、なんか気づいたら箱根が見えるところに来ちゃった」と笑った本多。今後は博士課程に進学する予定だ。日々レベルアップする快感をモチベーションに、コツコツと積み上げた努力。その先は伝統の箱根路に繋がっていた。

(THE ANSWER編集部・鉾久 真大 / Masahiro Muku)