古代の天皇陵、実はほとんどが別人の墓!それでも宮内庁が頑なに学術調査を拒む理由【後編】

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初代神武天皇から飛鳥時代最後の文武天皇まで、42人の天皇の約9割が別人の墓に葬られている可能性が高く、本来の墓(真陵)が特定されている天皇は、わずか5名・4基に過ぎない。

なぜ、このようなことが起きてしまったのか。そして、なぜ陵墓を管理する宮内庁は、その問題に正面から向き合おうとしないのか。本稿では、この謎を2回に分けて考察していく。

※【前半】の記事↓

[後編]では、宮内庁が頑なに陵墓・陵墓参考地への学術調査を拒む理由について述べていきたい。

仁徳天皇の陵墓に治定される大山古墳(Wikipedia)

学術的に天皇の真陵と確実視できる古墳

[前編]で述べてきたように、陵墓および陵墓参考地への立ち入りや学術調査は、宮内庁によって厳しく制限されている。しかし、宮内庁が公式に治定する古墳とは別に、天皇の真陵である可能性が高いと確実視されている古墳が存在することもまた事実である。

そのような古墳は、古墳時代の天皇では、26代継体の今城塚古墳(大阪府高槻市)、29代欽明の見瀬丸山古墳(奈良県橿原市)、32代崇峻の赤坂天王山古墳(奈良県桜井市)。そして、飛鳥時代の天皇では、37代斉明(35代皇極が重祚)の牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)、42代文武の中尾山古墳(奈良県明日香村)が挙げられる。

斉明天皇の真陵として確実視される牽牛子塚古墳(撮影:高野晃彰)

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この5つの古墳は、考古学的および文献学的見地から、それぞれの天皇の真陵として確実な古墳とされる。しかし、宮内庁はこのような学術的見地を無視し、江戸時代に比定された古墳を頑なに治定し続けているのだ。

江戸時代に新造した古墳も天皇陵に治定

真陵ではない古墳が天皇陵として治定されていること以上に衝撃的なのは、江戸時代に新たに築造された古墳までもが、宮内庁によって天皇陵と指定されている点である。

その一例が、21代雄略の御陵である。宮内庁はその陵墓として、大阪府羽曳野市にある丹比高鷲原陵を治定している。しかし、この古墳は幕末期に、隣接する円墳である高鷲丸山古墳と、方墳である平塚古墳を人工的に連結し、前方後円墳の形へと改変したものである。

人工的に前方後円墳に改築された丹比高鷲原陵(Wikipedia)

そのため、これが雄略の真陵である可能性は極めて低く、誰が見ても本来の陵墓とは言い難いのである。

また現在では実在性がほぼ否定されている、初代神武から9代開化までの陵墓もその多くが江戸時代に築かれたものだ。このような古墳の正体は、自然の丘であったり、別人の古墳を意図的に改造したものなのである。

宮内庁が陵墓の学術調査を拒否する理由

古墳には、古代史の謎を解き明かす鍵が秘められている。発掘などの学術調査を行い、その実態を解明することで、新たな発見がもたらされる可能性が大きい。

しかし、そこに宮内庁という壁が立ちはだかる。日本最大の前方後円墳は全長486mの大山古墳(大仙古墳・仁徳天皇陵古墳)だ。この大山古墳を頂点として30位までの大きさの前方後円墳の内、23基が宮内庁の管理する陵墓・陵墓参考地であり、調査が行えない古墳となっているのである。

古墳は規模の大小を問わず、歴史的遺産として大きな価値をもつ。しかし、とりわけ大規模な古墳は、天皇や皇族といった高貴な身分の人物が埋葬されている可能性が高く、その調査によって歴史認識が大きく転換する可能性さえある。そうした観点からすれば、多くの陵墓および陵墓参考地は、未だ解明されていない歴史の核心に触れる手がかりを秘めているといっても過言ではない。

全国第2位の規模を有する誉田御廟山古墳は応神天皇陵に比定(Wikipedia)

それなのになぜ宮内庁は、陵墓・陵墓参考地の学術調査を頑なに拒むのか。そこには、陵墓は皇室の祖先の墓として、現在も祭祀が行われている神聖な場所だという考え方があるようだ。

つまり、天皇であってもひとりの人間であることに変わりはなく、学術調査という名目であっても、他人の墓を暴くことは許されないという立場をとるのである。また、現在の陵墓治定についても大きな誤りはないとする見解に立ち、その根拠として、江戸期から明治期にかけて当時の最高水準の学者たちが調査にあたった結果であることを挙げている。

さらに、今城塚古墳や牽牛子塚古墳のように、現代の考古学的見地から天皇の真陵である可能性がほぼ確実とされる古墳に対しても、墓誌などの直接的な証拠が出ない限り断定はできず、治定の変更などは考えられないと主張する。

宮内庁により継体天皇の真陵を否定される今城塚古墳(Wikipedia)

そのため、今後においても陵墓・陵墓参考地に対する積極的な学術調査が許可される可能性はほとんどないと結論づけている。

しかし現実には、宮内庁が治定する陵墓の多くで、被葬者である天皇と古墳の築造年代が著しくずれているという事実は否定できない。それでも、まったく別人の古墳を陵墓として祀り続けることは、むしろ天皇に対して失礼極まりないのではないだろうか。

※参考文献:矢澤高太郎著『天皇陵の謎』文春新書