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貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第18回は「夏休み格差について」です。

【写真】ヒオカさんが大学のゼミ合宿で訪れた瀬戸内海。旅に行けるように

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私にとっての「夏休み」のイメージ

「夏休み」と聞くと、どんなイメージが浮かぶだろう。
紐づくワードは行楽、帰省、観光など、心躍るようなものが多い。
しかし、少なくとも私にとっては、夏休みはいいものではなかった。

学生時代、学校は決して好きとは言える場所ではなかった。
でも、かといって家にも居場所はなかった。
エアコンがなく、真夏はとても暑い。
本をはじめ、ゲームなどの娯楽品はないに等しかった。

一方、友達の家は広く、漫画や最新のゲームなど、あらゆるものが揃っていた。
普段は友達の家によく遊びにいった。
といっても、片道10キロかかる家もあった。
ど田舎の過疎地であるため、校区がだだっ広いのだ。

そのため親に送ってもらうほかなかったのだが、母は働きに出ていたし、時折無職になる父は機嫌のムラが酷く、機嫌の良い時しか送り迎えを頼めなかった。

夏休みは友達も「おばあちゃん家に行く」「家族と××に行く」とよく遠出した。その間遊ぶ相手もおらず、暇を持て余した。

一方うちは夏休みでもどこにも行かない。家族で旅行にいったこともない。
さらに、父方、母方の祖父母は私が3歳になる頃には3人が亡くなっており、唯一生存していた祖母も九州の離島にいて、ほとんど会ったことがなかった。

親戚づきあいと呼べるものがなかったのだ。

さらに、夏休みは給食もなくなる。
貧困家庭の子どもたちにとって、給食は貴重な栄養源だ。
家だとおかずは基本1品、多くて2品。
おやつもない。
給食は唯一のご馳走だった。
夏休みは給食が恋しかった。


給食は貴重な栄養源でありご馳走だった(写真提供◎photo AC)

唯一の居場所、公立の図書館

そんな私の唯一の居場所だったのが、公立の図書館だ。
といっても、実家のある校区には公共の施設は皆無。
車で20分ほどかけて市街地に行かなければ図書館はない。

市街地の中学に通うことになり、中学生の時から公立の図書館に通えるようになった。
その図書館は、自習が許可されていた。

図書館によっては自習を禁止していたり、禁止していなくても自習する人を目の敵にする人がいたりするという。

しかし、私の通っていた図書館は、十分なスペースがあり、席に余裕もあったためか、自習する学生が多く、それにとやかく言う人などいなかった。

正直、家では勉強する気力が全くおきない。

暑さで脳みそが溶けそうで頭が働かない。さらに、しょっちゅう激昂する父がいたため、極度の緊張状態が続いた。父の怒鳴り声がすると、体が震え、心臓がばくばくして勉強に全く手が付かなかった。
さらには家はとても汚く、勉強机もない。

小学生の時、私はいつも宿題をため、夏休みが明けてもほぼ手付かずで提出する科目もあり、担任の先生に呆れられていた。

本に触れる機会もなかったせいか、本を読むのも大嫌いだった。読書感想文を書くために学校の図書館で借りた本を無理矢理読もうとしたが、ページをめくるのが苦痛だった。

勉強や読書をする気力がわいて別人になった

しかし、図書館という居場所が出来て、私は別人になった。
貪るように本を読み漁るようになったのだ。
静かで空調が効いている開放的な空間にいると、自然と勉強や読書をする気力がわいてくる。

本当に、私にとって唯一の居場所が図書館だった。
生命線だった、と言えるだろう。
図書館が休館の日は本当に憂鬱だった。


自然と勉強や読書をする気力がわいてくる。図書館で私は別人になった(写真提供◎photo AC)

貧困家庭に限らずとも、家庭不和などで家に居場所がないという子どもたちはきっと少なくない。そんな子たちにとって、夏休みは試練である。

貧困家庭の子どもたちは、「体験」において圧倒的な格差に直面する。
国立大学法人お茶の水女子大学による研究(『保護者に対する調査の結果と学力等との関係の専門的な分析に関する調査研究』)によれば、高所得者層ほど美術館や博物館、科学館などに行く頻度が高いという。

いわずもがな、旅行をはじめ文化体験をする機会も多くなるだろう。
さらに、高所得者層ほど蔵書数も高い傾向にある。
こういった要因が、子どもの学力にも影響を与える。

そういった《文化的》体験はお金がかかる。だからこそ、無料で提供される体験は貴重なものとなる。

自分と同じような立場の子を思うと胸が痛い

私が「公共」で「無料」のものに救われたのは、図書館だけではない。
行政が主催するイベントだ。
私も例に漏れず、文化的体験をする機会は本当に少なかった。
しかし、いまでも忘れられないのが、母が連れて行ってくれた無料の天体観測のイベントだ。

天体望遠鏡で覗いた星座はあまりに美しく、はじめてみた土星の輝きには心を奪われた。
これをキッカケに図書館で星座の図鑑を読むようになり、自由研究のテーマも星についてになった。
思い出という思い出が乏しいなか、こういう体験は本当に貴重なのだ。


無料の天体観測のイベントは天体に興味をもつ機会をくれた(写真提供◎photo AC)

夏休みなどの長期休暇は、各家庭に過ごし方がまかせられる分、普段からある格差が顕在化しやすく、広がりやすい。
そしてそんな格差は見過ごされやすい。

お金がある家庭の子たちは夏期講習などに行き、空調の効いた部屋で勉強に勤しむ。
旅行に行き、遠出をして、色んな思い出を作る。
一方貧困家庭の子たちは学習環境もない家で過ごす。
中には食事だって十分にとれないことだってある。

大人になり、都会に出てくると、NPOなどのいろんな支援団体が、貧困や教育格差を解決するために様々な取り組みをしていることに驚いた。


学習ボランティアがいたり、子ども食堂があったり、無料でPCを貸し出してくれたり。

一方で、そういった団体が皆無で、どんな支援も届かないであろう過疎地の地元を思い出す。
今でも第二の自分のような子が、自分と同じような夏休みを過ごしているかもしれない。
そう思うととても胸が痛いのである。

前回「ついに訪れた推し・羽生結弦のプロ転向。〈報われない努力もある〉〈叩かれればきつい〉正直な告白にも救われた」はこちら