なぜ、コロナワクチン接種の現場で仕事を請け負う医師が少ないのか。麻酔科医の筒井冨美氏は「日給10万円の求人が出ても手を挙げる医師があまりいないのは、厚労省が求める被接種者への“適切な説明”に多くの時間を要すること。また、接種現場での医師の任務が具体的に何か、設備や薬剤は十分か、最終的な責任者は誰にあるのか、が見通せないことにある」と指摘する――。
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■「日給10万円」でも医師がコロナワクチン接種の任務を拒む理由

2021年4月、日本でも高齢者を対象にした新型コロナウイルス(以下コロナ)のワクチン接種が始まった。だが、現在のところの日本で唯一認可されたファイザー社のワクチンの扱いは、インフルエンザワクチンのように簡単にはいかない。「保管には−75℃の超低温冷凍庫が必要」「3週間おきに2回の接種が必要」だからだ。

政府は「5月中に東京と大阪に1日1万人規模の接種会場を設置」と発表するが、接種会場が計画どおりに運用されても「東京都民1400万人の半数がワクチン接種2回完了」するには、年中無休でも4年もの年月を要する計算になる。東京オリンピック・パラリンピック2020どころか、4年後のパリでの大会にも間に合わない。

「医師募集 コロナワクチン接種の問診 東京都23区内 日給10万円」

そんな中、4月ごろから、医療系人材紹介のホームページでコロナワクチン業務の求人情報を見かけるようになった。

2020年のコロナ禍においては、医療の現場でフリーランス医師の需要が減って、特に東京都心部ではその単価も下がった。「高齢者の外出自粛による受診控え」「不要不急の手術の延期・中止」などで、コロナ対応をしていない医療機関が総じて“閑古鳥”だったからだ。ただし唯一、高値維持された業務がある。それは、「発熱外来」など感染リスクの高い仕事だ。

日経メディカルの調査(2008年)によると、医師の平均年収は1410万円(平均41.5歳)。高収入を得ている医師にとっても、前出の「ワクチン接種の問診日給10万円」はそれなりに魅力的な案件に映ってもおかしくない。

しかし、応募者が少ないのか、同様の求人広告は複数の人材紹介サイトで検索可能である。なぜ、医師は手を挙げないのか。いや、挙げたくても、挙げられない事情があるのだ。

■「日給10万円」実はそんなにおいしくないウラ事情

【コロナワクチン接種の流れ】

現在の高齢者向け接種は以下のような手順で行われている。医師の主な仕事は(4)問診と(7)急変対応だ。接種そのものは、看護師が務めることが多い。

(1)事前の接種予約(オンライン/電話/自治体窓口)
(2)当日の書類チェック(接種券/問診票/身分証明書/予約確認など)担当:一般事務職
(3)業務効率化のために看護師による予備問診、検温、お薬手帳チェック
(4)本問診:医師

「血液をサラサラにする薬を飲んでいる」「過去に予防接種でアレルギー」など、「要注意」な接種希望者は、医師がさらに詳細な問診を行い、そうでない人にも簡単な問診を行い、予防接種の可否を判断する。

(5)接種 担当:看護師など(薬液充填は薬剤師などが担当)

予防接種は看護師が担当することが多い。現在、歯科医師による筋肉注射も検討中。

(6)経過観察15分 担当:看護師など
(7)急変対応 担当:医師
(8)何もなければ帰宅

■接種の現場で「適切な説明を」言うは易し、行うは難し

厚生労働省発行の「医療機関向け手引き」には、コロナワクチン接種に関してこう記載されている。

「予防接種の有効性・安全性、予防接種後の通常起こりえる副反応やまれに生じる重い副反応、予防接種健康被害救済制度について、新型コロナワクチンの接種対象者又はその保護者がその内容を理解しうるよう適切な説明を行う」

適切な説明を、とサラリと書いてあるが、これが大きなネックなのだ。

なぜなら、簡単な問診でも2〜3分はかかり、少し念入りに説明すれば1人30分必要となることもある。「難聴」「認知症」などがあればさらに時間が必要だ。また、昨年、「マスク着用を拒否して途中降機」した航空機の乗客のように、半ば確信犯的に医療従事者を困惑させる人も、少数ではあるが確実に存在する。

ワイドショーや週刊誌では「ワクチン接種後に26歳が急死」といったドキッとするような記事が出ることもある(※)。また、ネットを検索すれば「コロナのワクチンにはマイクロチップが入っていて、5G電波で操られる」のような根拠不明な情報も散見する。

※編集部註:2021年2月17日から4月27日までにコロナワクチン接種後の死亡として報告された事例は19 件。厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会などが4月30日に発表した資料では、この19件すべてが現状、専門家は「情報不足等によりワクチンと症状名との因果関係が評価できないもの」としている。

こういう不安や陰謀論にナーバスになってしまった人に対する「適切な説明」には何時間必要になるか見通すことができない。

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筆者の見立ては、現在のシステムでは「問診2分+書類1分」ペースで順調にこなしても、「10時間ノンストップで1日200人」が限界であると思われる。仮に、途中で「テレビで○○と言っていた、大丈夫ですか? 何かあったら責任取ってくれるんですか!」などと詰問されたら、時間のみならず精神的にもかなり消耗するのは確実だ。

逆に問診の結果、「接種は不適当」と判断した場合にも、「納得できない」「差別された」「コロナになったら責任とってくれ」などと食い下がられる可能性がある。作業はそこで完全にストップする。

■「急変対応」ってどこまで? 設備や薬剤は? 最終的な責任者は?

急変対応の多くは「迷走神経反射」などの一時的な気分不快だが、まれに「アナフィラキシーショック」などの生死にかかわるアレルギー反応が報告されている。

これらの応急処置や薬剤投与は医師の仕事となる。慣れた病院の診察室とは違って、体育館やテントなどの急ごしらえの接種会場で、どの程度の薬剤や設備があるのか。不安に思う医師は少なくないはずだ。

また、薬品には「プラセボ効果」のみならず「ノセボ効果」もある。

「頭痛に効く薬」と強調して、患者にはカプセルの中に飴などを入れたものを服用してもらうと、不思議と回復に向かうのがプラセボ(偽薬)効果だ。逆に、「この薬は副作用が多い」と強調して飴を渡すと不快な症状が出てしまうのが、ノセボ効果である。

報道などで「コロナワクチンは危険!」といった情報を見聞きした人の中には、この「ノセボ効果」だけで気分が悪くなる人が出現する可能性は十分ある。接種の現場でこういう不安感を解消できるような時間的な余裕があるのかどうかも懸念されるところだ。

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厚労省の手引きでは「接種対象者が接種医の名前を確認できるようにする」とある。そして、接種の数日後ぐらいに「心筋梗塞」「脳出血」などが発生し、不幸な転帰をたどった場合、説明責任は発注元の市町村にあるか、医師個人にあるのか、(今のところ)明言されていない。これも「手を挙げる医師が少ない」理由のひとつだろう。

■医師はバカではない「政策の失敗は接種会場では補えない」

「戦略の失敗は戦術で補うことはできない」

これは東洋における孫子の兵法と並んで古典的な名著として名高い『戦争論』を著したプロイセン将校カール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780年-1831年)の言葉だ。

コロナワクチン接種に関しても「政策の失敗は、個々の接種会場で補うことはできない」のを、医師たちは何となく感じているから、手を挙げたがらないのではないか。

前出の「医療機関向け手引き」にあった、「適切な説明」というシンプルだが、どこか空疎な言葉。政治や行政の責任を、現場に押し付けるだけでは、今後も必要な医師数は確保できないだろう。

「ネットやタブレットなどIT活用で効率的な問診」
「集団接種に非協力的な人は、(航空機内における機長のように)医師の判断で接種拒否できる」
「不測事態の最終責任者を明示」

などの現実的なガイドラインを制定することが、回り道のようでいて安定的な医師確保の近道になるだろう。

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筒井 冨美(つつい・ふみ)
フリーランス麻酔科医、医学博士
地方の非医師家庭に生まれ、国立大学を卒業。米国留学、医大講師を経て、2007年より「特定の職場を持たないフリーランス医師」に転身。本業の傍ら、12年から「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」など医療ドラマの制作協力や執筆活動も行う。近著に「フリーランス女医が教える「名医」と「迷医」の見分け方」(宝島社)、「フリーランス女医は見た 医者の稼ぎ方」(光文社新書)
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(フリーランス麻酔科医、医学博士 筒井 冨美)