同じような話し相手にもかかわらず、会話が楽しいときと盛り上がらないときがある。なぜその差が生まれるのか? どうすれば中身のある話ができるのか? 気鋭の脳科学者が会話のメカニズムを明らかにする。

■違う目的地に着いた「会話の達人」

世の中には楽しい会話ができる人と、話すとまわりをイラつかせてしまう人がいます。その差はどこにあるのでしょうか。会話でまわりをイラつかせるのは、脳の働きでいうと、共感の回路に原因があるかもしれません。脳には、相手の気持ちを推し量ったり気遣ったりする「心の理論(セオリー・オブ・マインド)」という働きがあります。会話が下手な人は、この共感の回路が発達していない可能性があります。

写真=iStock.com/twohumans
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/twohumans

相手に共感できない人は、その話にも耳を傾けません。これが相手をイライラさせる源になります。というのも、聞きベタは話しベタであり、聞き上手イコール話し上手であるからです。

僕が「会話の達人」と聞いてすぐに思い出す人物は、文化庁長官も務めた心理学者の河合隼雄さんです。河合さんはタクシーに乗ったとき、ただ相槌を打っているだけなのに、運転手さんがいつのまにか身の上話を始めて、まったく違う目的地に着いたことが何回もあったとおっしゃっていました。相手に関心を持って適切に相槌を打てば、それだけで相手を気持ち良くさせることができる。まさに会話の達人のなせるわざです。

聞き手はどのような人で、何に関心を抱いているのか。それに合わせて臨機応変に内容を変えてこそ、会話は盛り上がります。そして、相手に合わせるには、まず相手の言葉に耳を傾けて、いま心がどのような状態にあるのか推し量る必要があるわけです。

気づくと自分の話ばかりしてしまう人は、おそらく自分に自信がないのでしょう。自分がどう見られているのかということに気を取られて、相手に共感する余裕がないのです。一方、会話が上手な人は自分に自信があるから、自分のことをいったん忘れて相手に関心を向けられる。

会話は「根本感情」の設定も大事です。僕は落語が大好きで、よく聞きながら眠りについています。噺家は聞き手に好意を持って笑わせようとしています。その根本感情が伝わってくるから、聞いていて安心できるのです。

根本感情は、みなさんが思う以上に聞き手に伝わります。同じことを部下に注意しても、パワハラだと訴えられる人とそうでない人がいるのは、根本感情が伝わっているからにほかなりません。口では「おまえのためを思って叱っている」と言っても、根本感情が「怒り」ならば、聞き手は隠されたメッセージのほうを受け取ります。

アメリカの社会学者、ホックシールドは、労働には肉体労働や頭脳労働以外にも、感情を使う「感情労働」があると指摘しました。たとえばフライトアテンダントはお客から無理難題をふっかけられても、感情をコントロールして笑顔で対応しなければなりません。

会話にも感情労働の側面があります。相手に関心を持って、さらに根本感情として相手に好意を持てるか。それができる人が、まわりにも好意的に受け入れられるのです。

■「シャンプー」の語源を検索しない

会話して楽しい人とイラつかせる人の違いとして、自分の言葉で話しているかどうかも注目したいところです。

友達と会話をしているときに、ふと「シャンプー」の語源が気になったとします。みなさんは、その場でスマホで検索して正しい情報をもとに会話を続けるでしょうか。それとも想像を膨らませて「語感がアフリカの挨拶っぽいよね」「それより中国語に聞こえない?」と会話を続けるでしょうか。

僕は後者です。実際、シャンプーの語源がずっと気になっているのですが、語源については検索せず、正解を知らないまま会話を楽しんでいます。

最近、認知科学の領域で「グーグル効果」が知られるようになりました。グーグル効果とは、あとで検索できるという補足情報とともに情報を提示すると、記憶の効率が下がるとされる現象のことです。とはいえ、シャンプーの語源を検索しないのは、記憶の効率を高めたいからではありません。正解かどうかにかかわらず、自分の考えを普段自分が使っている言葉で話したほうが会話は弾むからです。

いまは情報のインフラが整っています。むしろ情報過多で、たいていの情報はすでに多くの人に共有されていると考えたほうがいい。誰でも簡単に正解にアクセスできる環境では、正解を話すことの価値は相対的に下がります。それとは対照的に価値が高まってきたのは、その人の見方や感じ方を話すこと。正解とは程遠くて、妄想に近いものであっても、自分の言葉で語り合うほうがずっとクリエイティブで、新しい発見につながるのです。

時事通信フォト=写真

アメリカのトランプ大統領、イギリスのボリス・ジョンソン首相に象徴されるように、いま世界ではアクの強い人物が政治家になって国を率いています。個性的な政治家が支持されるのは、けっして正しいことを言っているからではないでしょう。トランプ大統領もジョンソン首相も発言することで良くも悪くも従来の秩序を揺るがし、ゆえに彼らは支持されています。いまは正しいかどうかより、何かしらの動きをつくることに価値が出る時代なのです。

そうした傾向が求められるのは、会話も同じです。学者のように正しい情報を提供したり、評論家のように指摘をしたりするだけではみんな聞いてくれません。それどころか、口だけじゃないかと人をイラつかせてしまうおそれもある。それよりも現実で動きにつながる会話ができる人のほうがずっと好まれます。

たとえばタピオカブームについて、ブームの変遷を語るより、「あそこのタピオカ屋に行ってみよう」と行動を促したり、「行ってみたらおいしかった」と自らの経験を話す。そうやって行動と紐づけられる会話が、現代的な意味での「いい会話」だと思います。

■確実性の高い話だけしていてはダメ

どうして自分の見方や感じ方を話すことが、より価値の出る時代になったのでしょうか。

世の中はインターネットによって情報の共有が進んだ一方で、クラスター(集団)化という現象も起きています。かつてマスメディアが情報を握っていた時代は、みんながマスメディアを見ていたため、誰とでも話ができました。しかし、世の中が細分化されていくと、相手と話す前、お互いにどのクラスターに属するかを確認しないと、会話が成立しにくくなってきました。

異なるクラスターの人とは話題や言葉が違うから、話すのは億劫だと感じる人もいるでしょう。しかし、僕は異なるクラスター同士で出会ったときにこそ、最もおもしろい会話が起きると考えています。

小中学校の講演に呼ばれた際、僕が楽しみにしているのが、流行っている深夜アニメやライトノベルについて教えてもらうことです。大人たちが知らない話がたくさんあります。

脳科学茂木健一郎

知らない話で楽しくなるのは、脳には不確実性に対応できるキャパシティがあり、不確実性を喜ぶ性質を持っているからです。ただし不確実性ばかりでも不安や恐怖でストレスを感じるようになって、脳の活動は低下します。

既知の情報を話すのも悪いことではありません。たとえば、会ったときに「今日はいい天気ですね」「ラグビーの日本代表、頑張りましたね」とお互いによく知っている情報から入るのは、確実性が安定や安心をもたらしてくれるからです。しかし、確実性ばかりだと変化や刺激に乏しく、脳は成長しません。つまり脳の機能のためには、確実性と不確実性の両方が大切なのです。

ただし僕たちは普段、同じクラスター内で確実性の高い話ばかりする傾向があります。バランスを取るには、意識的に異なるクラスターの人と話して不確実性に出合ったほうがいい。

そこでおすすめしたいのが、仲間の少ない集まりに赴いて、「他流試合」に挑むことです。アウェーの会話を怖がる必要はありません。脳は状況に応じて何かのフリをすることができます。たとえば、もともとの自分がAなら、相手との関係性に応じてAダッシュ、また別の相手との会話ではAプライムというように、インターフェースを変えるのです。別人を演じるわけではなく、新しい自分が生み出されているイメージです。異なるクラスターと他流試合をすれば、新しい自分が生まれてくる確率は高い。それをお土産として持ち帰って自分のレパートリーの中に加えると考えれば、アウェーでの会話も楽しみになるのではないでしょうか。

アウェーでの会話は、アンチエイジングにもつながります。新しい状況、新しい自分に出合うと、ドーパミン系が活動しやすくなります。その結果、神経細胞の結合が強化されて強化学習が起こり、神経細胞全体のネットワークが強靭化していきます。逆にホームでの会話に終始していると、新奇性の刺激がなくて加齢が進みます。脳をイキイキとメンテナンスしたいなら、普段接触のない人との会話を楽しんだほうがいいでしょう。

■堀江貴文、落合陽一、西野亮廣の共通点

会話で相手をイラつかせてしまう人は、知らない間にマウンティングしているのかもしれません。学歴、職位、年齢、収入……。これらについて自分が上だという意識があると、会話にそれがにじみ出ます。下に見られたほうは反発して、自発的に情報交換しようとは思えないでしょう。

学識や経験に差があっても、それを笠に着るのは間違いです。いまの時代、学識や経験のある人でも、自分の専門分野以外は知らないことのほうが多いものですから。

たとえば「レッドストーン」をご存じでしょうか。これは小学生に人気のゲーム「マインクラフト」の中にある回路で、プログラミング教育の教材にも使われています。いまどきの小学生はレッドストーンを普通にいじっていて、先生たちよりずっとプログラミングの経験値が高い。もはや「先生だからよく知っている」「子どもだから知らない」という構図は通用しません。

実際、いま活躍して目立っている人は、みんな会話がフラットですよ。堀江貴文さん、落合陽一さん、西野亮廣さん……。彼らは学歴とか社会的地位で人を見ないで、その人が何を話しているのか、何をやっているのかで判断します。だから異なるクラスターの人ともスムーズに情報交換ができて、クリエイティブなアイデアが次々に出てくるわけです。

お互いにフラットだという意識があれば、自分が知らないことを聞いても恥だと思わず、素直におもしろがることもできます。僕はLINEもVineもTikTokも、みんな中高生から教わりました。もし謙虚さがなく、子どもに教わることに抵抗を感じていたとしたら……。いまのことを何も知らなかったでしょうね。

フラットな意識は、話者交代を促す意味でも大切です。喫茶店で、隣のテーブルの会話が耳に入ってくることがあります。よくあるのが、上司が部下に向かって延々としゃべっているケースです。このように話者交代がない会話は本当につまらない。実質的な情報の交換がなく、クリエイティブではありません。どちらか一方が話し続けるカップルの会話や、いつも同じ人ばかり発言する会議も同じ。会話の参加者がみんなフラットだと思えば、こうしたことは起こりません。10人いたら10人が平等に話者交代する会話のほうが、ずっと刺激的です。

■『TED』トークの時代は終わった

プレゼンにも人を魅了するものと席を立ちたくなるものがあります。

人を魅了するプレゼンというと、『TED』を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。『TED』の特徴の1つは、緻密に構成されたトークです。ジョークで聴衆を温めて、計算通りに結論に導いていくスタイルです。『TED』はたしかに革新的でしたが、いまはさらに一歩進んで、ポスト『TED』の時代になった気がします。

最近、アリババ会長ジャック・マーと米テスラCEOイーロン・マスクの対談動画を見ました。冒頭、ジャック・マーは「AIはアーティフィカル・インテリジェンスではなく、アリババ・インテリジェンス」とジョークを飛ばします。これは『TED』のスタイルです。それをイーロン・マスクは受け流すと、すぐにAI研究者の問題点について語り始めます。このように、演出や構成もなく、いきなり実質的な話題に入るのがポスト『TED』であり、いまはそのほうが人を引きつけると思います。

■もう1人あげるなら、グレタ・トゥーンベリ

その気質を持った人をもう1人あげるなら、グレタ・トゥーンベリですね。彼女は国連でもダボス会議でも、原稿を読みながらスピーチしていました。原稿を読むなんて、『TED』では考えられないことです。でも、実質的なことだけを飾らずに話すから、ヘタに演出するよりずっと説得力があります。

別の言い方をすれば、自分の中に熱狂や情熱があるかどうかです。情熱という感情は、偽ることができないといわれています。言葉や口調を飾ったところで、心からの主張であるかどうかは聴衆に見抜かれます。これは普段の会話も同じ。自分が夢中になっていること、心から納得していることを語る。それが相手の心を動かすのです。

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茂木 健一郎(もぎ・けんいちろう)
脳科学
1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科修了。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞受賞。『幸せとは、気づくことである』(プレジデント社)など著書多数。
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脳科学者 茂木 健一郎 構成=村上 敬 撮影=大崎えりや)