川崎製鉄とNKKの統合により誕生したJFEグループのトップとして、鉄鋼業界の国際的な再編のなかで経営を指揮、その後NHK経営委員会委員長や東京電力会長を歴任したプロ経営者でもある數土文夫さん。製鉄所のエンジニアとして技術畑を歩み、やがては経営の道へと進むなかで、歴史や中国古典を座右の書に「人間学」を学び、財界きっての教養人としても知られる。そんな數土流マネジメントの流儀の一部と、リーダーのための組織運営の知恵をご紹介しよう。(第1回/全2回)
写真提供=JFEホールディングス
2002年9月、日本鋼管(NKK)と川崎製鉄の株式移転によりJFEホールディングスが誕生。翌03年4月、JFEスチール、JFEエンジニアリングなど5社の事業会社が設立された。 - 写真提供=JFEホールディングス

■いまの自分の境遇なんて甘い

私の社会人生活のスタートは製造現場のエンジニアでした。

職場は川崎製鉄の千葉製鉄所で、23歳のときです。勤務は一日三交替。ある週の勤務が朝6時半から午後2時半、次の週は午後2時半から夜の10時半、さらに次の週は夜の10時半から翌朝の6時半までと、1週間ごとに勤務時間帯が変わりました。

4年10カ月間でした。

この三交替をやると、同じ社内であっても、朝から夕方までの通常勤務の同期と顔を合わせなくなる。孤独感にさいなまれました。

しかも身体のリズムが狂ってしまい、疲労がなかなか抜けません。ぐっすり眠ることができれば疲労も軽減したでしょうが、それもままならない。

そのときに救ってくれたものがありました。読書でした。

製鉄所近くにあった寮の一室で、いろいろ読みあさっていくうちに、こう思うようになったのです。自分より恵まれない環境にいながら、それをバネにして人生を乗り切った人がたくさんいるのだなと。

貧農の長男に生まれ、16歳のときに両親を亡くしたものの刻苦勉励した二宮尊徳がそうですし、借金だらけの米沢藩を立て直した上杉鷹山もそうです。西郷隆盛だって二度も島流しになっていますし、僧と入水心中を図りながら、奇跡的に助かっています。

皆、壮絶な逆境を経験している。それに比べれば、いまの自分の境遇なんて甘いものだと逆に奮起の気持が沸き上がってきたのです。

その恵まれない境遇というのには、もう一つ原因がありました。

■この若造はリーダーにふさわしいか

大学を出たばかりの23歳なのに、私は「現場の親分」でした。配下にいるのは社員、協力会社を含めて約500名で、現場でたたき上げられた40〜50代のベテランばかり。肩書が職長、組長とか、伍長とか。それにふさわしい、貫禄十分な風采の人ばかりです。

彼らが、言うことをなかなか聞いてくれない。何より面食らったのは、私の目の前で、火気厳禁の場所で煙草を吸ったり、貨車が上を走るレールのすぐ横に物を置いたり、職場のルールを平気で破ってみせることでした。

撮影=プレジデント社
中国古典では、『史記』『三国志』『管子』『韓非子』『孫子』のほか、経営者が読むのであれば『孟子』や、論理的で性悪説のはしりでもある『荀子』もおすすめという。 - 撮影=プレジデント社

私だけではなく、現場に配属された大学出の新卒エンジニアなら必ず同じ目に遭いました。この若造は自分たちのリーダーたり得るのか、見てやろうという、現場による人物鑑定の“試験”です。

それに対する反応はいろいろです。そもそも違反に気づかない人、気づいても注意する度胸がなく見て見ぬ振りをして立ち去る人、「違反ですからやめてください」と懇願する人、「駄目‼」と怒って事務所に連れていき、懇々と説教する人。

この試験に合格しないと、現場が認めてくれません。なかには自分は手を下さずに部下にやらせ、こちらの反応を観察している伍長や班長もいました。職長や組長は総じて人格者でした。

私はどうしたか。その光景を見るとすぐ「それはルール違反だ!」と言って、当の違反者とその上司である伍長や班長に事務所に来るよう命じ、そこで、違反者には何も言わず、徹底的に伍長や班長を叱り、指導しました。

それも、「あなたの指導が悪い」と、周りに聞こえるような大きな声で。

■『史記』や『三国志』に書いてある

若造の癖になぜそんなことができたかって?

そんなこと、『史記』や『三国志』に書いてあります。劉邦だって曹操だって、当たり前のようにそうやっていました。

古典は多々読みましたが、一番学ぶことが多かったのは中国のそれです。中国の古典には、葛藤、苦悩、決断に至るプロセスなど、登場人物の心の動きが仔細につづられているものが圧倒的に多いのです。

曹操はそのときどう思ったか、何に悩み、何に怒り、何に喜び、参謀とどんな話をしたか。思わず引き込まれます。中国の古典は「人間とは何か」を学ぶ絶好のテキストなのです。

ギリシアやローマの古典、あるいは古事記、日本書紀といった日本の古典も読みましたが、事実のみを坦々と描いているものが多い。

そういう意味で、人間を学ぶには中国の古典に如(し)くはない(及ぶものはない)といえるでしょう。

■「人を立てよ。立てれば立てるほど……」

読書のほか、若手のときに心がけたのが学術論文の執筆でした。件のような勤務状態ですから、製鉄所の外に出る時間も、外の人と会う時間もありません。その余った時間を使って製鉄に関する現場実験をし、その成果を技術論文に書きました。

初めに書いた論文は日本鉄鋼協会に投稿しようと思っていました。上司の掛長に許可を得るべく話をしたら、「俺の独断でイエスとは言えない。課長に聞いてみるから待て」と言います。投稿締め切りの10日くらい前のことでした。

ところが、待てど暮らせどお呼びがかからない。

写真提供:JFEホールディングス
冶金技術者として、戦後初めて銑鋼一貫製鉄所として建設された千葉製鉄所(現:東日本製鉄所千葉地区)で、社会人生活をスタート。写真は、千葉製鉄所第3製鋼工場(昭和50年代前半撮影)。 - 写真提供:JFEホールディングス

締め切りの日の朝になっても掛長からは何の話もありません。これは駄目なんだとしょげていたら、昼ごろになって呼ばれました。掛長いわく「課長と話して許可をもらった。ただし、条件がある」と。「どんな条件ですか」と聞いたら、「最初に課長の名前、その次に俺の名前、3番目にお前の名前。連名形式にするなら投稿を認める」というのです。

論文は、筆頭に名前が載っている人が主筆です。この書き方だと、課長が主筆、掛長が副首筆ということになる。

これに対し、私はどう言ったと思いますか?

「ありがとうございます。それでぜひお願いします。実は最初からそのような形式での投稿を考えていたのですが、そう申し上げずに、すみませんでした」

掛長の顔がぱっと輝きました。「よしわかった。締め切りは今日だろう。お前、すぐにこれを持って東京の鉄鋼協会まで行って投稿してこい。半休でいいぞ」と。

「それは私が一人で実験をしてまとめた論文ですから、単独名で投稿させてもらえないでしょうか」と言うのは簡単ですが、私はそう言いませんでした。

これも中国の古典に書いてあることだからです。「人を立てよ。人は立てれば立てるほど、立ててくれた人を評価する」と。

■それが人間であり、人間学である

もうひとつ、數土流の人間学を伝授しましょう。

私は31歳のときに初めて部下ができ、管理職の端くれになりました。掛長です。チームワークの重要性が身に染みてわかったのも、このときです。“One for All, All for One”(一人はみんなのために、みんなは一人のために)です。

ところが、大切なチームワークを、知らず知らずに阻害してしまうことがあります。それは、個々の部下に対する好き嫌いの感情が周囲に知られてしまうことです。

部下の名前を呼ぶとき、「數土!」と呼び捨てにした場合、好感を抱いて呼び捨てにしているのか、憎悪の気持で呼び捨てにしているのか、もしくは、取るに足らない奴と思っているのか、本人はもちろん、周囲の人はすぐに察知します。そうなれば、せっかくのチームワークが崩れてしまいます。

それに気づいて以降、私は社内の人をすべて「さん」づけで呼ぶことにしたのです。こうすれば、その人物に対する私の好悪がわからなくなる。部下にも上司にも新入社員に対しても、です。のちに社長になっても同じで、君づけもしたことがありません。

これには、私自身が、いずれ日本にも年功序列ではない、能力だけが評価される時代がくると考えていたこともあります。つまりは、いつ部下が自分の上司になってもよいという心構えです。年功序列は崩れると思っていました。『史記』や『三国志』には、年功序列はありませんでしたから。

さんづけの意義は、もうひとつあります。相手に対する敬意がそこはかとなく、自然に湧いてくるのです。困った人、取るに足らない人だとひそかに思っていても、さんづけをしているうち、いら立ちや苦々しい思いが和らいでくる。自然に、それなりにがんばっている人と思うようになります。

相手にもそれが伝わるのでしょう。仕事ぶりが大きく変わった人もいました。それが人間であり、人間学というものなのです。

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數土 文夫(すど・ふみお)
JFEホールディングス 名誉顧問
1941年富山市生まれ。64年北海道大学工学部卒業後、川崎製鉄入社。常務、副社長を経て、2001年代表取締役社長。最後の川崎製鉄社長として、NKK(日本鋼管)との経営統合によるJFEスチール設立を進め、03年初代代表取締役社長(CEO)就任。05年JFEホールディングス代表取締役社長(CEO)。10年相談役。豪腕の経営者として、11年日本放送協会経営委員会委員長、12年東京電力ホールディングス社外取締役、14年より同会長の要職も歴任。川崎製鉄では冶金技術者として多くの論文執筆と特許出願でも貢献したほか、中国古典に造詣が深いことでも知られる。19年旭日大綬賞受賞。
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(JFEホールディングス 名誉顧問 數土 文夫 文=荻野 進介 撮影=小川 聡)