バイセクシャルとパンセクシャルの違いは何か?困惑するLGBTQコミュニティ
パンセクシャルと名乗る人々の大部分は、このような定義をよしとしない。だからこそ、彼らはパンセクシャルという言葉を好むのだ。
バイセクシャルという言葉が普及したのは1976年、デビッド・ボウイがプレイボーイ誌とのインタビューで自らをバイセクシャルだと公言した時からだ。あの当時は、いまほど性別に対する微細な区分はなかった。だが、性別に関する理解が進んだいま、バイセクシャルはすべての性を包括するもの、という新たな定義を信奉する人々がいる一方で、バイセクシャルという言葉の代わりにより混乱の少ない新しい言葉、文字通り「すべて」を意味する「パン」の使用を呼びかける人もいる。
10代そこそこでバイセクシャルだとカミングアウトした22歳のイーサン・レミラードも、トルトレッラと同意見だ。「男性とは肉体関係をもちたいけど、女の子とは恋愛したい。だから僕は自分をバイセクシャルと呼んでいる。でも、パンセクシャルだとは思わないな。だって、トランスジェンダーの男性も女性も、異性愛者の男女と変わらないもの」
自分のセクシャリティや性別にあえて名前を付けない人々がいるのも、このような理由だ。端的にいえば、ややこしいし、名前を付けられるのに息苦しさを感じる人も多い。それに、自分のセクシャリティは自分の性を知ることから始まる。男なのか女なのか、自分でもはっきり分からないのに、どうやって自分のセクシャリティを説明できるというのか?
こうした背景から、いわゆる「クイア」という言葉が使われるようになった。
「私はクイアと呼ぶようにしている。自分がどのジェンダーなのか、まだ確信が持てないから」というのは、23歳のアーティスト、ジル・B。「クイアは自分が成長して、学んで、いろんなことを理解する間、何でも当てはめられるオールマイティパスなのよ」
複数の呼び名を使い分けることを厭わない人もいる。「カミングアウトしたばかりのころは、バイセクシャルと呼ぶのがぴったりだと思った・・・クイアという言葉は自分とはかけ離れている感じがしたし、ちょっと学術的で、押し付けられてるみたいでね」というのは、26歳のLGBTQ活動家、ライアン・キャリー・マホニー。「でも大人になるにつれ、クイアはそういうんじゃないってわかってきた。クイアは、いろんなアイデンティティ――バイセクシャルだけじゃなく、他の全ても包括し、人々をひとつにつなぎ合わせる。コミュニティ全体を表現する時、”ゲイ”という言葉が多様性を表すように、”クイア”はコミュニティ全体を統合するんだ」
現在キャリー・マホニーは2つの名称を使っている。「自分にはどっちもしっくりくる。手袋みたいにね。本当だってば。どっちも上手く使いこなしてるよ」
面白いことに、トルトレッラは自らのセクシャリティを語るとき――単純に人類だという場合を除いて――会話の相手や内容によって、呼び名を頻繁に使い分けている。
「相手が保守的で、男女以外の性があるとは信じていない人の場合は、バイセクシャルという言葉を使うほうが無難。でも、ジェンダーやクイアの問題に精通していて、それぞれのニュアンスの違いを理解している人と話すときは、パンセクシャルとか”自由な性”という言い方をする」
この場合”自由な性”とは、性的対象が時間とともに変化し、状況によって変わるということを意味する。
だが彼は、バイセクシャルという言葉には長い歴史があり、それを尊重するのも大事なことだとも力説する。
「Bという略語はPよりもずっと前から存在していたし、それはそれで意味があるんだ」とトルテッラ。「(僕たちがクイアを名乗れるように)戦ってきた、コミュニティのパイオニアたちへのオマージュなんだよ」
このように考えるのはトルテッラだけではない。BRCのブロンディも、「バイセクシャルの歴史は、私も個人的にリスペクトしている」と語る。「何十年もの間、世間に認められようとバイセクシャルの名のもとで戦ってきた。自分たちの存在を知らしめてくれたのも、この名前。オクトーバーがもはや1年の8番目の月じゃなくなっているみたいに((訳注:Octoとは、本来ラテン語で「8」を意味する))、バイセクシャルという言葉も当初とは意味が徐々に変わってきているんだと思う」
他の人々にとっては、バイセクシャルは種族の歴史ではなく、葛藤の末にようやく手にした個人のアイデンティティとなる。それなのに、今になってその呼び名は正しくないとか、時代遅れだとか、トランスジェンダーを嫌ってるとか言われるようになってしまった。それも、本来なら肩を抱き合うべき同胞たちから。
「僕はバイセクシャルという呼び名に誇りを持っている」と語るのは、ダニエル・セイント。彼は、人間関係やセックスライフのレッスンを提供する愛好会NSFWの創設者だ。「こういう風に考えられるようになるまで、30年かかったけどね。自分のセクシャリティには満足してるけど、パンセクシャルと言う言葉を使わないせいで、了見が狭いやつだと言われるのはたまったもんじゃない。包括的な新しい名称ができたからって、バイセクシャルを攻撃するべきじゃないよ。女性に惹かれないからといってゲイを責めたりしないのと同じように、バイセクシャルがトランスに惹かれなくても、バイセクシャルのせいじゃない」
バイセクシャルは異性愛者の男女にのみ惹かれるものだと考えるのは、セイントの他にも大勢いる。そして、多くのバイセクシャルの活動家たちが戦いを挑んでいるのは、まさに彼のような人々なのだ。
「もちろん、魅力的なトランスやノンコンフォーミングにも会ったことはあるよ。でも(彼らに対する)感情は、性的なものじゃなかったんだ」とセイントは続けた。「性的な感情よりも、彼ら自身、彼らの存在に対する敬意。セクシャリティに関わらず、相手に幸せになってほしいという思いなんだ」
果たして、トランスジェンダーやノンコンフォーミングに魅力を感じないのは、トランス嫌いになるのだろうか? もしそうだとすれば、LGBTQコミュニティは他の同胞を傷つけかねない名称に固執していることになるのでは?
「しばらくの間、バイセクシャルという名称に固執していた時があったの。パンセクシャルという言葉をもてはやす訳知り顔な人たちから、自分のアイデンティティを守るという大義名分でね」と言うのはジル・B。「最初は、バイセクシャルを守らなくちゃと思っていた。ストレートやゲイの人たちから圧力を受けたり、疎外されていた時みたいにね。船を導く船長のような。でも時間が経つにつれ、自分のセクシャリティの全容を正確に把握することのほうが大事だなと思うようになったの」
いずれにせよ、インタビューをした人々はみな口を揃えて、バイセクシャルやパンセクシャルの世界はすそ野が広く、複数の呼び名が共存する可能性がある、と言う。
「あらゆる人々を受け入れられる。僕たち全員がね。誰でも、自分が好きなアイデンティティを名乗る権利がある」とトルトレッラは言う。
多くの人々にとってバイセクシャルとは、パンセクシャルのような自由な性を包括する、大きなひとつの集合体。最近では、「バイ+(プラス)」という名称にして、広い意味でのバイセクシャルを強調すべきだという意見も出ている。
ジル・Bは、たとえバイセクシャルという名称が廃れても、クイアの世界には自由な性を受け入れる余地が残されていると信じている。「自由な性について対話が進めば、それが刺激になって、ストレートやゲイという言葉では十分表現できない存在が浮かび上がってくるでしょうね」
それでも、長い目でみたときに、あらゆるものに名称をつけることがコミュニティにいい影響を及ぼすかどうか、誰も確信できずにいる。ジル・Bの言葉を借りれば、「呼び名が増えているのは団結の証なのかしら? それとも分断の象徴? わからないわ」
