ラダメル・ファルカオが負傷したことを知った瞬間、僕は喜んだ。ブラジル・ワールドカップのコロンビア戦で勝てる可能性が、これで少し高まると考えた。

 彼の負傷から1週間が過ぎて、気持ちが変わってきている。

 本田や香川がもしケガをしたら、自分はどんな気持ちになるだろう。ワールドカップに臨む日本代表を思い、暗く重い気持ちを抱くに違いない。

 日本に住んでいる自分の気持ちなど、世界のサッカー界には何の影響もない。だからといって、ライバル国の主力のケガを喜んでいいものか。違う、と思う。

 東日本大震災が発生した直後、世界のサッカー界から様々な応援メッセージが寄せられた。多額の寄付を届けてくれた団体や個人もある。日本と具体的な縁を持たない団体、チーム、選手が、我々の国を励ましてくれた。

 所属するモナコはもちろん前所属先のアトレティコ・マドリーも、ファルカオにエールを送っている。「頑張れ」と書かれたTシャツを着て入場したり、電光掲示板にメッセージを記したり、選手個人がSNSを通じて応援をしたり──彼らからすればごく当然かつ自然の行動だろうが、とても尊いと感じる。リスペクトという言葉の意味を、改めて考えさせられた。

 かつてアーセン・ベンゲルに言われたことを思いだす。

 対戦相手がいなければ、ゲームは成立しない。審判がいなければ、試合は秩序を失ってしまう。観客がいなければ、試合は味気ないものになってしまう。グラウンドを整備する人がいなければ、選手は思い切って力を発揮できない。
 
 様々な人が様々な形でかかわることで、サッカーのゲームは行なわれる。自分ひとりではサッカーにならない。そうした思いを出発点とすれば、他者をリスペクトする気持ちが自然に育まれていく。
 
 ファルカオがワールドカップに間に合ったら、複雑な気持ちを抱くだろう。回復するために彼が費やした時間と努力に敬意を抱きつつ、それでもワールドカップのコロンビア戦を心配してしまう。不謹慎だと分かっていても、心に残念な思いが芽生える。
 
 ただ、ファルカオのいるコロンビアに勝ってほしいと、いまは強く思っている。