走れるのは1キロまで、修学旅行の大浴場には行けず、「左胸は小学生、右胸は成人女性のサイズで」…小児がんサバイバーを苦しめる“治療の後遺症”が残ったカラダとは
〈1歳で抗がん剤を投与されて髪の毛は全部抜け、肋骨は2本摘出、小学3年生時には母が血相を変えて…「世界で2番目にきつい抗がん剤」の投与まで経験した女性が忘れられない“幼少期の一番印象深い記憶”〉から続く
小児がんを克服した愛迷みんみんさんを待ち受けていたのは、治療の代償である「晩期合併症」だった。心機能の低下により運動を制限され、身体の左半分が成長しないためバストの大きさが左右で異なる事態に。修学旅行での孤立や女子校でのイジメ、自傷行為……。
【画像】左脇腹を写した上半身の写真。現在も身体に残る傷跡を「生き抜いた証だと思えるようになった」のだとか
思春期の少女を襲った過酷なコンプレックスと、それを「生き抜いた証」へと昇華させるまでの葛藤に迫る。

現在の愛迷みんみんさん
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放射線治療の影響で心不全に
――5歳までは病院での生活が長かった愛迷さんですが、そのあと、小学校に入学されます。小学校生活はいかがでしたか。
愛迷みんみん(以下、愛迷) 小学校は自宅近くの公立小学校に通いました。それまで運動をしていないので、徒競走はいつもドベでした。頑張っても、速く走ることができなくて。小学校高学年になると、心疾患と左側の肺が機能していないことがわかり、医師から「走ったとしても1キロまで」と制限をつけられてしまいました。
――心疾患は、ユーイング肉腫との関係があるのでしょうか。
愛迷 医師によれば「おそらく」ということなのですが、私は左胸に腫瘍があり、そこに放射線を当てています。ご承知の通り、左胸には心臓があります。放射線治療の結果、生命は助かったけれども、心機能が落ちてしまったのではないかということでした。
心不全であるかを調べる指標に、NT-proBNPというものがあって、この数値が125以上だと心不全の可能性が高いとされています。私は、毎朝数種類の薬を飲んでコントロールしていますが、だいたい数値としては800程度です。一番薬を飲んでいたときは、10種類を超えていたと思います。小学校高学年のときの数値がいくつだったのか、記録はないのですが、おそらく基準値を大きく超えていたのではないでしょうか。
――自覚症状としてはどのようなものがありますか。
愛迷 少し動くと息苦しくなりますね。具体的には心臓の弁の動きが健常者よりも悪いのと、左室駆出率も低くなっています。簡単に言えば、心臓のポンプ機能が悪くなってきてしまっているんですね。
――学生時代は、身体の傷跡がコンプレックスになってしまうのかなと思うのですが。
バストの左右差が大きなコンプレックスに
愛迷 なりますね。学校は、体育の時間の着替え、修学旅行などで裸になる機会が意外と多いんですよね。着替えについては、早着替えをすることでそんなにジロジロ見る人もいなかったと思うのですが、修学旅行のお風呂は嫌でした。中学生くらいになると、みんなは大浴場に行っているのにひとりだけ部屋のお風呂に入ったりしていましたね。
ただコンプレックスになったのは、傷跡だけではないのですが……。
――どういうことでしょうか。
愛迷 先ほど申し上げたように、身体の左の広範囲にわたって放射線を当てているためだと思うのですが、明らかにバストのサイズが左右で違うんです。もちろん、生命が助かったことは本当にありがたいことです。生命の重さに比べて胸の大きさの左右差など重要じゃないこともわかります。けれども、思春期の子にとって、自分が好きで病気になったわけではないのに、そういう姿を同級生に見られることは本当につらいことなんです。
――踏み込みすぎかもしれませんが、どの程度の大きさの違いがあるのか教えてください。
愛迷 右が平均的な成人女性のバストで、左が性成熟を迎える前の小学生の胸だと思ってもらって間違いがないかと思います。左胸だけでなく、周囲の筋肉なども成長していないので、やや身体がいびつになっています。したがって、たとえばバストの左胸に詰め物をすればそれで済む――という話でもないのが複雑なのですが。
――そうなのですね、当事者でないとわからない視点だと思います。コンプレックスを抱えて過ごす学生生活は、ままならないこともありましたか。
中学校ではイジメにあって…
愛迷 「自分はほかの人と違うんだ……」という思いが拭い去れず、つらい時期もありました。もともと、大人数でわいわい騒げるタイプの人間ではなく、休み時間もひとりで自席でよく寝てしまっていましたね……。中高一貫の女子校にかよっていたんですが、いわゆる女子校ノリとはちょっと違う性格だったこともあってあまり馴染めませんでした。
そうした環境下で、中学時代はいろんな子が順番に無視をされるイジメみたいなものが流行していたとき、イジメの対象になりました。
――具体的にはどのようなことをされましたか。
愛迷 無視をされる、靴を隠される……などですかね。中学時代は自分でも「生きているのがつらい」という気持ちが募ってしまって、自傷行為をしてしまったことがあります。これは母をたいへん悲しませました。自分は生きたくても生きられない子たちを間近で見てきたはずなのに、何をやっているんだろうと反省しました。
体の傷跡は「生き抜いた証」
――高校もイジメは続く。
愛迷 そうですね。当時、雑誌『Popteen』を愛読していて、読者投稿の欄に写真を送ったら採用してもらえたことがあったんですが、それを誰かが切り抜いて生徒指導部室の扉に貼ったりとか……そういう嫌がらせはありましたね。
ただその頃には、「生きているのがつらい」という気持ちになることはなく、自分の身体の傷跡をみても「これは私が生き抜いた証なんだ」と思えるようにはなっていました。信頼できる友人には自分の身体のことを話していたし、彼女たちも真剣に受け止めてくれたりもしました。
〈医学生の彼氏からは「治らない病気だから別れよう」と…難治性の希少がんに苦しめられる女性が経験してきた、異性からかけられた“ひどすぎる言葉”〉へ続く
(黒島 暁生)
