「思想としての育児」 [著]梶谷真司

 子を育てるとは、めまぐるしく変わる「正解」に振り回される経験でもある。育児にまつわる知に触れるとき、私たちはしばしば、以前は正しいと言われていた実践が実は誤りだったとか、その逆のことを言われて、右往左往してしまう。
 本書は、江戸時代の育児書を読み解きつつ、それ以降の育児書の記述の変遷にも目を配りながら、育児をめぐる知の諸相を探究するという、貴重な一書である。わずか数年前の常識すら崩れるのが珍しくないのだから、江戸時代の育児書が説く内容は、現在から見れば当然奇妙なものが多い。たとえば、女性は産後しばらく、養生のため、横になることも眠ることも許されなかった。
 また、一見すると現代と共通することが言われているように思えても、その理由づけや背景などが異なるケースも少なくない。たとえば、子どもをただ甘やかすことを戒める際には、子が長じて親への孝行や家の維持といった責任を果たせるようにするためだと説明される。子どもの体を大事にするべき理由は、それがその子自身のものではないからだと説かれる。入浴の勧めも、体に気を循環させるためという理由のもとに語られる。育児において「自然さ」が強調される際も、その言葉の中身は現在とは異なっている。
 本書が力点を置くのは、知の成り立ち、伝達、受容のあり方などに対してあらためて目を向けることの重要性だが、それがおのずと、親にかかるプレッシャーを和らげ、肩の力の抜き方を示すヒントにもなっているのが面白い。私も含めた世の親は、自分のしている育児が「正解」かどうか不安を抱え、「正解」を見つけなければならないという焦燥に駆られている。そのつど降ってくる情報にただ受動的に翻弄(ほんろう)されるのではなく、育児をめぐる諸々(もろもろ)の知から多少距離を置いて、それらを冷静に俯瞰(ふかん)的に捉え返す視座も、本書は与えてくれるのである。
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かじたに・しんじ 東京大教授(哲学、医療史、比較文化)。著書に『問うとはどういうことか』『哲学対話の冒険日記』など。