保護された少女が「父親を含む7人が殺害された」と証言…特捜班長(78)が初めて語る、「死体無き殺人事件」捜査はどのように始まったのか
〈「ノコギリで骨を切断し、鍋で肉を煮て…」家族内での殺人を命じ、死体の解体までさせた「北九州監禁連続殺人事件」いま明かされる捜査の断片〉から続く
男女7人が殺害された北九州監禁連続殺人事件の発覚から25年目となる今年、現場の指揮官として、捜査の全容を知る特捜班長が、初めてその重い口を開いた――。
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北九州監禁連続殺人事件とは
1995年から2002年にかけて、福岡県北九州市のマンション内で発生した監禁・連続殺人事件。犯人の松永太(逮捕当時40歳)が内縁の妻・緒方純子(同40歳)と共に知人や緒方の親族などの同居相手に対して脅迫・虐待などを相次いで行い、最終的には自分の手を汚さず、マインドコントロールにより互いに互いを殺害させるように仕向けた。一連の犯行は7年に及び、犠牲者は7人にのぼった。02年に監禁されていた広田清美さん(仮名、当時17歳)が虐待から逃れ、祖父母に助けを求めて脱出したことで初めて事件が発覚し、11年に松永の死刑が確定。共犯の緒方も無期懲役が確定した。
福岡県警捜査一課で特捜班長を務めた人物と対峙
先に記した通り、この事件発覚の初期から取材をしていた私は、捜査終結後も、犯人の松永太と福岡拘置所で面会を重ね、手紙のやり取りをするなどの取材を続けた。
それらに加え、現在は故人となったが、監禁されていた少女の祖父母に話を聞いたり、被害者の親族などにも近況を尋ねて回った。また、松永や緒方の過去を知る人物たちにも当たっている。
3世代の家族が全員殺害されるという、凶悪な事件が周囲に及ぼす影響を伝えることに、義務感に近い意義を覚えていたのだ。結果として、そうした取材で得た情報をまとめた『完全ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)という書籍も上梓している。
そんな、私にとって因縁ともいえる事件が発覚してから25年目にあたる26年1月のこと。私はTさんという男性と向き合っていた。
目の前で穏やかな笑みを浮かべるTさんは現在78歳。きれいに整えられた髪と、机上の整頓された書類に、真っすぐな性格が窺える。彼はこの事件において、福岡県警捜査一課で特捜班長を務めていた。以下、TさんについてはT班長と記す。
殺人や強盗など強行犯に対応する捜査一課だが、福岡県警本部ではその捜査一課のなかに、七つの特捜班が置かれている。1班は通常7名で編成され、県内で発生した、特別捜査本部が設置されることになる凶悪事件(特捜事件)の現場に向かう。
小倉北署が氏名不詳の松永と緒方を逮捕したとき、T班長の班は「本部一待機」という、最初に出動する班だった。そこで指令を受けて小倉北署に向かった結果、この事件の捜査の担当になり、約1年半の長きにわたって関わることになる。
私はこれまで、同事件の捜査の経緯について、福岡県警担当記者を介するなどして、間接的な情報を得ることしかできなかった。当然、捜査する側も、メディアに捜査情報が漏れないようにする「保秘」を徹底しており、得られる情報も断片的なものばかり。面どころか、点と点が線になることも少なかったのである。
「応援要請があっとんやけど、ちょっと行ってくれん」と言われ…
現場の指揮官として、捜査の全容を知る立場にあったT班長は、「言えないことも多い」としながらも、重い口を開いてくれた。その理由について、「難しいとされる『死体無き殺人事件』にどのように対処したのか、後進の者に伝えなければならないと思って」と語る。
もちろんそこには、事件解決のために奮闘する現場の捜査員たちの苦労と矜持を、少しでも知ってもらえればとの思いもあるようだ。
「みんなそれこそ寝食も忘れて、長期間にわたって家庭を顧みることなく、捜査に打ち込みましたからね。そんな部署があることも、伝えておきたいという気持ちもあります」
そう口にしたT班長は、24年前の出来事について、ついこの前のことであるかのように切り出した。
「(3月8日の)昼頃に、中村(俊夫)捜査一課長から呼ばれて、『小倉北(署)から少女監禁で、応援要請があっとんやけど、ちょっと行ってくれん』って言われたんです。まさかそれから1年半もかかりきりになるとは、想像もしとりませんよ……」
そのときT班は5名態勢だった(*後に宮崎県警からの研修生が加わり6名態勢になる)。少女監禁の事案ならば、少年課の特捜班が動くはずではと訝りながらも、「じゃあちょっと見に行こうか」と、班員を率いて小倉北署に向かったのだった。
「とりあえず行ったんですけど、とにかく署内がごった返している。それで2階にある刑事課に上がったら、奥の刑事課長の横の机で、誰かが座ってパソコンを打っているんですよ。まあ私も、長いこと刑事をやってますから、それが警察官じゃないことはわかりました。で、奥の部屋で管理官に話を聞くと、課長の横にいたのは、地検の検事とのことでした。なんでも保護された女の子が、自分の父親を含む7人が殺害されたことを、全部話しとるというんです」
検察官がこうして刑事課にいることも異例であるが、それにも増して、初期段階で少女がすべてを語っており、警察が犯行の全貌について把握していたという、予想外の事実に驚かされる。
「もちろん、最初は少女からそう聞かされた方も半信半疑ですよ。だけどそれで、彼女が言うてた場所にガサ(家宅捜索)をかけたら、実際に子供が保護されたりしとるでしょ。ああ、これは本当だってなったんです。そういうことを管理官と話しまして、『もうこれは一課長に言うて、うちが入りましょう』ってその場を離れたんです」
「これは長丁場ですね」
T班長と一緒に小倉北署に来た班員たちには、現場となった「片野マンション」などを、見に行ってもらっていたそうだ。
「まずはチャート図を作成しました。当時はまだ緒方が名乗ってないですからね。被害者は被疑者の女の家族として、夫婦、子供夫婦、その息子、娘という具合に作りました。それで、その日の午後8時ぐらいに中村一課長のところに行って、こういう状況ですから、明日から(小倉北署に)行きます、と説明したんです」

中村一課長は「ああ、わかった」との返答だったが、T班長には、そのときに現場を見てきた班員であるM係長が口にしていた、「これは長丁場ですね」との言葉が耳に残っている。実際、T班の5名は、この日から1年以上を休み無しで捜査に当たることになる。「働き方改革」が言われるようになる、はるか前のことである。
捜査本部が置かれることになる小倉北署の署長は、T班長のよく知る人物だった。
「署長はKさんという人で、僕が(県警本部の)刑事総務課の係長でおったときの管理官だったんですよ。で、9日に挨拶に行くと、『お前、大丈夫か?』と言うので、『いやいや、大丈夫とは言っても、こっちは5人しかおらんのですよ。まあ、よろしくお願いします。運だけはありますから』と言ったのを憶えてます」
T班長がそう口にしたのには理由があった。
「なんと言っても、すでに犯人は捕まっとるでしょう。そして共犯じゃないですか。今までの経験からしたら、どちらかが落ち(自供し)たら、相手も共倒れになりやすい。それに清美ちゃんがおる。彼女の証言があるし、事実関係証明書やら、電気を流したコードやらは、すでに押収されていましたからね」
松永は被害者の弱みをにぎる為に、被害者自身がなんらかの違法行為に関与したことを告白する、「事実関係証明書」という書類を書かせていた。
「殺しについては、うちがします」
この「事実関係証明書」については、後の松永と緒方の裁判でも登場しており、たとえば少女の父親である広田由紀夫さんの場合であれば、彼自身が不動産会社に勤務していた際に、消毒費用を着服したり、駐車場手数料を横領したことなどを、自筆で告白させている。そのうえで、〈どうか許して欲しい。以上のとおり記載した事実はすべて真実である。後日のためにこの書面を差し入れて証明する〉などと書かせ、末尾に作成の日付と本籍地、住民票上の住所地、現住所を記させ、署名、押印までさせていたのだった。
同様の書面はいくつもあり、それらはすでに、小倉北署による家宅捜索で押収されていたのである。
「最初の(松永と緒方を逮捕した広田清美さんに対する)監禁・傷害については小倉北署でやってほしいと。それで殺しについては、うち(特捜班)がしますからと話しました。あとは原武裕子さんの件もうちがすることになりました」
清美さんについては、彼女が保護された児童相談所で、小倉北署のY係長と女性警察官であるK巡査部長が話を聞いていた。
小倉北署では捜査本部事件が多く、戒名(捜査本部名が書かれた用紙)は署内に貼られていたが、実際に捜査本部が置かれたのは、小倉北署の横にある、自動車警ら隊などが入る建物の2階にある一角だった。
捜査本部の部屋に入り切らない捜査員、多すぎて読めない捜査報告
「小倉北署にはもう部屋がなかったんですよ。だから10人くらい入れば一杯になる部屋でした。ただまあ、(取)調べ官とかは、すぐ取調べに行っちゃうでしょう。巡査はそこに入ってこないから、私と事務担当のM係長くらいなんですよ。私はMちゃんと呼んでるんですが、彼に丸投げでしたね。毎日、捜査報告が上がってくるんですけど、全部彼が読んで、チェックをしていました。まずそうしないと、多すぎて読めないんですよ。それから各種書類の作成も全部M係長がやっていました。あと、彼の補佐に小倉北署のO巡査がついていて、2人で書類の管理をやっていたので、私が『××関係の資料が欲しい』と頼むと、棚からそのバインダーを出して、渡してくれるようになっていました」
県警本部の捜査一課から来た特捜班員以外に、特捜のなかには小倉北署員が31名いたが、全員が一度に捜査本部の部屋に入ることができないため、毎朝、署内の道場の一角に集まれる者を集めて、いまはどういう状況であるかを説明し、どのように捜査を進めてほしいかということを伝えていたという。
「上からは、情報が洩れるからと、必要最低限のことしか言わないようにと言われていましたけど、ただもう目の前のことだけをやらされていたら、この事件がどんなものかっちゅうのがわからないじゃないですか。自分のなかで咀嚼して動いてもらうために、そこは捜査員を信用して、ある程度の情報は与えるようにしていました」
このようにして、捜査本部は動き始めたのだが、「死体無き殺人事件」の捜査が一筋縄でいかない現実に、すぐに直面することになる。
《この続き(連載第2回)は「週刊文春 電子版」で現在配信中。犯行現場から指紋が一切検出されなかった理由や、3万点を超える証拠品が押収された捜査の舞台裏について詳報している》
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(おのいっこう/1966年、福岡県北九州市生まれ。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。「戦場から風俗まで」をテーマに、国際紛争、殺人事件、風俗嬢インタビューなどを中心とした取材を行う。著書に『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い―尼崎連続変死事件の真相』『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』など。)
(小野 一光/週刊文春 2026年4月9日号)
