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 魂を込めろ!帝京長岡(新潟)の芝草宇宙監督(56)が8日、きょう9日のヤクルト戦(甲子園)で先発デビューする教え子の阪神・茨木秀俊投手(21)にエールを送った。芝草氏は帝京(東京)に在籍した87年夏の2回戦・東北(宮城)戦で無安打無得点試合を達成。甲子園での快投でプロ人生を切り開き、日本ハムで通算46勝を挙げた。その素材にほれ込み、2年半厳しく指導。「魂がたぎる場所」と表現する聖地で、4年目右腕の初勝利と飛躍を願った。

 プロへの人生を切り開き、「魂がたぎる場所」と表現する甲子園で教え子がプロ初の先発に臨む。2年半指導した芝草氏は茨木の資質を高く評価する人物の一人だ。

 「地をはうような、アウトローへの低めの直球が最大の持ち味です。あと、左打者へクロスに入る球もいい。どんな指導者でもどうにもならないのが手足の長さを変えることです。茨木は持って生まれた、手足の長さという武器をうまく操る力もあります」

 出会いは茨木が中学3年の時。北海道で初めて投球練習を見た。“一目ぼれ”に近い感覚だったという。「今まで見てきた中学生の中でも群を抜いてすばらしい素材でした」。日本ハムで通算46勝を挙げた同氏。経験からくる直感を信じ、札幌東リトルシニアの高谷博志監督に「預からせてほしい」と願い出た。将来的にプロを目指していた茨木少年も芝草氏の熱意を感じ取ったのだろう。自らの意思で進路を帝京長岡1本に決めた。

 中学時代は変化球を多投する投手だった。そのスタイルを変えさせたのが芝草氏だ。将来を見据え、直球にこだわるよう意識付けした。練習試合で変化球の割合が多いと、厳しい口調で叱責(しっせき)することもあった。「プロで通用するためにはストレートを磨かないといけないし、そこにこだわりがないと、成長しないよ」――。生命線とも言える、スピンの効いた外角低めへの直球。入学後、一貫してその精度を高めてきた。

 一つだけ悔いがある。茨木という最高の素材を擁しながら甲子園へ導けなかったことだ。22年夏の新潟大会準決勝・中越戦では延長12回、181球を投げ抜き1―0で完封。決勝の日本文理戦は延長11回、1―2のサヨナラ負けを喫した。「準決勝から本当に完璧なピッチングでした。何で一点取ってやれなかったんだ、俺は何てことをしたんだと」。だからこそ、甲子園を本拠にする阪神からドラフト指名されたことを心の底から喜んだ。甲子園とつながったのは「彼の努力が結んだ縁です」と言い切った。

 ドラフト指名後の冬、阪神から入団するまでの練習メニューが届いた。ある日の22時すぎ。一人黙々とトレーニングをこなす姿があった。「自分でしっかりといろんなことを考え、判断できる子です。そういうことが絶対ピッチングにもつながる。自分で判断する力や、普段の生活はそのまま野球に出る。ルールも守る子でした。とにかく練習はよくやるし、放っておいても練習をやるっていうのは、今までであの子が一番かな」。実直で勤勉な姿勢も着実な成長につながった。

 「自分自身のために頑張るのは当たり前だけど、帝京長岡のためにも頑張ってほしい。プロ野球選手というのは自分のためでもあるんだけど、応援されているし、帝京長岡高校の浅川校長をはじめ、みんなが、先生たちが応援してくれている。当然、私も応援しているし、野球部のみんなもそう。そんな思いも感じてほしいですね」

 今春、同校を春夏通じて初の甲子園へ導いた。聖地で茨木と再会も果たした。高校時代に躍動した球場は長い年月を経ても変わらず、美しかった。「ベンチから見る甲子園球場も最高の眺めでした。魂がたぎる場所というか、闘争心が湧いてくる。燃える場所ですよね。このすばらしい球場が茨木の主戦場になるわけですから、魂を込めて投げてほしい」。開幕から4カード連続の勝ち越しがかかる重要な一戦。教え子の快投と今季の飛躍を願った。(吉仲 博幸)

 ◇芝草 宇宙(しばくさ・ひろし)1969年(昭44)8月18日生まれ、埼玉県所沢市出身の56歳。帝京では86年春、87年春夏連続で甲子園に出場。87年夏の2回戦・東北戦で無安打無得点試合を達成。同年ドラフト6位で日本ハム入団。91年に初登板初先発初完封勝利。06年にソフトバンク、07年に台湾の興農ブルズでプレー。日本球界通算430試合46勝56敗17セーブ。引退後は日本ハムで投手コーチ、スカウトなどを歴任。20年4月から帝京長岡の監督に就任し、今春の選抜に初出場。