『ナイト・オブ・ザ・セブン・キングダムズ』©2026 WarnerMedia Direct Asia Pacific, LLC. All rights reserved. HBO Max and related elements are property of Home Box Office, Inc.

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 『ゲーム・オブ・スローンズ』も『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』も史実である。何を言っているのかと思うかもしれないが、試しにインターネットで検索してみてほしい。まるで日本の戦国時代や安土桃山時代を調べるのと同じくらい膨大な量の考証サイト、Wikipediaが見つかるはずだ。原作者ジョージ・R・R・マーティンは、七王国の風土から諸名家の家系図、数百年以上に渡る歴史文化に至るまで、劇中の登場有無にかかわらずありとあらゆる設定考証を凝らしファンタジー世界を作り上げた。『ゲーム・オブ・スローンズ』『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』にアクセスすることは、実際の歴史検証とまるで大差がないのだ。

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 だからあなたがこれまでのシリーズを未見でも問題ない。ウェスタロスの長大な歴史はそのほとんどが映像化されていないからだ。かつてエイゴン・ターガリエンが三頭の竜と共に降着し、炎と血の大虐殺によって大陸を征服した。その後、ターガリエン王家が七王国を統治するも、王位継承権を巡って内戦が勃発。後に「双竜の舞踏」と呼ばれるこの戦乱で王家の権威の象徴たるドラゴンは死に絶えた。終戦後も王朝は存続するが、狂王エイリス・ターガリエンを廃すべく諸侯が反旗を翻し、ターガリエン王家は王女デナーリスを遺して滅亡する。これらは映像化されずとも伝承されてきた“歴史的事実”である。

 『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』の約百年後、『ゲーム・オブ・スローンズ』の約百年前を舞台にした『ナイト・オブ・ザ・セブン・キングダムズ』の伝説は既にシリーズの各所で口承されている。“サー・ダンカン・ザ・トール”は蚤の底と揶揄されるスラム街から、王を守護する「王の盾」の総帥にまで立身出世した伝説の騎士。彼は主を持たない「草臥の騎士」時代、少年エッグ~後のエイゴン・ターガリエン五世を従士に王土を巡歴した。この冒険を収めたのが原作小説『七王国の騎士』である。

 物語は辺境の河間平野から始まる。降りしきる雨の中、屈強な大男が老人の墓を掘っている。他に聞く者もない広野で、彼は馬に語りかけ悲嘆に暮れる。長年仕えてきた騎士“銅貨の樹”サー・アーラン(ダニー・ウェッブ)を亡くしたのだ。老士の剣を握る男、ダンク(ピーター・クラフィ)の内に大いなる意志が湧く。サー・アーランの後を継ぎ、無辜の者を守る七王国の騎士となるのだ。ファンにはお馴染み『ゲーム・オブ・スローンズ』のテーマ曲がふつふつと聞こえてきたとき、ダンクは……うんこをする。ぶりぶりと。『ナイト・オブ・ザ・セブン・キングダムズ』は重厚なファンタジー史劇から一転、1話約30分という伝統的なシットコムの尺を借り、コメディとしてスタートするのだ。

 シリーズを観続けてきた者には虚を突かれるような語り口である。常連ラミン・ジャヴァディから交代した音楽ダン・ローマーは、ケニー・ドーハムの「Alone Together」まで流す奔放さ(ウェスタロスにジャズが流れている!)。主人公ダンクは木の下で夜を明かすしがない貧乏侍である。血飛沫が舞う馬上槍試合はまるでフェス会場のような賑やかさだ。『ゲーム・オブ・スローンズ』では気象変動、『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』では政治的分断といった今日的テーマを掲げてきたシリーズが本作では社会的イシューを削ぎ落とし、七王国一の騎士になるという主人公のDREAM BIGに焦点を当てている。ショーランナーのアイラ・パーカーはこれまで『ザ・ネバーズ』や『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』の脚本を歴任し、今回初の大役でシリーズに新風を吹かせた。

 勇名を馳せるべく馬上槍試合への出場を決意したダンクの前に現れるのは、宿屋で厩番をしていた少年エッグ(デクスター・ソル・アンセル)。つるつるに剃り上げた頭の彼はダンクの従士となり、強豪たちが集うトーナメントを観戦したいと言う。かくして文字通り凸凹コンビの誕生だ。エッグは子供ながら世事に通じ、従士としてそつがない。方やダンクは武具もなければ武芸もなく、あるのは強い騎士道精神だけだ。

 果たしてダンクを騎士たらしめるものとはなんだろう? 物語はダンクの胸中に去来する老士サー・アーランの姿を度々フラッシュバックしていく。そこにあるのはとても模範的とは言い難い姿だ。寝ている間に自らの脇差で腹を刺すような酔いどれ。浮浪者同然の身なりで、剣の腕が立つのかもあやしい。「理由もなくぶたなかった」とダンクは言うが、思い出すのは理由もなく叩かれた記憶ばかりだ。七王国では騎士が騎士を叙することができるが、ドラマではサー・アーランが今際の際、ダンクを騎士に叙したかは言及されない。彼が正しさを説くような場面もない。ダンクが七王国の騎士を目指すのは、内なる野心と夢。大いなる志こそが形を成していくのである。

 ダンクは庶民への乱暴狼藉を働いたターガリエン家の王子エリオン(フィン・ベネット)をしたたかに痛めつけてしまう。これに端を発した裁判は、7対7の集団戦闘「七の審判」へ発展。身内を守るべくターガリエン家が強豪を揃える中、コネも人脈もないダンクは夜明けまでに6人の騎士を集めなければ、代償に手足を切られてしまう。ショーランナー陣は2026年に然るべきTVシリーズのナラティブを見つけ出したかもしれない。語り口は簡潔にして洗練。そして約30分という放送枠が、まるでジャンプアニメにも似た熱量を生み出しているのだ。緊迫の第4話から転じてシーズンハイライトの第5話、「七の審判」は予算上の制約から辺り一面にスモークを焚くことでスケール感を誤魔化したというが、『ゲーム・オブ・スローンズ』シリーズ随一の傑作エピソード『落とし子の戦い』(シーズン6第9話)を彷彿とさせる視野狭窄的な戦場のカオスは圧巻だ。

 2010年代後半、アイデンティティ・ポリティクスの時代を経て、現在の映画やTVシリーズは激動する社会イシューから再び人間の野心、欲望、夢……即ち人間そのものへと目を凝らしつつあるように思う。卓球世界王者を目指す主人公の規格外の野心を描いた『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』。メイクマネーとセックスが存在の耐えられない軽さを浮かび上がらせる『インダストリー』。エメラルド・フェネルの『嵐が丘』は性愛のエンターテインメントとしてメインストリームに蘇った。

 『ナイト・オブ・ザ・セブン・キングダムズ』では国を二分した内戦「双竜の舞踏」から約100年、ドラゴンという大量破壊兵器は消え、戦火の記憶も遠くなった時代(それは新たな戦前でもある)、名だたる戦士たちに天下統一はおろか権謀術数の下剋上という野望もなく、あるのはただ“歴史に名を刻みたい”という欲求だけである。各地の勇士を知り尽くしたエッグの無邪気さには、後に史実となる歴史的瞬間を目にしたいという、生存本能にも似た欲求が渦巻くのではないか。デクスター・ソル・アンセルという素晴らしい子役を得たことによって、本作は成功を約束された(そう、スポーツ映画にはリングサイドに立つ名子役の存在がつきものだ)。私たちは伝説の瞬間を目撃するためテレビの前ににじり寄り、声を上げる。

「さぁ、立ってください!」

(文=長内那由多(Nayuta Osanai))