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病院のベッドで始まった「考えるしかない」日々の葛藤

――「AI時代の考える力」についてお伺いする前に、有園さんご自身は、これまでどのように「考える力」を培ってこられたのか教えてください。

まずは、少し真面目な話から始めさせてください。個人的なことになりますが、私は高校を卒業して間もない19歳のとき、タンクローリーに轢かれるという交通事故に遭いました。奇跡的に命は助かりましたが、幽体離脱のような体験もし、本当に死んでいてもおかしくない状況だったと思います。

その後しばらく入院生活を送りましたが、病院のベッドでできることといえば、考えることくらいしかありません。そのとき、よく頭に浮かんできたのは、「たとえ自分がこの事故で死んでいたとしても、世の中は何も変わらないのではないか」という考えでした。

それは私ひとりのことだけではありません。当時、イギリスではサッチャー首相、アメリカではレーガン大統領、そしてソ連(現ロシア)ではゴルバチョフ書記長がそれぞれ国のトップを務めていました。しかし、仮にその人たちが亡くなったとしても、世の中が大きく変わることはないだろう――そんなふうに思ったのです。

では、自分が生きていること、生きている価値とは一体何だろうか。実際は自分が生きていても死んでいても、それほど大きな違いはないのではないか――そう思いながら、なぜ自分は生き続けなければならないのかを考えてきました。「考える力が重要」という以前に、病院のベッドの上では、考えて、考えて、考え抜くことしかできなかったのです。

自分の生きる意味は何か。人類はなぜ存在しているのか。宇宙はどのように誕生し、何のために存在しているのか――そうした問いを考え抜き、自分の中で折り合いをつけなければ、生きていることが苦しくて仕方がなかった、そんな感覚でした。

――今は大丈夫ですか。

その後も、その感覚は自分の中の底辺にずっと存在しています。だからこそ、一つひとつの物事の意味を考えざるを得ないのです。なぜ生きるのか。なぜ食べるのか。なぜ排泄するのか。

仕事についても、自分なりに意味を考え、納得した上でインターネット広告という事業に向き合っています。普通の人よりは読書量も多いと思いますし、AIが人類にどのようなインパクトを与えるのかという点も含め、今もひたすら考え続けています。

したがって、「考える力をどのように培ってきたのか」という問いに対しての答えはこうです。「私は九死に一生を得る事故を経験したことで、一つひとつのことを考えずにはいられない人間になり、そのまま今も“考える”という癖が身についている」と。

人間だけにできる「考える」行為と、「真・善・美」の価値判断

――次に、AIが進化していく中で、人間が考える意味は、どのような形で残っていくとお考えですか。

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・AIが強い内生変数と、人間が担う非デジタルな外生変数
・AIは発想力を奪わない。「考える力」を拡張し、生産性を底上げする
・マーケティング、広告はなぜ「神聖な仕事」なのか

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記事執筆者

早川巧

株式会社CINC社員編集者。新聞記者→雑誌編集者→Marketing Editor & Writer。物を書いて30年。
X:@hayakawaMN
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