賭け事しない奴は野暮?なぜ江戸時代は大奥や子供までも”ギャンブルの虜”だったのか?【前編】

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古代から存在したギャンブル

日本における賭け事・博打・賭博、いわゆる「ギャンブル」の歴史はとても古く、『日本書紀』にも記述があるほどです。

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貴族の世界では双六が流行し、実は風流な連歌も賭けの対象になったことがありました。

「長谷雄草紙」(14世紀)より、鬼と双六を打つ紀長谷雄(Wikipediaより)

安土桃山時代には、土佐の長宗我部元親が賭博禁止令を出しており、これは裏を返せば社会秩序が乱れるほどギャンブルが流行していたということです。

武士の場合は、ギャンブルが原因のいざこざが刃傷沙汰に発展するおそれもあったことから、禁止令を出す大名家は少なくありませんでした。

中には、賭けの原因になるとして将棋や囲碁を廃止した事例まであるほどです。

将軍様は賭博がお嫌い

庶民の暮らしが安定して、社会秩序が保たれるようになった江戸時代はどうだったのでしょうか。

江戸幕府を開いた徳川家康は賭け事が嫌いだったのか、大名の決まりを定めた『武家諸法度』では「博打の禁止」が促されています。

徳川吉宗(Wikipediaより)

そして、家康を信奉していた八代将軍・徳川吉宗も『公事方御定書』において、博打を行った者に対する厳しい処罰を定めています。

こうしたルールに寄って遠島や追放などの厳罰が科されることもありました。しかし、それでもやっぱり賭博の根絶には至らなかったようです。

江戸の賭博の定番

事実、江戸ではさまざまなギャンブルが人気を博していました。現在はギャンブルというと反社会的なイメージが強いですが、江戸時代は「賭け事の心得が無い者は野暮」だとみなされるほど、手軽な娯楽として親しまれていました。

子ども相手の貸し売りや、江戸城の大奥でも賭け事が行われたというから相当なものです。

江戸時代の賭博の定番といえば、時代劇でもお馴染みの、二つのサイコロを使った丁半博打でしょう。ツボ(ツボ皿)に入れたサイコロの目の合計数が偶数(丁)か奇数(半)かを予想する、きわめてシンプルな賭博です。

この賭博では、四隅に鋲を差して固定した盆台(盆茣蓙)は賭場の権威の象徴とされました。

盆台を囲んで、進行と審判を務める中盆と、そしてサイコロを振るツボ振りがいて、その周囲に客が座るという形で行われます。

賭け金は、胴元や資金を提供する者に支払う資金にも充てられました。この資金の名称がテラ銭で、この言葉は江戸時代には既に存在していたのです。

次回の【後編】では、江戸時代の賭博事情についてさらに掘り下げていきましょう。

【後編】の記事は以下から

江戸のギャンブル沼。賭博の蔓延が規格外すぎた江戸時代、奉行が出した驚きの結論【後編】

参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書画像:photoAC,Wikipedia