いまや大卒の就職率は「98.1%」で初任給「40万超」も…深刻な“若手不足”の一方で「氷河期世代」が全く報われないのはなぜか

《初任給40万超えるわ,教師になれば奨学金返さなくていいわ,氷河期世代は白目ですね》──立命館大学・政策科学部の桜井政成教授がXに投稿した一文に、深く頷く人も多いだろう。「就職氷河期」や「氷河期世代」の定義は様々だが、1993年から2005年の就職活動で新卒採用が著しく減ったことを示すのが一般的だ。(全2回の第1回)
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【写真】7〜8社から内定をもらうのは当たり前、“拘束日”にハワイに連れて行かれた学生も…髪型はソバージュでスーツも“黒一色じゃない”バブル入社組の就活風景
1990年にバブル経済が崩壊し、日本経済は後に「失われた30年」と呼ばれる長い不況に突入した。この結果、「1970年4月2日から1982年4月1日まで生まれた世代」では正社員として採用されなかった学生が相当な数に達し、非正規雇用を半ば強制された。これが就職氷河期だ。

就職氷河期は12年間とスパンが長いため、氷河期世代の総数は約2000万人と非常に多い。日本の人口1億2000万人のうち16・6パーセントを占める計算で、最年長の1970年組は54歳、最も若い1982年組は43歳と、ベテランから中堅まで幅広い層が合致する。
さらに氷河期世代には「1971年から1974年に生まれた世代」という「団塊ジュニア世代」が含まれる点も注目が必要だろう。団塊ジュニアは約800万人と推計されており、氷河期世代の何と約40パーセントに達する。
日本では今のところ「第3次ベビーブーム」は起きていない。理由の一つとして、団塊ジュニアや氷河期世代は非正規雇用が多く、生活の苦しさから男女が結婚できなかったことが挙げられている。氷河期の就職活動はどのようなものだったのか、1971年生まれの団塊ジュニアで、早稲田大学を卒業した男性が振り返る。
ハワイと会議室の落差
「私が一浪して大学に入学したのは1991(平成3)年4月で、その時の4年生は典型的な“バブル入社組”でした。複数の企業から──それも7社とか8社から──内定をもらうのは当たり前。当時の10月1日は内定通知が送付されるため、入社したい企業に出向く『拘束日』となっていましたが、『拘束日は会社にハワイへ連れて行ってもらった』という先輩もいました。そんな4年生を見ながら、私は『自分も楽勝で企業に入社できるんだろう』と、今から思えば非常に甘いことを考えていました」
男性が2年生に進級し、JR高田馬場駅の雑誌スタンドで何気なく「就職ジャーナル」(リクルート社)の11月号を買って読むと、強い衝撃を受けたという。
「就職氷河期の記事が掲載されていたのです。後で知りましたが、就職氷河期は就職ジャーナルの造語でした。実際、私の入学時に3年生だった先輩が4年生になると、1社から内定をもらうだけでも大変な時代に激変していました。先輩は拘束日が『会議室に案内されて弁当を食べて終わりだった』と苦笑していました。ハワイと会議室の落差を知って『就職ジャーナル』を読み、『これはえらいことになった』と頭を抱えたものです」(同・早大卒の男性)
24年の内定率は98%超
早大卒の男性は「3年生が4年生になると就職活動の雰囲気が一変した」と証言した。しかし文部科学省「学校基本調査」によると、それでも大卒者における1992年組の就職率は79・9パーセントという数字だった。
ところが男性が4年生になった1995年組は67・1パーセントに下落。最低は2003年組の55・1パーセントで、とうとう大卒者の半分が就職できない状況になってしまった。
氷河期世代と今の若者を比べても溜息しか出ないが、厚生労働省が発表する「大学等卒業者の就職状況」を見てみよう。2008年組から2024年組まで、「就職(内定)率」が90パーセントを下回った年は、ただの一度もない。
最低は2011年組の91・0パーセントで、2024年組に至っては何と98・1パーセントと過去最高を記録した。内定率だけでなく、初任給も大手企業を中心に引き上げが盛んでいる。
時事通信は1月11日、「初任給引き上げ、30万円台続々 人材獲得競争が激化 大手企業」との記事を配信した。人手不足が深刻化しているため、大企業は初任給を引き上げ、優秀な若手を確保しようと奔走している。
初任給の異常な差
記事で紹介された企業の一部を、給与の高い順にご紹介する。実施時期に違いがあるが、それは割愛した。
記事中の最高額は東京海上日動火災で、転勤と転居を伴う場合は約41万円。明治安田生命保険は33・2万円、ユニクロを運営するファーストリテーリングは33万円、三菱商事は32・5万円、三井住友銀行は30万円──という具合だ。
「今さら恨み言を並べ立てても無意味ですが、そもそも氷河期世代の就職活動は圧迫面接や暴言、説教が当たり前という時代でした。『お前のような中途半端な大学生は……』と面接官に説教されるのは普通のことで、『また始まったよ』と呆れることができたのは、どこの社でも似た経験をするので耐性ができるのです。優秀な国立大学に通っている友人も『だから東大生はダメなんだ』とか『一橋の学生だからと言ってデカイ顔するな』とか、滅茶苦茶なことを言われていました」(同・早大卒の男性)
学生の数は多いのに、採用数は非常に少ない。異常な買い手市場だったため、いくら優秀な学生でも不採用は当たり前だった。最後に内定を決めるのは運でしかなく、就活で苦労してどうにか入社しても初任給は18〜19万円に過ぎなかった。
「氷河期世代の怒り」
衝撃的なのは、一部の統計サイトが当時の初任給を今の物価に換算した金額を発表していることだ。それによると16万円台という年も珍しくない。確かに当時の新卒社員は「大学生でバイトをしていた時のほうが収入は桁違いに多かった」と口を揃えていた。
氷河期世代は、まさに石川啄木の「はたらけどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり」が日常だった。これでは第3次ベビーブームなど起きるはずもない。Xでは“受難の世代”である氷河期世代についての投稿が殺到している。
《ボーナス時期や新卒バブルのニュースで氷河期世代の怒りが蓄積されていることを政府は自覚したほうがいい。復讐は必ずある》
《若者の人手不足が叫ばれていて、なら氷河期世代の中高年を雇ってやれよ、って普通思うのに、企業側が40代以上は要らないと拒否》
《氷河期世代なんてまともに就職できず派遣やバイトで食いつなぎ、正社員にしてもらえないまま派遣切り 今になって「自己責任」「なんで正社員じゃないの」とか言われた世代ですものね。就職できてもパワハラ・サビ残当たり前、心と体壊して退職、転職、派遣なんかも「自己責任」って言われて…》
第2回【団塊ジュニアは“日本のガン”か? 年金にも頼れない「受難の世代」が長生きする“唯一の方法”とは】では、高齢者になっても常に不安と隣り合わせの生活を強いられる氷河期世代・団塊ジュニアのリアルについて報じる。
デイリー新潮編集部