「けんかはほとんどなかった」と明かすほど仲睦まじいダンカンさん夫婦。妻・初美さんが亡くなって今年で10年が経ちますが、抗がん剤治療中に届いたメールが今も消せないと語ります。(全3回中の1回)

【写真】「笑顔が印象的」10年前に亡くなった妻・初美さんとの家族写真 ほか(全12枚)

行きつけのママさんに相談していた


── テレビ番組のアシスタントのアルバイトに、奥さんの初美さんが応募してきたことがきっかけで交際スタート。その後、ダンカンさんが28歳、初美さんは20歳のときに結婚されました。奥さんはどんな方でしたか?

ダンカンさん:しっかりしていて芯が強い。あとハッキリものを言うね。俺が仕事で何か迷ったときも「世の中で好きな仕事をしている人はほとんどいないんだから、それが幸せだって思わないんなら辞めちゃえばいいじゃない」っていうような人ですね。

── 初美さんは20歳での結婚でしたが、お互い結婚願望はあったのでしょうか。

ダンカンさん:勢いですよね。20歳そこそこで何もわかってなかっただろうし、2人ともこの先のどんな人生設計をしていくとかまったく考えてなかったです。今思えばハッキリ言って「おままごと」ですよ。ただ、結婚して何十年か経って知り合いから聞いたんだけど、行きつけのスナックのママさんに芸人の妻としてどうしていけばいいか、相談していたみたいです。自分は女性の気持ちが全然わからないし、奥さんが家庭のことをやってくれるのが当たり前だって思っていたんです。でも、その裏では驚くほど努力があっただろうし、家族のために一生懸命尽くしてくれようとしたのに、当時はそれを考えてあげられなくて本当、申し訳ないって思いますね。

── 当時は朝方までお酒を飲むことも多かったとか。

ダンカンさん:週に5、6回は家に後輩10人くらい連れてきて、朝の4時だろうが5時だろうがママリン(初美さん)に「なんか作ってくれ」ってやってましたね。当時、飲み始める時間も遅かったんですよ。放送作家もやっていて、原稿書いて深夜1時とか2時から高円寺や新宿あたりで飲み始めて。当然、子どもが小さいときは「子どもたちを起こすな」ってよく怒られましたね。

── お子さんといえば、3人のお子さんに恵まれましたが、長女の名前は美つきさん。長男が甲子園さん。次男が虎太郎さん。野球や阪神タイガースが好きでつけた名前だそうですが、周りの反応はいかがでしたか。

ダンカンさん:ママリンは特に野球好きでもなかったけど、長男の名前を考えたときに「甲子園は?」って提案したらいい名前だって言って。唯一、義理のお母さんは反対してましたね。「甲子園」以外だったらなんでもいいって言うから、野球以外だとマラソンのジュノ・イカンガーって選手も好きなので「イカンガー」にします?って聞いたら「甲子園」でいいよって言われました(笑)。ただ、せっかく「甲子園」ってつけても当時、阪神が弱すぎたんです。阪神ファンだって言うだけで信じられないって言われるような時代で。苗字は飯塚っていうんですけど、「阪神最下位」をもじって「飯塚最下位」だって茶化されたって後々聞きました。

あと、次男の「虎太郎」は寅年の男の子が欲しいなって思っていたら、ギリギリ寅年の12月に生まれてくれました。「甲子園」「虎太郎」も個性的な名前かもしれないけど2人とも気に入ってくれてるし、親の立場だとせめて子どもには思いをこめた名前をつけさせてほしいと思ったんですよね。

亡くなって10年経った今も残しているもの

妻の初美さん

── 夫婦で子育ての方向性など、決めていたことはありましたか?

ダンカンさん:いっさいない。子どもは自由で伸び伸びしていればいいし、俺とママリンの子どもだから、悪い人になるわけないよねって言ってました。息子たちは、小さいころから野球をやっていたからかちゃんと挨拶もできたし、長女も合わせて上の人に対して敬意を払うことはできてると思いますね。

── お仕事で忙しかったと思いますが、お子さんと向き合う時間はありましたか。

ダンカンさん:全部ママリンに任せっきりですよ。何から何まで任せっきりで、学校行事は授業参観も運動会もほとんど行かなかったな。ママリンに父兄で参加する競技にも出てもらったし、根が積極的な性格だからうまくやってくれてたみたい。自分が面倒見たって言えるのはいちばん下の虎太郎だけですね。虎太郎は風呂入れたり、プールに連れてったりすると、あれがしたいとか、ここが痛いとかいろいろ言うんだけど、なんて子どもって愛しいんだろうって思ったね。そう考えると、上の2人に対してはこんなに素晴らしい時間があったのに、みずから放棄してほんとうにもったいないことをしたなって後悔しました。

── 奥さんから「私ばっかり家事や子育てをしている」と言われたことはありますか?

ダンカンさん:いっさい言われなかった。そういうもんだと思ってたんじゃないかな。

── けんかもすることもほとんどなさそうですね?

ダンカンさん:どうだろうな。本気のけんかはなかったでしょうね。最後、病気が進行していたころに軽い口げんかみたいにはなったことがあったけど、たぶん抗がん剤の影響もあってつらかったんだと思います。メールがきて「ごめんなさい。全然役立たずですけど、これからもよろしくお願いします」ってちょうど結婚25年目くらいだったと思います。ママリンが亡くなって10年経つけど、いまだに携帯電話は解約せずに持っています。

PROFILE ダンカンさん

1959年生まれ。埼玉県出身。俳優、放送作家、脚本家。1983年にたけし軍団入り。現在は株式会社TAP所属、同社専務取締役。

取材・文/松永怜 写真提供/ダンカン