『昭和歌謡史』刑部芳則 × タブレット純 対談 歴史研究家の視点から見た昭和歌謡の魅力とは?
戦前から戦後、昭和の時代を通して、日本人の心に寄り沿ってきた歌謡曲。作曲家の中山晋平、西條八十に始まり、三大作曲家と呼ばれる古賀政男、古関裕而、服部良一によって確立された昭和歌謡を、音楽家が残した一次史料をもとに歴史学の手法を用いて検証した書籍が、刑部芳則(日本大学商学部教授)による『昭和歌謡史-古賀政男、東海林太郎から、美空ひばり、中森明菜まで』(中公新書)だ。
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リアルサンドブックでは、著者の刑部と歌手のタブレット純の対談を企画。10代の頃から歌謡曲に魅了され、研究者、歌手として今も昭和の歌謡と向き合い続けている両者に“日本人にとって、歌謡曲とは何か?”について語り合ってもらった。(森朋之)
■刑部芳則「流行っている歌手よりも昔の人に興味があった」
――まずはお二人が昭和歌謡に魅せられたきっかけを教えてもらえますか?
タブレット純:父親が車のなかで水原弘の晩年の音源をずっとかけていたんですよ。当時は松田聖子さん、中森明菜さんなども流行っていたのですが、水原弘さんの唸るような歌声を聴いて、「こっちのほうがいいな」と思いまして。そこから遡るように昔の音楽を聴くようになったんです。自分が生まれる前のことにも興味があって。僕が生まれた年(1974年・昭和49年)に荒井注さんがザ・ドリフターズを脱退したことを知って、「どんな人だったんだろう?」と気になって調べたり(笑)。あとはラジオですね。古い曲がよくかかるので、物心ついた頃から没頭して聴いていました。
刑部:私もタブレットさんと同じく、子供の頃が昭和50年代だったんですが、流行っている歌手よりも昔の人に興味があったんです。紅白歌合戦などを見ていても、松田聖子や中森明菜より、三波春夫や村田英雄、島倉千代子が出てくると喜んで。昭和が終わった年(1989年/平成元年)にNHKで放送された「昭和の歌・心に残るベスト200曲」という番組の影響も大きかったですね。そこで初めて動いている東海林太郎を見て、「こんな人がいたんだ」とさらに興味を持った。時代としては歌謡からJ-POPへの過渡期で、友達はみんなJ-POPを聴き始めたのですが、私だけ「新しい曲を聴くのはやめよう」と歌謡曲を探すようになりました。といっても、テレビ番組ではあまり昭和の歌を流さなくなってたんですけどね。テレビ東京を除いて。
タブレット純:テレビ東京の歌番組は大きかったですね。
ーー平成のはじめはまだインターネットが普及していなかったので、昭和歌謡について調べるのも大変だったのでは?
刑部:そうですね。テレビやラジオの歌謡番組を聴くか、あとは自分でレコードを買うしかなかった。
タブレット純:どんなレコードが販売されているかもわからなかったから、中古レコード屋に行って掘ってましたね。自分はグループサウンズが好きで、その世界では有名な黒沢進先生(音楽評論家。グループサウンズ研究家として知られる)という方がいらっしゃって。自費出版でグループサウンズの歴史やディスコグラフィーを網羅していて、それでいろいろなことがわかりましたね。あとは国会図書館でよくレコードを聴いてました。
刑部:国会図書館には私も通いましたね。ただ、基本的には戦後になってから販売されたレコードが中心で、それ以前のものは少ないんですよ。自主制作盤もないですし。
タブレット純:しかも録音は禁止なので、その場で聴いて、レポートみたいにまとめるしかないんですよ。ただ、ムードコーラス、ムード歌謡は今に至るまでよくわかっていなくて。ムード歌謡はご当地ソングが定番で、自主制作盤も多いから全貌が見えないんですよ。
――タブレットさんは、ムード歌謡を代表する“和田弘とマヒナスターズ”に2002年に加入。2004年まで在籍しました。
タブレット純:当時は古本屋に勤めていたのですが、黒沢先生がグループサウンズのことを調べて本にしたように、ムード歌謡の本を自費出版したいと思っていて。取材のつもりでマヒナスターズを訪ねたのですが、「そんなに好きなら、歌ってみればいいじゃないか」と言われまして。その半年後にグループが分裂して、ボーカル、コーラスの方々が全員脱退してしまったんです。和田さんは新しいメンバーを集めて新生マヒナスターズを立ち上げたんだけど、そこからもメンバーの方がいなくなってしまって。たまたま僕が近くにいたので、急遽呼ばれたというのがいきさつですね。
刑部:そうなんですね。
タブレット純:その後も中古レコード屋にはずっと行ってました。未知の世界に踏み込むような感覚といいますか、「今日はどんなレコードと出会えるんだろう?」といつもドキドキしていて。ネット時代じゃなくて良かったなと思いますね。
刑部:わかります。私が10代の頃はレコードからCDに移行する時期で、骨董店やリサイクル店などでも古いレコードがけっこう安く売っていたんですよ。蓄音機も買って、家でもレコードをずっと聴いていて。ただドーナツ盤(EP盤。7インチ、45回転)やLP盤は数がすごく多くて、集めようと思ったら大変なことになる。なのでSP盤(12インチ、78回転。1962年に生産終了)だけに絞ろうと。
――より古いレコードに的を絞ったんですね。
刑部:ええ。とは言っても、店にいくとドーナツ盤も欲しくなるので「買っちゃいけない」と自分に言い聞かせてました(笑)。近頃はSP盤のコレクションもだいぶ充実してきたのでドーナツ盤も買うんですが、SP盤の時代から活動している歌手や、私が知らない歌手だけに絞っています。
タブレット純:知らない歌手を見つけるとトキメキますよね(笑)。
■タブレット純「歌謡曲をこんなふうに学術的にまとめた本は初めてでした」
刑部:これはタブレットさんにもお聞きしたいのですが、レコード会社やレーベルもいろいろあるじゃないですか。
タブレット純:そうですね。EP盤の時代になってからも、インディーズと言いますか、自主制作で作られていたレコードもかなりあって。以前『タブレット純のローヤルレコード聖地純礼』(山中企画)という本を書いたのですが、「ローヤルレコード」(1960年代後半から70年代にかけて数多くの歌謡曲のシングル盤を発売していたレーベル)はご存じですか……?
刑部:はい。タブレットさんの本、読ませていただきました。ローヤルレコードの歴史をまとめた本はとても貴重ですし、「誰もやらないのなら、私が書きたい」とさえ思っていたんですよ(笑)。
タブレット純:そうなんですね(笑)。
――刑部さんは今回『昭和歌謡史』を上梓されました。歴史学者の視点で昭和歌謡を紐解いた書籍ですが、この本を書こうと思われたのはどうしてなんですか?
刑部:タブレットさんと同じように、子供の頃から、自分が生まれる前のことに興味があったんですね。音楽やデザインもそうですが、「この頃のほうがいいのに」と思うことも多くて。そのことも含めて、以前から歌謡史の本を書いてみたいと思っていたんですよね。音楽評論家ではなく、歴史研究者が書いた昭和歌謡史はおそらく存在していないだろうなと。
タブレット純:なるほど。刑部先生の御専門は、どのあたりの歴史なんですか?
刑部:専門は明治以降です。明治・大正・昭和の歴史を大学生に教えているのですが、学生は生活や文化と絡めると興味を持つし、私は歌謡曲が好きなので、歌謡史として教えたらどうだろうと。「この曲が流行ったときは、こんな出来事があった」「こういう時代だったから、こんな曲が作られた」ということを戦前・戦中・戦後に分けて伝えるということですね。
タブレット純:流行歌には時代が反映されていますからね。そういう日本史の授業を行った方は、今までにもいらっしゃったんですか?
刑部:いないと思います。私が師事した先生は、「昭和40年代に学会で歌謡曲の話をすると、“低俗だ”と怒られた」と言ってましたから。だけど、それはおかしな話なんですよね。奈良時代、平安時代を研究するうえで万葉集や古今和歌集を文献として使うのだから、昭和の歴史を学ぶときに歌謡曲を使ってもいいはずなので。クラシックの山田耕筰の作品を知らなくても、古賀政男、服部良一、古関裕而が作った曲は多くの方が知っていますからね。
タブレット純:それくらい重要ですよね、歌謡曲は。
刑部:そう思います。今のZ世代も(昭和歌謡を)知らないだけで、きっかけさえあれば興味を持つと思うんです。私の授業を通して昭和の歌手を知って「YouTubeで聴いてます」「藤山一郎、いいですね」「美ち奴を好きになりました」という学生もかなりいるので。
タブレット純:すごい! 僕も『昭和歌謡史』をじっくり読ませていただきましたが、とても面白かったです。歌謡曲をこんなふうに学術的にまとめた本は初めてでしたし、“面白い教科書”だなと。まさに“歌は世につれ”といいますか、歌謡曲がいかに世の中を反映してきたか、とてもよくわかりました。特に戦前、戦中のあたりは興味深かったですね。戦争によって歌が規制されていく過程も掘り下げられていて、日本の歴史を振り返りながら勉強できました。
刑部:ありがとうございます。
タブレット純:知らなかったこともたくさんありました。たとえば「あゝモンテンルパの夜は更けて」(※)もそう。この曲をきっかけに戦犯として拘留されていた元日本兵の帰国が実現したというエピソードは「歌がそこまでの力を持っていた時代なんだな」と感銘を受けました。船村徹さんのくだりも印象に残ってますね。演歌の王道というイメージを持っていたのですが、船村さんの楽曲は当時「歌謡曲の形を壊した」という評価があったのは知らなかったので。
(※戦後、フィリピンの刑務所で収容されていた元日本軍兵士の、日本への望郷の念を込めた楽曲。渡辺はま子の歌唱で、1952年にヒットした)
■刑部芳則「J-POPと歌謡曲は完全に分離している」
――若い世代に向けて、お二人から“昭和歌謡の入り口”としてお薦めしたい作曲家や歌手を挙げていただけますか?
刑部:作曲家ではやはり古賀政男ですね。歌謡曲のあらゆるパッケージを作ったのが古賀政男だと考えていて。たとえば「二人は若い」のような男女が声を掛け合うように歌うデュエットソングもそうだし、「うちの女房にゃ髭がある」のようなコミックソングもそうですが、いろいろな型を作っているんですよね。“哀愁があって、テンポが速い”という曲調もそう。それは中森明菜の楽曲にまでつながっていると思います。歌手では、古賀政男とコンビを組むことが多かった藤山一郎。授業の後「どの歌手が良かった?」とアンケートを取ると、圧倒的に藤山一郎が票を集めるんです。「東京ラプソディ」「夢淡き東京」「青い山脈」などもそうですが、哀愁がありつつもリズミカルでポップなところが若者を引き付けるのでしょうね。
タブレット純:なるほど。僕はやはり、マヒナスターズをお勧めしたいです。和洋折衷と言いますか、とても不思議なサウンドなんですよ。基本的にはハワイアンなんですが、いきなり裏声が入ってきたり、スティールギターを夜の雰囲気を出すために使っていたり。戦後に入ってきた欧米の文化を取り入れて、それまであった日本の音楽と融合させたことで、独自の形になった。それを「面白い」と感じる若い人もいるんじゃないかなと。あと、ムード歌謡のグループはじつはバンドなんですよ。もともとはナイトクラブで演奏していたし、凄腕のミュージシャンで、コーラスも上手い方がたくさんいらっしゃった。音楽性もいろいろで、ラテンを基調としていたり、ジャズやリズム・アンド・ブルースが得意なグループもいて、バンドとしても楽しめるんじゃないかなと思います。
――確かに“和洋折衷”は歌謡曲の特長ですよね。
刑部:そうですね。今も昔もそうだと思うのですが、世界の音楽、特に欧米の音楽を取り入れて。しかも日本人が好むように上手く落とし込んでいたのが歌謡曲じゃないかなと。たとえばグループサウンズの楽曲を今聴くと、歌謡曲に聴こえると思うんですよ。ザ・ゴールデンカップスの「長い髪の少女」なんて私も大好きですけど、ドラムやエレキギターを使ってなかったら、当時の歌謡曲と大差がない。
タブレット純:確かにそうですね。ザ・スパイダーズは“ビートルズの日本版”ということで始まったはずですが、ロックには聴こえないですから。
刑部:ええ。私は“錯覚”と呼んでいるんですが、誰が歌っているか、どういう衣装かによって分かれていただけで、じつはすべて歌謡曲だったと言いますか。たとえば「雨の慕情」を山口百恵が歌っていたら歌謡曲と呼ばれただろうし、「秋桜」を八代亜紀が歌ったら演歌になったはずなので。
――なるほど。現在のJ-POPに対しては、どんな印象をお持ちですか?
刑部:J-POPと歌謡曲は完全に分離していると思っています。歌謡曲は“演歌・歌謡曲”という扱いになり、流行歌はすべてJ-POPになって。その結果、歌謡曲はどこかに行ってしまった。
――日本の情緒的なものが排除され、洋楽に近づいたということですか?
刑部:それもあると思います。そういう試みは昭和の時代からあったんですよ。フォークやニューミュージックの人たちは歌謡曲に対抗していたし、定型されたものに対する反抗心もあった。純然たる歌謡曲みたいなものは父母の世代が聴いていたもので、自分たちはそうじゃないんだという意識もあったと思います。その先端を行っていたのが、今でいうシティポップですよね。当時は一部のコアな人たちが聴いていたのですが、J-POPの時代になり再評価が進んだということだと思います。
タブレット純:僕も今のJ-POPはほとんど聴かないですね。多様化し過ぎて、どんな曲が売れているのかわからなくて。テレビを見るのは大体サウナなんですが(笑)、音楽番組を見ても、読み方もわからないようなアーティストばかりで。曲の作りもよくわからないし、子供の頃から歌謡曲に親しんできた者にとっては宇宙人の音楽のように聞こえます。日本人の琴線に触れてきた歌謡曲はどこに行ってしまったのか……。『昭和歌謡史』には、大衆に寄り添っていた歌の意義が徐々に失われ、ニューミュージックの時代になると個人的な恋愛などが歌われるようなったという流れも書かれていて。本の最後あたりで、阿久悠さんの言葉が紹介されていますよね。「歌謡曲を真ん中にドンと座り、右翼に伝統的演歌、左翼に輸入加工のポップスというバランスの筈であったのが、真ん中がスポッと抜け落ちてしまった」と。歌い心地がいい「聴き歌」がなくなったというのが、この本の一つの結論なのかもしれないですね。
タブレット純「『昭和歌謡史』もぜひたくさんの方に読んでほしい」
刑部:ただ、大学の学生の反応を見ていると「日本人が持っている音楽的な感性は変わっていないのでは」とも思うんですよね。先ほども申し上げましたが、知らないだけじゃないかなと。たとえば政府がJ-POP禁止令を出して、すべてのアーティストは歌謡曲を作らなくてはいけないとなれば、また歌謡曲が流行ると思うんですよ(笑)。
タブレット純:ハハハハ(笑)。
刑部:それは冗談として、今はかなり意識して探さない限り、歌謡曲を聴くことができませんから。新しい歌謡曲もありませんしね。最近でいうと、ブルーベリーソーダという女性グループの「天使が通る」は「いい曲だな」と思いましたが、それほどヒットはしなかったようです。
タブレット純:人間性みたいなものは変わってない気がするんですけどね。僕が生まれた頃に流行った「神田川」は、当時の若者がこぞって「いい曲だ」と思ったわけじゃないですか。最近はマイナー調の曲も減っている気がするし、何を歌っているのかわからないような曲を聴いて、どんなところに魅力を感じているのか……。自分にとっては謎だらけですね(笑)。ただ、刑部先生のお話の通り、その裏で少しずつ昭和歌謡が見直されている感じもあって。自分より年下の方なんですが、落語家の林家たけ平さんも戦前の歌謡曲にお詳しいんですよ。
刑部:私、たけ平さんと一緒にYouTubeの番組(「刑部たけ平の昭和の歌声」)をやってるんですよ(笑)。若い人にとって昭和の歌謡曲は、逆に新鮮なんだと思います。昭和の若者にとってグループサウンズやフォークが新鮮だったのと同じと言いますか。
タブレット純:“昭和歌謡”と銘打った新人のアーティストもそこそこ出てきてますからね。ただ、その方々が言う昭和歌謡は、1980年代あたりなんですが。あとは弘田三枝子さん、ちあきなおみさんの影響が大きくて。
刑部:ちあきなおみさんの人気は最近すごいですよね。
タブレット純:ファッションなどもそうですが、今風に言うと“ヤバい”、“エグイ”という存在なんだと思います。
刑部:逆にいくら「いいよ」と言ってもなかなかわかってもらえないのが、小唄勝太郎さん。今年生誕120年、没後50年です。昭和8年に「島の娘」であれだけ一世を風靡したのに、全然良さが伝わらない。
タブレット純:「東京音頭」を歌った方ですよね。
刑部:そうです。戦前に芸者歌手(戦前から戦後にかけて活躍した流行歌を歌う芸者兼歌手、芸者出身の歌手)のなかでいちばん人気があったのが、小唄勝太郎。私は高校時代、生徒手帳に小唄勝太郎のプロマイドを入れていました。
タブレット純:それはすごい(笑)。
刑部:タブレットさんに芸者歌手などの話をしていただけると、とても心強いです。私とタブレットさん、林家たけ平さんで懐メロ三国同盟を組みたいと思っているので。
タブレット純:よろしくお願いします(笑)。『昭和歌謡史』もぜひたくさんの方に読んでほしいです。音楽を志す人にとっては歌の在り方の根本を見つめ直すきっかけになるだろうし、作る歌も変わってくるんじゃないかな、と。僕もこの本で初めて知った歌がたくさんあったし、戦前の歌謡にも興味が出てきて。いろいろ聴いてみようと思っています。
(森朋之)
