皆さん言われるような男子校ならではの盛り上がりも感じました。そうした同じような経験を持つ方々が様々な分野で活躍していますから、そのご縁の広がりやありがたさを卒業してから実感しています。

 ─ 加藤さんが言われた「明照殿」もそうですが、仏教に基づく人格教育が行われているということですね。

 高岡 私は同期のメンバーと4年に1回、同窓会を開いているのですが、最近になると物故者も出てきます。その際、宴会の前に「明照殿」に集まり、先生にも来てもらって物故者を弔っているんです。

 柴原 「明照殿」は神聖な場所だという感覚がありますね。印象に残っているのは、私の学年は他の学年より50人ほど多いんです。現在の「明照殿」は再建されたものなのですが、私が入学した時期が、そのための寄付金を必要としたタイミングだったのだろうと(笑)。

 人数が多いので、教室では机の列が収まりきらず、教卓より前に机があり、黒板の文字が見えずに困っていました(笑)。


人生を模索する中、それぞれの思い出

 ─ 中・高の6年間は多感な時期ですが、廣田さんにとっての青春は?

 廣田 中学時代は私も含め、何となく悶々としながら過ごしていましたよね。そんな中、高校1年生の時の担任だった宮崎宏一先生から「1日1冊本を読みなさい」と言われたんです。

 1日1冊は実際には難しいのですがチャレンジしてみようということで、星1つの岩波文庫(かつては星の数で定価を表示していた)を買ったり、図書館で借りたりして、乱読ではありましたが、とにかく大量の本を読みましたね。

 私は通学時のバスを、ターミナル駅である金山駅で乗り換えていたのですが、そのバスを待つ時間に近くの書店に立ち寄って、そこでいろいろと本を眺めていたという思い出があります。

 ─ 本に親しむ日々だったということですね。

 廣田 ええ。また、途中で辞めてしまいましたが中学、高校とスキー部でノルディックスキーをやっていたんです。志賀高原などに合宿に行きましたし、先輩が厳しかったことが思い出されます。この時に体力、忍耐力が養われた感じもしています。

 他に、近隣に金城学院という女子の名門中高一貫校があり、バスや地下鉄で生徒を見かけるのですが、男子校の我々にとっては憧れの学校でしたね(笑)。

 柴原 我々の世代も同じです。ただ、金城学院の学園祭に行くと、東海学園の先生が門の前で見張っていて入れませんでしたね(笑)。

 高岡 私の金城学院の思い出は、通学の時のバスです。バス停で前に2、3人の金城生が並んでいる後ろに並んでいたら、後からその友達がやってきて「こんにちは」と言って割り込んでくる。こちらはズルズルと後ろに下がるんですが何も言えない。最終的には30人くらい前に並ばれていましたね(笑)。

 ─ バス停の思い出ですね(笑)。高岡さんは学園生活ではどんなことが思い出されますか。

 高岡 東海には名物の先生がおられて、その方々は戦争帰りのような人達ばかりでした。例えば剣道部には陸軍中野学校出身の達人がいましたし、柔道部には確か8段だったと思いますが、赤帯を締めるような達人がおられて、この先生方の話は抜群に面白かったですね。

 この柔道の先生は授業になって我々クラスのメンバーが元気そうだと見れば、「もうよし。今日は外で野球をやろう」といって運動場に出てしまう(笑)。

 その意味で、東海では勉強という以上に、そういう先生方と接した気持ちだったり、人としてのあり方を教えてもらったような気がしているんです。