【青春座談会】我らが母校・東海高校の良さと伝統を語ろう!
─ 加藤さんは剣道部だったそうですが、思い出は?
加藤 東海剣道部は最終的に職業として剣道を選ぶようなライバル校の選手達と、常に競っていました。彼らは朝から晩まで竹刀を振っているのに対して、我々はどうやれば効率的に勝てるかを考え続けた6年間でした。
東海の剣道部は代々、インターハイに出ていたのですが、私達の代は最弱、谷間の世代と言われていました。個人でインターハイに行った仲間が1人いましたが、団体戦ではあと1人勝てばというところ、決勝で私が負けたことで行けなかったんです。無念でしばらくは夢にも出ましたが、下馬評からすれば望外の好成績でした。そうしたこともあって、我々の代は団結力が強いんです。
─ ずっと剣道をやってよかったと思うことは何ですか。
加藤 私が語るのもおこがましいのですが、剣道は立ち上がった時の間合い、距離感が非常に大切なんです。今感じるのは、お客様や仕事に対する距離感を意識しているかなということです。そして、剣道では中途半端に打っても絶対当たりませんから、しっかり振り切るということも、できているかは別にして常に意識していることです。
そして団体競技と個人競技であり、個人の強さが団体の強さになるのですが、我々は個々の強さで強豪に劣っても、5人のうち誰か3人勝てばいいという考え方で、相手との相性を考えて順番を入れ替えたり、相手のタイプを見ながら練習していました。スポーツ剣道かもしれませんが、結果を出すという意味では大いに勉強になりましたね。
─ やはり中・高の6年間は人格形成の大事な時期だということですね。東海は医師になる人が多い学校でもありますが。
廣田 仲間にはいろいろな人間がいて、今でも付き合っていますが、おっしゃるように半分は医師になります。
高岡 国公立の医学部に進学する人数は、この10年以上、東海がナンバーワンです。開成や灘が東京大学の理1、理2に行こうという風潮がある中、東海は名古屋大学を始めとした国公立の医学部を目指している。私は理系でしたが、周りがみんな医学部に行くのが当たり前という中、数少ない技術系でした。
人生を生きる上での「気づき」
─ 廣田さんは大学卒業後に三菱商事に入社しますが、そうした人生の決断に東海での生活は影響しましたか。
廣田 それは間違いありません。時代背景もあります。私が中学入学の年が東大紛争、翌年にアポロ11号が月に行き、大阪万博、札幌冬季五輪があり、73年のオイルショックの年が高校2年です。世界情勢が揺れ、日本も影響を受けた時代に中学、高校を東海で過ごした。このことは大きかったと思いますね。
「世界の中の日本」を意識した時代だったと思います。ここにおられる皆さんも尽力されて、今また日本が元気になるかもしれないという状況です。日本を大きな成長軌道に乗せるために、少しでも貢献したいという思いは今も持っています。
─ 柴原さんは医師の道を選んだわけですが、最初から意識していたと。
柴原 私は医学部に行こうとは考えておらず、進路に迷っていたんです。家が小さな会社を経営していたのですが、中学時代に経営がうまくいかなくなりました。それで高校に進学する際に親から「公立高校に移ってくれないか」と言われたんです。
先生方が「もったいない」といって引き止めてくれたことなどもあり、何とか進学できました。ただ、その経緯で何とも言えない不条理な気持ちになり、高校に行ってからは閉塞感というか、将来に希望がないと感じながら生活していました。ですから強い進路希望がない、流されるままに勉強する日々です。
