「コロナ禍を生き抜くには?」【私の雑記帳】
『ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず』。鴨長明の『方丈記』に出てくる句。
鴨長明がこう詠んだ1210年代(鎌倉時代)は飢饉や疫病で人々は苦しめられ、大地震などの自然災害も多く発生。
人々は川の流れを見ながら、川の光景はいつもと同じだが、流れている水は元のそれではないと感じる。全ての存在は移り変わるのだということ。
800余年後の今、わたしたちはコロナ禍という疫病に苦しめられている。歴史をひも解けば、そうした災厄を人々はしぶとく生き抜き
、”生”をつないできた。
時に過酷な状況に置かれることもあるが、生きることの意味をもう一度考え、力を合わせてこの危機を乗り越えようということ。
今はワクチンや治療薬も存在する。ただ祈るしかなかった800年前と比べて、わたしたちは時を生き抜く”知恵”を備えているのだと思う。
ただ、そのワクチンも米ファイザー社や米モデルナ社製と海外でつくられたものを輸入している。国民の命を救おうという時に、海外の知恵だけに依存していいのかという反省もある。
その意味で、塩野義製薬などが国産ワクチン開発を急いでいるのには勇気づけられる。
同社は治療薬も開発しており、ワクチンともども臨床試験は第2段階を迎えている。国の”自立”という面からも、早目の実用化が待たれる。日本の潜在力の掘り起こしの時である。
四半世紀ごとに見た戦後
今年も、『8月15日』がやって来た。1945年(昭和20年)の敗戦から76年が経った。この間に、日本にも世界にもさまざまな事が起き、いろいろな体験をしてきた。
終戦時は文字どおり、日本は焼け野が原。そこから人々は立ち上がり、第1回の東京五輪を開催(1964)、1968年には当時の西ドイツ(現ドイツ)を抜いて、自由世界第2位の経済大国になった。
そして1970年(昭和45年)には大阪万博を開き、日本の科学技術を世界に発信し、人々は高揚感を味わった。
敗戦からの25年間は高度成長の時代。夢が広がり、努力すれば報われる時代でもあった。
揺れた1970年代
次の25年は、国際政治・経済秩序の基本が揺れ始める時代。1971年はニクソン・ショックに見舞われた。金・ドル本位制が崩壊、ドルは金の裏付けのないものとなった。終戦の前年(1944)、米ドルを基軸通貨にし、固定相場で世界経済を運営しようとする『ブレトンウッズ体制』の崩壊と言われたのもそのためだ。
しかし、世界最大の経済力を背景に米ドルは基軸通貨として信認され続けた。日本はそこから、常に円高に苦しむという事態に突入。円高で輸出が打撃を受け、不況を招くという恐怖が以来続く。
さらに、1973年、1979年と2度の石油ショックが起きた。産油国が欧米の石油メジャーから石油の販売支配権を奪い、大幅値上げを断行。無資源国・日本には大変な打撃となった。
この2つのショックを日本は乗り越え、海外生産つまりグローバル化を進め、省エネや石油以外のエネルギー開発、さらには『重厚長大』から『軽薄短小』への産業構造転換を進めていった。3公社(国鉄、電電、専売)の民営化もこの時期に行われた。そしてバブル経済に突入。
1995年はネット元年
戦後50年経った1995年はバブル経済崩壊後で、金融機関は不良債権に苦しみ、新しい産業秩序を模索しているとき。
97年から98年にかけて、山一證券、北海道拓殖銀行が破綻し、続いて日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が破綻、日本は”失われた10年”の時代に入る。
