第1話:わたしの父は全日本ドライバー ― 猪爪杏奈の「猪突猛進」コラム
もくじ
ー まず、はじめに
ー 初レースまでのお話
まず、はじめに
みなさんこんにちは。Mazda Women in Motorsport 2期生、Lovedriveの猪爪杏奈です。
早速ですが、今日はわたしのレース人生の序章部分をお話したいと思います。
突然ですが、まず、MWIM(Mazda Women in Motorsport)とLovedriveについて少し説明させてください。
MWIMとは、FIA(国際自動車連盟)とJAF(日本自動車連盟)が提唱する「WOMEN IN MOTORSPORT」の活動へ自動車メーカーのマツダ様が一番最初に賛同してくださり、FIA Women in Motorsport Commissionアジア代表委員の井原慶子とともに「自動車産業およびモータースポーツ界における女性の活躍」を推進していこうと2015年1月に発足されたプロジェクトです。

そして、Lovedriveとは、2016年1月にLovedrive株式会社として設立され、自動車産業及び関連産業で活躍する女性をはじめ、人材を育成する教育事業や、自動車産業及びモータースポーツに参画する人材を支援するための企画/運営事業を行っており、現在約60名の女性メンバーが所属しています。
長くなって失礼いたしました。
初レースまでのお話
さて、ではわたしは何者なのか……。わたしは1995年2月に東京都府中市に生まれました。現在23歳です。3歳から習っているピアノが特技で、小学生から始めたバレーボールが好きで体育大学に進学しました。
高校の体育教師になることが夢でしたが、大学生活遊びほうけている娘を見かねた?(とわたしは思っている)父にサーキットに連れて行かれて、突然「レースをやりたい!」とこの道に進むことを決めました。
幼少期からカートなどもやっておらず、行き当たりばったりのハプニングの連続で突然変異したレーシングドライバー見習いです。さっそくですが、今日はわたしのレース人生の序章部分をお話したいと思います。
わたしが初めてサーキットを走ったのは19歳の秋でした。きっかけは父親の「お前、走ってみるか?」の一声。わたしの父は、2000年まで主に全日本ジムカーナという競技で活躍していたドライバーでした。

幼い頃、それこそ赤ちゃんの時からFD3Sに、母に抱きかかえられ乗っていました。600psのフル加速を体感した時は、体も目も開いちゃって、両親で爆笑だったらしい……。
ドンガラの後部座席にクッションを置いて座っていると、突然父が加速し始めて、後ろを見たら炎が見えて、本気で火事だと思った記憶は強烈すぎたのか、今でも薄っすら残っています。
そんな父の娘として生まれてきたわたしですが、19歳の夏に免許を取得するまでは、ピアノとバレーボールが大好きで、負けず嫌いな熱い体育会系女子でした。ピアノは本気でピアニストを目指していたし、バレーボールも大好きで体育大学に入学しました。

高校生の時に父からお小遣いをもらえるからサーキットにアルバイトしに行ってはいたけど、当時は見ても全く興味が湧きませんでした。
大学1年生の秋、「免許を取るなら大学生のうちしかない!」と思い、「取るならマニュアルだ。」の父の一言で1カ月の短期集中型で免許を取得。その2カ月後、「お前走ってみるか?」と父に聞かれ、「やってみたいし結構速く走れちゃうかも!」と思って即答でYES! 袖ヶ浦フォレストレースウェイを日産リーフで走行することになりました。

ラインはなんとなく理解していざコースイン!……の前に「なんでこんなに身体を締め付けるの〜?!」ベルトにヘルメットにハンスに、窮屈感しか感じなくてもう嫌な感じ……。
1周もしないうちにクルマ酔いをしてしまってもう降りたい……。でもここで帰ったら笑われそうだし格好悪い。と思い走行時間めいいっぱい走りきり、クルマを降りた時は気持ち悪くて死にそうでした。
運動神経には自信があったから悔しくて、「もう一回走りたいな」とすぐに思いました。しかし、レースの世界に入ったのは、それからしばらく経ってからのこと。
次回はきっかけについて、お話を聞いていただければ嬉しいです!
