トッテナムからアーセナルへと移籍した10名の男たち

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ついに本日のランチタイム(日本時間では5日21時45分)にキックオフを迎えるノースロンドンダービー。

両者の激しいライバル関係だけではなく、今季は優勝争いの直接対決でもある。否が応でも世界中の注目を集める一戦となるだろう。

火花を散らすトッテナムとアーセナルであるが、この間には意外と選手のやりとりが行われていることでも有名。

今回は逆にトッテナムからアーセナルへと移籍していった人物をまとめてみた。

ジョージ・ハント

トッテナム所属:1930〜37

アーセナル所属:1937〜38

トッテナム・ホットスパーの伝説的なストライカーであるジョージ・ハント。公式戦198試合の出場でありながら138ゴールという凄まじい記録を残しており、得点率ではあのジミー・グリーヴスに並ぶ。

1937年の退団語はアーセナルでプレーしたものの、わずか3ゴールと期待外れに終わり、1年でボルトン・ワンダラーズへと去っている。

晩年はアルツハイマー病に悩まされ、1996年に86歳で死去している。

フレディー・コックス

トッテナム所属:1938〜49

アーセナル所属:1949〜53

名ウインガーとして知られたフレディ・コックスは、ノースロンドンの両チームで長い時間を過ごした選手の一人だ。

第2次世界大戦では空軍の名パイロットとして活躍し、その後サッカーでその才能を見せつけた。

現役引退後は指導者になったが、1970年を最後にサッカー界から離れ、1973年に52歳という若さで死去している。

ヴィック・グローヴズ

トッテナム所属:1952〜53

アーセナル所属:1955〜64

アーセナルで怪我に苦しみながらも長くプレーした名選手として知られるが、20歳の時には少しだけトッテナム・ホットスパーに所属し、4試合で3ゴールを決めている。

1965年に現役を離れた後は保険業やパブで働き、サッカー界からは離れた。しかしその一方で、甥のペリー・グローヴズは1980〜90年代にアーセナルで活躍した。

ジミー・ロバートソン

トッテナム所属:1964〜68

アーセナル所属:1968〜70

スコットランド代表経験を持つウインガー。デイヴィッド・ジェンキンスとのトレードによってトッテナムからアーセナルへと移籍している。

なお、ノースロンドンダービーで両チームにゴールをもたらした選手はアデバヨールと彼だけである。

スティーヴ・ウォルフォード

トッテナム所属:1975〜77

アーセナル所属:1977〜81

現在アイルランド代表、そしてボルトン・ワンダラーズでアシスタントマネージャーを務めている。ニール・レノンやマーティン・オニールのパートナーとして辣腕を振るう。

そんな彼も現役時代はトッテナムでデビューした経験を持ち、その後アーセナルでプレーしたというキャリアを過ごした。また、ウェストハムでもプレーした。

ウィリー・ヤング

トッテナム所属:1975〜77

アーセナル所属:1977〜81

ウォルフォードと全く同じタイミングでトッテナム、アーセナルと移った屈強なディフェンダーとして知られた。クラブの中心的DFとしてハイバリーでは170試合に出場している。

引退後はノッティンガムでパブを経営するとともに、犬のブリーダーとしても活躍しているという。

パット・ジェニングス

トッテナム所属:1964〜77、1985〜86

アーセナル所属:1977〜85

イングランドサッカーの歴史上最高クラスのゴールキーパーとして知られるジェニングスが活躍したのも、トッテナムとアーセナルだった。

トッテナムでは590〜591試合、アーセナルでは327試合に出場。現在ホワイト・ハート・レーンには「パット・ジェニングス・ラウンジ」が設けられており、ファンと交流することもある。

ソル・キャンベル

トッテナム所属:1992〜2001

アーセナル所属:2001〜2006、2010

近年で最も有名なトッテナム→アーセナルの選手としては、やはりこのソル・キャンベルだろう。圧倒的なフィジカルを武器に、この2クラブで14年を過ごした。

もちろんハイバリーでは「インビンシブルズ」の一員として無敗優勝を経験。そしてハイバリー最終年度とともにポーツマスへと移籍した。

ノッツ・カウンティで「騙された」という短い所属期間を終えた後、2010年にもアーセナルで練習参加から半年間の契約を勝ち取っている。

ハーバート・チャップマン

トッテナム所属:1905〜07

アーセナル所属:1925〜34(監督)

イングランドサッカーの歴史を変えたと言われている名マネージャーの一人、ハーバート・チャップマン。アーセナルでWMシステムを考案し、その後の戦術に大きな影響を与えた。

選手としては彼はそれほど実績がある人物ではないのだが、現役時代にはトッテナムでプレーし、FWとして16ゴールを決めた経験を持つ。

彼は1907年にエンジニアの道に進むために引退を決断したが、ノーザンプトン・タウンが選手兼監督としてのオファーを送った。そして、これが彼をサッカー界に残すきっかけになったわけだ。

テリー・ニール

トッテナム所属:1974〜76(監督)

アーセナル所属:1959〜70(選手)、1976〜83(監督)

アーセナルで241試合に出場した経験を持つセンターバックである。1973年にハル・シティで引退した後、すぐに指導者に転身。この時28歳で、当時は歴史上最年少だった。

1974年にトッテナムの監督となり、そして2年後にアーセナルを率いることに。この時もまだ34歳で、これも同クラブ史上最年少記録であった。

さらに監督としても41歳という若さで引退。その後スポーツバー事業に進出するとともに、ライターとしても活躍。現在はロンドンに本拠地を置くメディア、印刷企業のThe Hubで事業開発部門のチーフを務める。