主将として開幕前の苦しい時期もチームを力強く牽引した阿部。第1ステージ制覇は「通過点」と語る。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

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「レッズが僕を必要としてくれていることを強く感じられたし、レッズでやるべきことがあるとも思った。レッズで新しい挑戦をしようと決断しました」
 
 2012年1月、東京・渋谷で会った阿部勇樹は、イングランド・チャンピオンシップ(当時)のレスター・シティから浦和レッズへ復帰する決意について淡々と語った。
 
 前年、残留争いを経験するほど低迷していた浦和は、ペトロヴィッチ新監督の招へいとともに、阿部の復帰にチーム再建を託したのだ。
 
 阿部が浦和のシャツを着たのは2007年。リーグ王者に輝いたクラブの大型補強として騒がれた当時に比べると、ひっそりとしたニュースに思えたが、阿部自身には古巣復帰というような温もりや安心感はなかった。
 
「『自分がやらなくちゃいけない、変えなくちゃいけない』という強い使命感がある。アジア王者になった2007年のレッズには戻れない。新しいレッズを作ることが重要だと思う。そのために自分が嫌われ役になってもいい。なにかを成し遂げて、みんなで喜ぶためには、なりふり構っていられない。あと何年サッカーができるか分からないけど、やれることをすべて出し切っていきたい。
 何もかもがそう簡単に上手くいくわけじゃないと思うけれど、そういうなかで、どれだけ耐えて、ブレずにやれるか? 選手もそうだし、クラブもそう。そうやって築いたものが、自分が辞めた後もレッズに根付けばいい」
 
 阿部の覚悟を察したかのように、ペトロヴィッチ監督は彼をキャプテンに指名。阿部を主軸に置き、チーム改革へ乗り出した。次々と新加入選手が赤いシャツを身にまとい、若手も台頭するなかで、チームメイトの顔ぶれも大きく変わっていく。しかし、好成績を残しながらも、タイトルとは無縁の日々が続いた。
 あとわずかのところで、勝ちきれない――。そんなシーズンが続いて迎えた2015年の第1ステージ。浦和はACL2連敗を含む公式戦3連敗を経てリーグ開幕に臨む。しかしふたを開けてみれば、浦和は16戦負けなしで突っ走り、ステージ優勝を飾った。
 
「まだ、ファーストステージをとっただけで、なにも得られてはいない。でも、神戸まであんなに大勢のサポーターが来てくれて、周りの人が喜んでいる姿を見るのが一番嬉しい。
 キャプテンとしての苦労は特にはないですよ。今日はここ(神戸)には来ていないけれど、平川選手だったり、鈴木啓太選手だったり、長くレッズにいて、レッズの歴史を知っている選手がいるから、チームが成り立っていると思っている」
 
 浦和で待つチームメイトへ想いを馳せるように、そこでいったん言葉を切り、小さくうなづいた。
「うん。そうやって一緒に戦ってきたメンバーと一緒に喜べることはうれしい。こうやって、そういうもの(歴史やアイデンティティ)がどんどんつながって、下の若い選手へ伝わっていけばいい。それがずっと浦和がやってきたことだと思うから」
 
 2003年のナビスコカップ優勝から始まったアジア王者までの躍進。埼玉スタジアムが勝利の歓喜に沸くシーンを何度も体験してきた阿部はサポーターの苛立ちを実感していた。「一緒に闘っているからこそ、言いたいことがあるはず」と彼らからの罵声を受け、一歩前へと踏み出した。
 
「ともに戦い、ともに勝利し、喜びを分かち合う」
 20数年にわたり、積み重ねた時間が、歴史となり、浦和レッズの財産となっている。
 
 神戸でのセレモニーでは、小さな優勝トロフィーをペトロヴィッチ監督とともに掲げた。しかし、目指すべき場所はここではない。大きなシャーレを監督やサポーターに捧げなければならない。そして、すべての仲間と栄光の舞台に立つ。
 
「シーズンの最後に選手全員で(Jリーグ)アウォーズへ行くというのが、はっきりとした僕たちの目標だから」
 
 2004年第2ステージ。レッズは初めてリーグタイトルを獲った。あれから約10年。阿部勇樹が新旧の歴史をつないでくれるはずだ。
 
取材・文:寺野典子