セルジオ越後氏が名門クラブから監督オファーをもらった過去を告白! 「社長に銀座へ連れていかれて…」
越後氏は1972年に来日。藤和不動産サッカー部で2シーズンにわたってプレーし引退すると、75年からは国内チームのコーチを務める。また78年からは、日本サッカー協会公認のもと「さわやかサッカー教室」で全国の少年少女に直接指導を行なってきた。さらに93年のJリーグ開幕以降は、解説者として活躍の場を広げてきた。
その越後氏が自身のYouTubeチャンネル『蹴球越後屋』で明かしたのは、Jリーグ開幕前夜の日本リーグ時代のエピソード。すでに引退し、少年少女への指導で全国を行脚していた越後氏のもとに、あるオファーが舞い込んだという。
「全国でサッカー教室の普及活動をやっていた時代に、読売クラブの社長が来て、銀座に連れていかれた。『監督をお願いできませんか』って」
しかし越後氏は「読売クラブに行って優勝してもいいが、日本のサッカーは何が変わる? 今、俺は大事な畑仕事をしている。次の選手を探しているんだ」とそのオファーを断ったという。もし他に、育成・普及の仕事をする指導者がいれば監督になっていたかもしれないが、「サッカーを普及させて、いずれあなたら(クラブ)にいい選手を送りたい」と、名門クラブからの申し出を断った理由を明かしている。
日本サッカーの普及に大きな功績を残したと言われる越後氏。もし、読売クラブからのオファーを受け入れていれば、日本サッカーの未来も変わっていただろうか。
その他動画では、読売クラブで日本代表まで登り詰め、日本代表の中継でも越後氏と名コンビで解説を行なってきた松木安太郎氏の意外なサッカーキャリアや、サッカー解説のなかでたびたび飛び出してくる“ダジャレ”への想いなどを語っている。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
