'71年第1戦のオールスター9連続奪三振はあまりにも有名。前年度の5奪三振、71年第3戦の1奪三振を合わせれば15連続奪三振となる。その記念ボールを手に持つ江夏豊氏

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 シーズン401奪三振、両リーグでのMVP獲得などの大記録を残し、「プロ野球史上最高の左腕」と評される江夏豊氏。78歳になった江夏氏の最後の書き下ろしとなった書籍『江夏の遺言』(江夏豊・松永多佳倫の共著、小学館刊)が話題を呼んでいる。同書では「オールスター9連続奪三振」「江夏の21球」など、球史に残る名場面を振り返ったほか、各球団での衝突と軋轢の真相、さらには引退後に起こした「過ち」からの再起の日々を赤裸々に明かしている。※本記事は『江夏の遺言』から本文の一部を抜粋、再編集したものです。

江夏豊が嫌った「ただ飯、ただ酒、ただ女」

自分たちの頃は昭和の興行の象徴としてプロ野球があったこともあり、ただ飯、ただ酒、ただ女という言葉があった。相撲界のタニマチからの慣わしで、例えば地方に行ったりすると地元の関係者からあてがわれたりする。俺はそういうのが大嫌いで一切応じなかった。飯は自分のお金で食い、好きな女を自分で口説くもんだと一貫していた。

女性というものは、やっぱり自分で口説いていく過程が面白く、何回も通うことは性格的に好きじゃなかったけれど、自分が想った女性と会いたいからいいピッチングをしたい。いい結果を出して「おいどうじゃ、勝ったぞ」と誇らしげに言ってみたい。男だったら誰しも持っている感情で、やっぱり好きな女の前で格好つけたいもの。相手に特別なものを求めることもなかった。

◆焼肉とドーナツ漬けだった現役後の食生活

この年になれば身体もガタがくる。血糖値が高いため医者からもカロリー制限され、嫁さんのおかげもあってかどうにかこうにか食事制限をして節制している。自分の場合は甘いもんが大好きで、ひとりで糖分を控えることなんてなかなかできない。本当に、嫁さんのおかげだ。

昔みたいに馬鹿食いはしなくなった。まだ独り身のとき、暇つぶしにぶらぶらパチンコに行って帰りにミスタードーナツで一通りの種類を買うと大体12、3個になる。それを持って帰って夜中に食べる。柔らかくて本当に美味しい。そんなときにふと頭に過る。

「次の日に残すと硬くなってまずくなるし、捨てるのももったいないしな」と結局全部食べてしまう。そういう偏食がよくなかった。

野球選手あるあるだけど、やっぱり肉が大好物。肉と魚といえばどうしても肉に目がなく、週のうち八回か九回は焼肉。魚っていったらそれこそ寿司ぐらいしか行かない。夕食は焼肉、ひどいときは昼食も焼肉。肉が悪いんじゃなしにあまりの偏りすぎがダメ。それでも現役時は運動しとったから、まだよかった。運動していれば食事の偏りもある程度カバーできるけど、現役が終わって運動もせずにそういう食事ばかりしてるとやっぱり体に変調はきたすのは当然ちゃ当然。だから今は慎ましい食事をし、体調も戻ってきた。あらためて思うが、毎日の積み重ねはやっぱり大きい。

◆21歳で痛風に…江夏豊の偏食人生

実は阪神時代から心臓以外にも患っていた病気がある。

痛風だ。昭和の時代、メロンが超高級食品として扱われ、庶民のテーブルに並ぶことなどまずなかった。だからメロンが食いたいという気持ちを幼き頃からずっと抱いており、プロに入った一年目のときかな。たまたま静岡の袋井のメロン業者の方と知り合いになり、俺がメロン好きだとわかると「わかった、じゃあ江夏さん、メロンを送るよ」と言ってくれたのが運の尽き。毎年定期的に合宿にメロンを二ダース送ってくれるので、人にやるのがもったいなくて自分で一気に一日2つ3つ食っていた。それだけ食わないと減らないからだ。遠征があるから月の半分ほどしかいない合宿所で朝から肉やメロンばっかり食っているから弱冠二一で痛風になった。それから半世紀以上痛風との戦い。痛風の痛みは、悲鳴あげるほどの激痛が突然襲う。痛風とは、血液中の尿酸値が高くなることで下半身の関節に腫れや炎症を発症する障害。原因はぜいたくな食事、バランスの悪い食事が続くことで偏った栄養状態によって症状が出るといわれている。痛風は関節障害だけでなく、合併症を引き越す可能性も高いので、非常に怖い病気でもある。