しかし好調さが裏目に出て、本番が近づく頃にはメンバー固定でマンネリ傾向が見え始める。また大会期間中は比較的涼しいイトゥを拠点としたが、試合の度に長時間のフライトと酷暑でのプレーを強いられた。

 大きなカギを握る初戦では、本田の鮮やかなゴールで先制した。だがコートジボワールが象徴的存在のディディエ・ドログバを送り込むと流れが一変。立て続けに2ゴールを許し、逆転負けを喫した。続くギリシャ戦では相手が38分に退場者を出し、逆に引きこもられて展開が難しくなりスコアレスドロー。最終戦は前半終了間際に岡崎慎司の同点ヘッドで望みを繋ぎかけたが、コロンビアが後半からエースのハメス・ロドリゲスをピッチに送り込むと、一気に3ゴールを畳みかけられて惨敗の結末を迎えた。

 日本を圧倒してグループCを首位通過したコロンビアは、エースストライカーのラダメル・ファルカオを故障で欠いたが、22歳のロドリゲスがその穴を補って余りある活躍でチームを牽引した。R16では自らの2ゴールで前回ベスト4のウルグアイを下し、準々決勝ではブラジルと対戦。1−2で惜敗したが、さらにPKを決めて6ゴールで大会得点王に輝いた。
 
 逆に準決勝進出を決めたブラジルは、この試合で大きな痛手を被った。終了間際にネイマールがファン・スニガの膝蹴りを背中に受けて腰椎を骨折。さらにチアゴ・シルバが相手GKのパントキックを邪魔する不要な行為で警告を受け、次戦が出場停止になる。ブラジルは攻守の要を欠いて重要な試合を迎えることになった。

 準決勝でブラジルの前に立ちはだかったのはドイツだった。ドイツは2000年EUROで惨敗したのを契機に、連盟とリーグが協力して将来へ向けての改革を敢行した。技術優先の育成方針を国中に浸透させ、トルコ系などの移民ルーツのタレントも積極的に活用。こうした土壌から創造性のある選手が育ち、ヨアキム・レブ監督が率いる代表チームでも創造性を伴う組織的なスタイルが実現した。

 開幕からトーマス・ミュラーのハットトリックなどでポルトガルを一蹴してグループGを首位通過したドイツだったが、一転してノックアウトステージでは苦戦が続いた。R16では、82年大会初戦で敗れているアルジェリアと対戦。アルジェリアは真っ向勝負を挑み、前半から度々ドイツを脅かした。惜しくも延長戦で力尽きたが、チームを指揮したヴァイド・ハリルホジッチ監督の手腕は高く評価され、次回大会直前までは日本代表を率いることになる。

 120分間の熱闘の末にアルジェリアを2−1で振り切ったドイツは、これで初優勝の1954年大会以来、実に16大会連続でベスト8進出を決める。さらに準々決勝では、宿敵のフランスから13分に挙げたセットプレーからのゴールを死守。堅実に頂点への階段をひとつ上がった。
 
 準決勝はサッカー王国にとって悪夢の一戦となった。開始11分、ドイツは右CKからフリーのミュラーがインサイドで合わせてゴールラッシュの口火を切る。23分には、36歳で4大会連続出場のミロスラフ・クローゼが、大会通算最多記録を塗り替える16ゴール目を決めると、そこからは6分間で3ゴールを連ねる。

 ブラジルのスコラーリ監督は、あまりに想定外の事態で「チームはパニックに陥り、私もどうリアクションして良いか判らなかった」と、後半に入るまで交代カードを切れなかった。ドイツは、後半もさらに2点を追加して7−1で大勝。64年前に最終戦で逆転負けを喫し「マラカナンの悲劇」を記したブラジルが、今度は「ミネイロンの惨劇」を歴史に刻むことになった。

 そして皮肉なことに、ブラジル以上にカップに近づいてきたのがアルゼンチンだった。