篠原勝之さん(本人のInstagramより)

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「ゲージツ家のクマさん」の愛称で親しまれた篠原勝之さんが4月17日、肺炎のため亡くなった。享年84。その“粋”な生の軌跡を、親交のあった著名人が語る。

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【写真を見る】愛猫と共に精力的に活動を… 山梨県に工房を構えていた「篠原勝之さん」

去り際も「クマさんらしい」

〈ついにね、オサラバの時が きちゃったよ。/いろいろ、みんなに親切にしてもらって ありがとう。/いっぱい感謝して、旅にいきます。/アバヨ。〉

 亡くなる日の朝、篠原さんが近親者に口頭で託したメッセージである。

 この言葉を「クマさんらしい」と感想を漏らすのは、元プロレスラーで格闘家の前田日明(67)だ。

「いつも“なんてことないよ”といった独特のゆったりとした空気感をまとっていました。会えばいつだってニコニコしていて、たおやかな雰囲気で現れては、たおやかな雰囲気のまま帰っていく。人生の去り際もまた、その通りでした」

篠原勝之さん(本人のInstagramより)

 篠原さんとの出会いは前田がまだ20代だった1980年代にさかのぼる。

「雑誌の対談だったと思います。初対面の時から、普通の人と違ったリズムで生きている印象で魅了されました。その後、親交を深めるにつれ、クマさんが70年代に劇作家・唐十郎さん率いる『状況劇場』の舞台美術やポスターを手がけていたことを知りました」

何気ない一言

 北海道出身の篠原さんは高校在学中に家出をして上京。武蔵野美術大学を中退後、グラフィックデザイナーとして広告会社に勤務するも数年後に退社した。その際「二度とサラリーマンにならない」と決意して頭をそり上げたという。この姿は生涯のトレードマークとなった。

「91年のプロレス団体UWF解散後の一番大変だった時期に“お前も苦労してるな。まあ、良い経験してるよ”と声をかけてもらったことがあります。何気ない一言でしたが、心が軽くなりました。その後、総合格闘技団体リングスを立ち上げ、そのチャンピオンベルトをクマさんに発注して作ってもらいました。他の作品同様、重厚感の漂う素晴らしいベルトでした」

 当時の篠原さんは、鉄を素材とした大型のオブジェを制作し、「鉄のゲージツ家」を自称していた。その傍ら、「笑っていいとも!」(フジテレビ系)や「たけしの誰でもピカソ」(テレビ東京系)などバラエティー番組でも活躍した。

“粋”でロック

 この頃、テレビ番組や映画などで共演した経験を持つロックバンド「カブキロックス」ボーカルの氏神一番(67)が言う。

「クマさんは“人への興味があるから出ているだけで、テレビにこだわりはないんだ。タモリさんやビートたけしさんに会いに行きたいだけなんだ”と話していました。実際、テレビの仕事をスッパリ辞め、山梨に工房を構えたのも、ごく自然な成り行きに映りました。何事にも執着せず、自分のやりたいことと真摯に向き合う。よく“俺は野暮にはならねえ”と言っていましたが、そんなクマさんの生き方を拙者は“粋”でロックだと感じていました」

 95年に山梨県北杜市に作業場を構えると、21年には奈良県へ移住。晩年になっても精力的に創作を続けていたが、昨年12月、咽頭がんで放射線治療を受けていることを公表した。

「クマさんに最後に会ったのは10年以上前です。心の中ではクマさんに畏怖の念を抱いていました。これまでいろんな人と会ってきましたが、自分の住む世界とまるで違う世界を生きている人はクマさんが初めてだった。俺の中では、唯一無二の存在でした」(前田)

 人生の終わりを「離陸」と表現した篠原さん。その言葉通り、高く遠くへ旅立った。

「週刊新潮」2026年5月7・14日号 掲載