暴力団が終わっても日本社会は浄化されない…ヤクザ崩壊後に日本を支配する「新たな組織犯罪集団」の正体
かつて20万人もの構成員を擁した暴力団。
覚せい剤の輸入や賭博、みかじめ料の徴収で莫大な収益を上げ、1980年代の年間収入は推計8兆円に達したと言われる。だが平成に入って以降、暴対法の制定や警察の行き過ぎた捜査、メディアによる批判的な報道が原因となり、暴力団は衰退の一途をたどってきた。
では、暴力団が社会から消えていくことは、我々一般国民にとって「良いこと」だけなのだろうか?しばし「必要悪」として語られてきた“やくざ”の実態を、『やくざは本当に「必要悪」だったのか』より一部抜粋・再編集してお届けする。
カネによる支配
山本は農林省へのデモが失敗した後、2010年ごろ「解散建白書」を書き、そこに一つずつ今の山口組が正すべきことを書いている。
一言でいえば、山口組はカネが支配する体質になってしまった。
山口組の会費はおれが入った当初、月700円だった。
組と組のつき合い、たとえば葬式があれば慶弔費として出費はある。月々にかかった経費を30人ほどの若い衆で頭割りし、あとから徴収する仕組みだった。そのための計算担当者、徴収担当者もいた。きわめて明朗会計だったわけだ。
いま、70人以上いる直系組長が本部に納める会費は(一人当たり)月100万に近いという。
親分が自活して子分を養っている組ならいざ知らず、おおよその直系組長は会費支払いのため、下の者から100万以上のカネを集めている。
山口組は5次団体から6次団体まである。カネは下から上へ順に吸い上げられるわけだ。自主的に差し出すわけではない。いまの親分は吸い取り紙だ。しかも吸い上げ途中で各段階の親分が自分の組の会費を抜く。動くカネの総額は会費と呼べるような半端な額じゃない。
やくざは跡形もなく終わる
会費のほかにも積立金やら、山口組本部直営の通販やらで出費がかさむという。通販というのは、ミネラルウォーターや洗剤などの日用品を、本部からの割り当てで直系組長が買わされる仕組みだ。もともと名古屋(弘道会)だけでやっていた仕組みらしいが、6代目になってから全直系組長に購買を義務づけたようだ。いまは取りやめたという話も聞くが、神戸のヤクザだったら、まして田岡だったらこんな商売人まがいのことはしないだろう。〔略〕
昔は詐欺師や泥棒は組に入れなかった。組に入ったとしてもそんなシノギはやめさせていた。山口組だけでなく、ヤクザ全体で許せない犯罪と見ていた。そういう者を抱えていれば「あんな組あるかい」「うちは義理と人情で生きとる組や」と言われてボイコットされていた。ヤクザにもそういう矜持があった。〔略〕
まがりなりにも田岡一雄は、「山口組は正業をもったものたちの親睦団体にする。それがわたしの理想なのだ」(『山口組3代目・田岡一雄自伝』)と公言していた。
田岡にいまの山口組を見せたらどうか。犯罪者の集団と言うだろう。
山本次郎はこうしたことを言った上で「解散建白書」をまとめた。私は田岡の「正業を持て」という言葉の後で、それを土台として、山口組の直参がこうした「建白書」を記したのは山口組が暴力団組織の中で特別な点だろうと思う。他の暴力団からこうした言葉は出ていない。わが身を切り捨てなければ出ない発言だからだ。
暴力団は法的にも取り締まり面でも追い詰められている。理屈の上からも倫理面からも解散を迫られている。そして実態的にも脱落が続き、雲散霧消へとなだれ落ちている。
やはり暴力団、やくざは遠からず跡形もなく終わる。その後、隆盛を極めるのは匿流であるはずだが、匿流はやくざの名を新しく継ぐことはできない。匿流はことさらに名を潜めるものであり、個人を消して犯罪収益の確保だけに突っ込んでいく犯罪グループである。
物語やくざの終焉と汚水溜まり社会
男を売るなどのロマンチシズムなど毛ほども持ち合わせず、彼らの目の前にあるのは利だけだ。だから暴力団がいくぶんか持った物語の核になったような人間性はあり得ない。自らを語ることさえ最初から拒絶している。
暴力団の終焉は物語やくざの終焉をも意味する。物語やくざは江戸期からのやくざのようについに虚しいだけの空箱だが、匿流は空箱になろうとすることさえ峻拒している。
残るのは特殊詐欺や窃盗、強盗、殺人などが潜り込み、匿名のまま、犯した犯罪だけが意味不明の状態で浮上する汚水溜まりだろう。
暴力団に解散を勧めるのは、解散しないかぎり犯罪を余儀なくされるからだ。犯罪以外に食う方途はない。やくざが古来、営業を非公式に認められてきた賭博は官が接収し、かといっていかなる正業も営むことは禁じられている。残るのは刑務所暮らしに行き着く犯罪しかない。
刑務所ではなるほど衣食住は保障されるだろうが、自由を制限される生活では生き甲斐を感じようがない。朽ち果てる時をただ待つだけの生涯は「人生」の名にも値しまい。
解散して自由人になる。まともな会社は雇ってくれないだろうが、それでも元やくざは会社に首根っこを押さえられて生きてきた大多数の堅気に比べて、人生の大半の時を堅気とは別の空気の中で過ごしたという特異点を持つ。それがその後の人生を豊かな気持ちで過ごす下地になるのではないか。
あるいは韓流ドラマに登場する風景のように、段ボールや空き瓶を集めて寄せ場に運ぶ老人じみて来るかもしれない。健康だが、かつかつの自由生活はご免だという向きには、やくざを辞めた以上は堅気だ、営業の自由を、という法律がどうしても必要になる。
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