ここで別れれば後腐れはない、そのタイミングを章弘さんは逃して――

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【前後編の後編/前編を読む】不倫5年目、「もう引き返すべき」とわかってはいるけれど… やはり若い頃に“大恋愛”はしておくべき? 10歳年下に溺れ47歳夫は自己嫌悪中

 片瀬章弘さん(47歳・仮名=以下同)は、同期入社だった美玲さんと35歳で結婚し、2人の息子を授かった。38歳で次男が生まれた半年後、地方に単身赴任することになった章弘さんは、母と共に小料理屋を営んでいた10歳年下の友里さんと出会う。恋愛にのめり込んだ経験がなかった彼は、おかみさんの病をきっかけに友里さんとの距離を縮め、強く惹かれていった。

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 もちろん、章弘さんは友里さんと簡単に男女の関係になったわけではない。「親切な店のお客さん」でいいと思っていたところから恋心が芽生えたが、それを否定しつづけた。自分は既婚者だ、子どももいる。それが彼の情熱と恋心を抑制した。

ここで別れれば後腐れはない、そのタイミングを章弘さんは逃して――

「そのときは2年半で帰京しました。ただ、ときどきその地への出張があったので、行けば必ずお店には寄りました。おかみさんも元気になって、ああ、よかったと思っていたら帰って2年後、再度、その地に赴任することになったんです」

 その支社でちょっとしたトラブルが続き、責任者は退職、指揮を執る人間がいなくなってしまったのだ。立ち上げから関わった章弘さんは自ら名乗りを上げた。自分にも責任の一端はあると感じたのはもちろんだが、また友里さんと会えるという下心もなくはなかったと彼は言う。

妻は渋い顔…

「さすがに妻は渋い顔でしたね。当時、長男が7歳、次男が5歳だったから、『子どもに顔を忘れられるわよ』と言われて。それもそうだけど、やっぱり行くしかなかった。会社も月に3回まで帰っていいと言ってくれたし、余裕があるときは東京と赴任地の中間にある会社の保養所を優先的に使っていいとも言ってくれた。うちの会社、給料はそんなに高くないんですが、今どき、福利厚生が非常に手厚いんです。社長に直談判して、家族が保養所に来るときの補助もつけてもらった。融通が利くんです」

 時代遅れかもしれないが、社員を大事にする姿勢を見せてくれる会社が章弘さんは好きだった。よく新卒で入ってきた社員が3年保たずに辞める話を聞くが、章弘さんの会社ではほぼ誰も辞めない。それだけ居心地がいい社風なのだ。

「僕なんかリーダーシップもないし詰めが甘いタイプだし。それでもなんとか仕事ができているのは、そんな社風によるところが大きい。それはわかっていますから、せめて少しでも役に立てればという愛社精神はありました」

 美玲さんも夫のそんな気持ちはわかっていたのだろう。彼女自身、同じ会社にいたのだから。結局、章弘さんの上司までもが美玲さんに頭を下げ、単身赴任が決定した。

「再びの赴任」に涙ぐんだ友里さん

「出張で行ったとき、来月からまた赴任してくるからと言ったら、友里が涙ぐんだんですよ。おかみさんには見えないようにしながら。その潤んだ瞳に僕も気持ちが動揺しました。もしかしたら友里も僕を思っているのだろうか、僕が思うのと同じ意味合いで。いや、10歳も年下の友里が既婚者の僕を好きになるはずがないとあわてて打ち消したけど。これが恋愛感情というものなんだなと、そのとき初めてわかりました。愚にもつかないことを考えたり、わかるはずもない相手の気持ちをあれこれ考えたり。時間も労力もムダなのに、気づくと考えてしまう。甘くて苦くてせつない気持ちでしたね」

“せつない”は大人ならではの感情だろう。経験値が上がっている大人だからこそ、どうにもならないことを考えてはせつなさにため息をつくものだ。

友里さんの生い立ちの秘密

 単身赴任して2ヶ月、ようやく落ち着いて仕事をスタート地点に戻し、ここから成果を出していこうと思ったころ、店に行ってみると友里さんがひとりでぽつんとカウンターの中にいた。客がひとりもいないのを見るのは初めてだった。

「遅めの時間だったから空いているかもしれないとは思ったけど、誰もいないのは珍しい。どうしたのと言ったら、今日はひどい雨だしやけに寒いし、みなさん里心がついちゃったんじゃないでしょうかと。貸し切りはうれしいなと言ったら、友里が『今日はふたりで飲み明かしますか』と笑って。おかみさんが休めるときは休んでもらうことにしていると彼女は言っていました」

 その日、彼は友里さんがおかみさんの養女だと初めて知った。生みの親は、友里さんが産まれてすぐに離婚した。2歳までは母親と一緒にいたのだが、その後、母親は友人だったおかみさんに友里さんを預けたまま行方がわからなくなった。おかみさんは友里さんを自分の子として育てようと決め、係累を探したりあちこちに相談したりして、ようやく家庭裁判所の許可を得て養女としたのだという。

「必死に働いて大学まで出してもらった。就職先で人間関係がうまくいかなくなったとき、『いつ戻ってきてもいいよ』と言ってくれたので甘えて戻ってきた。それでも私がいつでも出ていけるよう、母は私には頼らなかった。脳梗塞で倒れたとき初めて、頼ってもらえたのがうれしかった。だから私はあの人をちゃんと看取らなければと思っている」

 友里さんはそんな話をして微笑んだという。そういう関係だったのかと章弘さんは、さまざまな疑問が腑に落ちた。他人行儀というわけではないのだが、一般的な母娘とは少し違う雰囲気が見てとれたからだった。

「僕なんか語れるような家族関係は何もないから、ごく普通の家で育って、ごく普通に結婚しただけと言いました。『それがいちばんじゃないですか』としみじみと友里が言ったのが印象的でした。『でも、私はあの母と出会えて幸せだけど』とも。とてもきれいな笑顔だった」

「寄っていきませんか」

 閉店にしてあなたも早く帰ってゆっくりしたほうがいいと章弘さんは言った。友里さんもその気になったのか片付けを始めた。章弘さんはその日、車だったので飲んでいない。送っていくと友里さんが「寄っていきませんか。おいしいコーヒーいれるから」と言った。

「ちょうど飲みたかったんだと言って車を止めました。僕は彼女がおかみさんと一緒に住んでいるとばかり思っていたんです。そんなに時間も遅くなかったし、つい甘えて寄ってしまった。そうしたら彼女、ひとり暮らしだった」

 友里さんの部屋は7階、母は同じマンションの3階に住んでいるのだという。会ったらどうしようと思ったのだが、「さっき電話したら、もう半分、眠りかけてた。今ごろはもうすっかり夢の中よ。母は絶対に私の部屋には来ないから。何かあれば電話してくる」と友里さんは言った。

「お互いに、ようやく思いが通じたという気持ちでした。僕は半分、迷う気持ちはあったけど友里に抱きつかれたとき、迷いは消えました」

この関係の到達点はどこなんだ

 幸せという気持ちとは少し違う、だが深い満足感が彼を包んだ。この満足感を、人は幸せと呼ぶのだろうか。ただ、満足感と同時に不安も押し寄せてきた。いつか友里に嫌われるかもしれない、ここがふたりの関係の最高地点かもしれない。妻にバレたらという現実的な感覚はなかった。

「この関係の到達点はどこなんだろう。そんなことをぼんやり考えていました。肉体と感情が最高点に達するとき、人はそこが最高点だとわかるのだろうかとか。愚にもつかないことですが。友里に何を考えているのと聞かれたから、そんなことを答えたんです。そうしたら彼女、笑い出して。『私はね……、ただただ、とーっても気持ちがよかった。それだけよ』って。なんだか無性にうれしかった」

 そうなれば通いたくなるのが男の常だ。章弘さんもそうだった。だが、友里さんはせいぜい週に1回、もしくは2週間に1回くらいしか許可しなかった。「馴れあいたくないの」と言ったが、友里さんもまた、いつかは離れていく関係を怖がっていたのだろう。

「僕からは常にアプローチしていました。友里と少しでも一緒にいたかった。でも単身赴任の部屋に彼女を入れるのだけは気が引けて。だからドライブがてら少し離れた街まで行ってホテルに入ったこともありました」

店で顔を合わせるときは

 店にもときどき行ったが、ふたりは関係をもつ前と同じように振る舞った。意味ありげな視線も交わさなかった。そういうのは誰かが気づくものだと友里さんが言っていたからだ。

「他の客とも関係をもったことがあるのかなといらん嫉妬をしたりもしましたね。彼女はそういうとき、何も答えずに悲しい目でじっと見るんです。ごめんと言うしかなかった」

 人から見れば、どんな不倫も「ただの不倫」だ。だが、当事者たちはこれが崇高な愛だと思い込むことも多い。そういうのは嫌だと友里さんは言った。

「私たちの関係は私たちだけがわかっていればいい。下品でも崇高でもない。私たちだけの関係」

 その言葉がずっと支えになったと章弘さんは言う。

東京に戻ることに

 2年前、彼は単身赴任を終えて東京に戻った。彼の地にはまた出張で行くかもしれないが、軌道に乗ったので回数は減っていくと予測できた。だが彼は「また来るから。仕事がなくても会いに来る」と友里さんに言った。あてにしないで待ってると友里さんは笑顔さえ見せた。だが彼はわかっていた。以前もそうだったのだ。友里さんの部屋をあとにして車に乗ろうとしたとき、なんだか嫌な予感がして部屋に戻った。チャイムで出てきた友里さんが泣いていたことはすぐわかった。

「その日は彼女のところに朝までいました。彼女はさっぱりしている自分を装っているだけ。そういう人なんです」

 自宅に戻った章弘さんは、すぐに東京でのせわしない生活に慣れていった。息子たちも最初は毎日帰ってくる父親に驚いたようだが、すぐに慣れて懐いた。週末は家族で遊びに行き、今までの空白を取り返そうと彼は必死だった。

半年後、ビルの陰に女性が…

 そんな生活が半年ほど続いたころ、仕事を終えて帰路につこうとするとビルの陰から覗いている女性が見えた。友里さんだった。

「母が死んだのと一言。2度目の脳梗塞に勝てなかったと。前の日まで元気だったのにと友里は小声で話し続けました。妻に連絡して、その日は友里とシティホテルに泊まりました。僕にできることがあれば何でもするよと言ったら、東京でアパートを借りたいと。あなたには迷惑はかけない、アパートさえ借りてくれたら別れるからと。本気で言っているとわかりました」

 ここで別れれば後腐れはない。友里さんが自分に迷惑をかけることは本当にないだろうと思った。だが、そのまま別れる気にはなれなかった。

 さまざまな片付けを終えて、友里さんが上京してきたのは3ヶ月後だった。小さなアパートにおさまるだけの荷物しかなかった。人生をゼロからやり直すのと彼女は言った。

「ハローワークで仕事を探していましたが、なかなかなかったんでしょうね。とりあえずと働き始めたのがスナックでした。そこで彼女の作るつまみが評判になって、いつの間にか人気者になっていました」

「様子がおかしい。浮気でもしてる?」

 会えない日が多くなった。たまに店に行くと、彼女は楽しそうに仕事をしている。自分がいない世界へ羽ばたいていきそうで、章弘さんは焦燥感でいっぱいになった。

「数ヶ月前ですかね、妻が突然、『様子がおかしい。浮気でもしてる?』と言いだして。そんなことあるわけないだろと言ったけど、うまく笑えなかった」

 このままでは自分が潰れてしまう。お願いだから会ってほしいと友里さんに言うと、友里さんは「私が好きなのはあなただけ」と会ってくれる。それでも章弘さんはすぐに不安になって、また連絡をとる。すると友里さんは「そんなにしょっちゅうは会えない。会いたいけど会わないほうがいい」と諭すように言う。

「恋に崩れているのは僕だけで、彼女は立派にひとりで立っている。それがわかるだけに寂しくて悔しくて」

 恋に心を苦しむ若者のように彼は表情を歪めた。ここが別れ時なのは、彼がいちばんよくわかっているのだろう。それなのに態度は裏腹だ。このままだと家庭も彼女も、両方失うのは目に見えている。

「わかってます」

 彼はそう言ってじっとこちらを見た。

「今日、お話したのを機に、彼女に別れようと言うつもりでした」

 だが結局は言えなかったようだ。そしてつい最近、彼から「ここ1ヶ月、自分からは連絡をとっていない。彼女からも連絡はない」とメールが来た。彼女から連絡がないことにプライドを傷つけられているようだが、それでいいのだと思う。彼女のプライドが保たれていればいい。そう思えたら、彼もひとかどの男なのではないだろうか。

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 2度の単身赴任によって生じた、章弘さんの不倫関係。妻の美玲さんとのなれそめと友里さんとの出会いは前編記事【不倫5年目、「もう引き返すべき」とわかってはいるけれど… やはり若い頃に“大恋愛”はしておくべき? 10歳年下に溺れ47歳夫は自己嫌悪中】で紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部