2023年、18年ぶりのリーグ制覇と38年ぶりの日本一という歴史的偉業を成し遂げた阪神タイガース。その最大の勝因は、岡田彰布監督が植え付けた「勝ち方の再現性」にあった。

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 岡田阪神がいかにして持続可能な勝利のモデルを築き上げ、藤川球児・新監督へとバトンを渡していたのか。

 野球評論家・著作家のゴジキ(@godziki_55)氏の著書『マネジメント術で読むプロ野球監督論』(光文社新書)の一部を抜粋して紹介する。

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完成された岡田野球――固定と割り切りの采配学

 オリックスを退任後、10年の時を経て岡田は22年オフに阪神に帰還。すると就任1年目の23年に18年ぶりのリーグ制覇、そして38年ぶりの日本一という歴史的成果を成し遂げた。その背景には、これぞ岡田という「勝ち方の再現性」があった。打者はボールを見極めて四球で出る、投手は四球を出さないという極めてシンプルな原則で攻守の行動基準を統一し、隙のない野球を見せた。突出した個人に依存するのではなく、全員が役割を理解し、守備と走塁で失点の機会を削り、投手が抑えているうちに小刻みに加点する。そして、気づけば勝っている。これぞ岡田が阪神で再構築した「選球と制球」というチーム哲学の帰結だった。出塁と確実性を軸とすることで、持続可能な勝利のモデルを築き上げたことこそ、23年の阪神の勝因である。


岡田彰布 ©文藝春秋

 守備を中心とした野球を実現するために、岡田は中野拓夢を遊撃から二塁にコンバート。空いた遊撃手のポジションは木浪聖也と小幡竜平を競わせた。堅実さを重視した選択は、打撃に不安があっても守れる選手を優先する方針の明示だった。最終的には木浪が定着し、守備だけでなく8番打者として下位打線の要にまで成長した。失策数の減少は数字以上の意味を持つ。投手が安心してゴロを打たせられる環境を整備したことが大きかった。三塁に佐藤輝明、一塁に大山悠輔を据え続け、役割を固定した采配も同じ発想である。打撃の波に左右されず守備の秩序を崩さなかったからこそ、チーム全体の安定感が際立った。

 攻撃面では「見極め」と「前で打つ」という2つの意識改革が行われた。打者には「ポイントを前でとらえる」ことで打球の質を高める指導を行い、同時に「見逃し三振は構わない」「四球は評価される」と明確に示した。球団は査定に四球数を強く反映させる制度まで導入し、文化として「四球を選ぶ」姿勢が根づいた。結果として阪神のチーム四球数は494でリーグトップ、総得点555もリーグ首位となった。本塁打は84本でリーグ5位にとどまったが、四球と単打で塁を賑わせ、適時打で還すことで効率的に得点を積み上げた。

 打順の妙は、森下翔太を3番に置く起用法だ。4番大山、5番佐藤の前に置くことでプレッシャーを軽くする意図が汲み取れる。この森下が試合を通して勝負強さを得たことにより、打線に厚みが増した。さらに恐怖の8番打者木浪がいることで、9番投手の犠打を経て1番近本光司に戻る循環が成立した。これにより、下位打線の出塁がそのまま得点へつながる流れができた。岡田が重視したのは、誰がどの打順に入ってもその役割を理解しやすくすることであり、選手に迷いを生じさせないことだった。

 ベンチワークもこれまでの固定一辺倒ではなく、柔軟さが見えた。開幕カードで代打に送った原口文仁には「速球一点張り」を徹底させ、狙い通り逆転本塁打を引き出した。外野の守備固めでは板山祐太郎を送り込み、ファインプレーを呼び込んだ。采配の意図を問われても「なんとなく代えた」と飄々と語るが、裏には膨大な経験とデータに基づく読みがある。さらに、中心選手の佐藤を、不調時にベンチで声を出していなかったことから、チームの雰囲気を配慮して一時二軍に降格させる決断力も光った。

打率や本塁打に頼らない“再現性のある勝利モデル”の確立

 先発投手の運用では「引っ張る勇気」を見せ、序盤に失点しても慌てて交代させず、5回までは投げさせてリリーフの負担を減らした。かつてのJFK時代とは異なり、令和的にアップデートされた負荷管理によってブルペンの崩壊を防ぎ、長期シーズンを戦い抜いた。投手運用の軸にあったのは「制球ファースト」である。村上頌樹や大竹耕太郎といったコマンドと球質で勝負できる選手を積極的に起用した。坂本誠志郎の冴え渡るリードやフレーミングと配球でストライクゾーンを広げ、坂本のスタメンマスク不敗神話も生まれた期間は象徴的である。リリーフは岩崎優、加治屋蓮、岩貞祐太といった投手を信頼し、四球の多い投手は重要な局面では控えめな起用にする傾向が明確に見られた。投打双方で「四球を嫌う」という文化が貫徹され、全員が同じ判断基準で戦うチームとなった。

 シーズンを通したマネジメントにおいても岡田は原則に忠実だった。雨天順延などが重なり9連戦が発生した際には、先発順やリリーフの登板配分をプラン化して、酷使を避ける形で乗り切った。抑えの復帰直後の起用や不調組の再投入にはリスクもあったが、全体としては大崩れせず、シーズン終盤に11連勝を果たし、最速Vマジック点灯に結びついた。必要な場面で「割り切る」判断を行えることが、長いシーズンを通じた安定感を保証したのである。

 こうして阪神は85勝53敗5分で独走優勝、ライバルの巨人には18勝6敗1分と圧倒した。CSも無敗で突破し、日本シリーズではオリックスとの関西対決に。ここではシーズンで不調だった青柳晃洋を最終戦で抜擢し、湯浅京己を要所で投入するなど、状況に応じた柔軟な判断が光った。加えて、近本・中野の1、2番を軸とした攻撃と、盤石の投手陣を組み合わせ、打率や本塁打に頼らない“再現性ある勝ち筋”を貫いた点も特徴だ。阪神はその試合巧者ぶりとマネジメントの妙で、数字以上にオリックスを上回った。采配・戦術・戦略のすべてが噛み合い、“スマートな勝ち方”で日本一となった。

 岡田は、矢野燿大が辛抱強く水を与えた成長の芽を、最適な配置と哲学で「花」として咲かせた。役割の固定と判断基準の統一によって勝ち筋を実現し、再現性のある勝利モデルを築いたことが、2023年阪神の最大の強みであった。出塁と制球を両輪に据え、得点と失点をともにコントロールする戦い方は、長いシーズンも短期決戦も勝ち抜ける普遍性を持っていた。

聖域なき決断

 阪神史上初の連覇を狙った24年は、“守り勝つ”原則を軸に、接戦を拾いにいく一年だった。最終的には巨人と3・5ゲーム差の2位でレギュラーシーズンを終え、投高打低の色合いが濃いチーム像がはっきりした。

「最少得点を守り切る」とは、裏を返せば攻撃に波があり、ロースコアを是とするゲームメイクが多かったということだ。ただ、攻撃の中心選手の佐藤の失策が目立ち、失点がかさんだ。また、8回の継投準備のミスからの逆転負けという“コミュニケーションのほつれ”も露呈。勝ちパターンの想定と現場の連携が噛み合わなければ一瞬で崩れるという、接戦主義のリスクも浮き彫りになった。

 この年特に目立ったのは“聖域なき決断”だ。主砲・大山の二軍調整、開幕投手・青柳の度重なる再調整、佐藤が不調で二軍降格、さらには森下の再整備と、主力にも容赦なくテコ入れを断行。助っ人ではノイジーも早々に二軍へ送り、低迷を長引かせない姿勢を徹底した。

 投手陣は春先に岩崎とゲラの“ダブル守護神”の構想を示し、勝ちパターン構築に苦心しつつも、桐敷拓馬・石井大智・ゲラで試合終盤を厚くする形に収斂。桐敷は70登板・防御率1点台、岩崎は60登板でセーブを積み上げ、ゲラもセーブとホールドを兼務してブルペンの屋台骨を支えた。

 また、バッテリー運用も興味深い。梅野隆太郎と坂本を相手投手・自軍先発との相性で併用。配球の色やブロッキングの強みを試合ごとに取り分け、最大値を引き出そうとしたことが出場内訳にも表れている。

 ポストシーズンはCSの1stステージでDeNAに連敗して敗退。岡田はこの年限りで退任し、その後はオーナー付顧問に就いた。レギュラーシーズンで積み上げた“守りの完成度”は屈指だが、短期決戦の脆さという課題は残ったままだ。

藤川政権へ引き継がれた遺産

 そして25年は藤川球児新監督の下、阪神は2年ぶりにリーグを制覇した。これは、岡田が残した遺産による部分も大きい。時間をかけて育ててきた選手たち、岡田政権から徹底された「出塁→進塁→還塁」という再現性の高い型、大振りに依存せず、相手の継投や隙を突く戦い方を見せた。

 中でも象徴的だったのが佐藤の覚醒である。矢野政権下で我慢強く主軸に据えられ、岡田の下で打撃・守備・メンタルを徹底的に鍛え直された末に、ついに完成形に近づいた。25年は打率.277、40本塁打、102打点を記録し、OPS.924はリーグトップ。失策数も24年の23からわずか6に激減し、守備での安定が打撃にも好循環をもたらし、MVPに輝いた。

 他の主力も育成の成果を示した。近本は安定して攻撃の口火を切り、昨季不振だった中野も復調。岡田が中軸の一角として育てた森下は存在感を示し、大山も四球と打点を両立し、打線を“線”としてつなげた。打低環境下で.270〜.280台の打率や2桁本塁打、60〜70打点級の選手が複数いること自体が、層の厚みを証明している。23、24年に85を数えた失策は、56へと大幅減少した。

 そして投手陣に目をやると、才木浩人と村上頌樹のエース級に加えてデュプランティエ、伊藤将司、大竹耕太郎らもゲームメイク能力を発揮し、厚みあるローテーションを形成した。リリーフ陣は異次元の安定感を誇り、石井大智が歴史的な活躍を見せ、防御率は脅威の0.17。及川雅貴は防御率0.87。守護神の岩崎優も安定感を見せた。被本塁打53、与四球13と「失点リスクの二大源泉」を抑えることができたのは、投手出身の藤川球児がリリーフ専任コーチとして関わったことも一因だろう。

 まさに、岡田が育て上げた成果をうまく刈り取った形であり、育成と采配の継承によってチーム力の完成度を高めたシーズンだったといえる。

「監督の責任なので申し訳ない気持ちでいっぱいです」歯車が狂った局面では判断が半歩遅い…広島東洋カープが体感した“采配”における“2つの課題”〉へ続く

(ゴジキ/Webオリジナル(外部転載))