撮影・内外タイムス

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沖縄でスカウトされた羽賀は、上京後、路上パフォーマンス集団「劇男零心会」に所属する。同時期には哀川翔、柳葉敏郎らがスターを目指して渋谷を中心に活動していた。羽賀は「いいとも青年隊」に抜擢されたことを皮切りに、俳優や声優業と幅広く活躍。順風満帆の芸能生活だったが、逮捕により一転する。後編では出所後の沖縄での生活や、芸能界への思いについて語った。

羽賀研二単独インタビュー(前編)4度の逮捕から沖縄で再起を誓う 芸能界にへばりつく64歳 から続く

パリコレでランウェイに挑戦

――現在のお仕事の具体的な業種はどのようなものになりますか?

羽賀 一つは、和菓子を沖縄のデパートなどで出しています。京都のおいしいお団子や大福、わらび餅、チップスとか50、60種類になります。最近はクッキーやケーキといった洋物も取り扱うようになりました。2週間出した後、2週間引っ込んでという感じで、それが2カ所ぐらいあるので、毎日どこかには出しているといった具合です。

それと、沖縄の軍の中でのアパレルですね。洋服を販売したり、軍の中の仕事を会社でやらせてもらったりしています。あとは自分の持っている不動産やお店を管理する会社ですね。従業員は和菓子をやってるところで十数人、韓国料理屋さんで7人、建物の管理会社が3人なので、全部で20人ぐらいの従業員が一生懸命、頑張ってくれています。

新しく考えている事業は芸能活動になるのですが、実は僕、去年10月に初めてフランスに行ってパリコレ(パリ・コレクション)にトライしたんです。パリに行ってオーディションを受けて、初めてランウェイをさせていただいた。今年の3月にも、また歩いたんです。

パリコレをきっかけに、歩きのレッスンを受けに行ったんです。ただ単に歩くのではなく、ポップに歩くとか、無表情でシンプルに歩くとか、歩きにもいろいろなパターンがあることを知って、奥が深いなって。もっと極めたいという探求心から、スクールを持って自分が感じた感動を一人でも多くの人に伝えていけたらと思うようになったんです。日本からパリコレで活躍できる次世代のスターを生み出せたらいいなと。

60歳を過ぎた僕が、しかもいろいろ問題を起こして傷だらけで、絶対無理だろうと思ったんです。でも、挑戦してみて、コネのない世界だからデザイナーが気に入ればショーに出られるけど、どんなに自信があってもデザイナーが「ノー」と言えば落ちる。どんな売れっ子モデルでもオーディションに行って、ランウェイをする前には必ず審査を受けるわけです。「イエス」「ノー」の厳しい世界なんですよ。

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「事件のことは触れないでほしい」

羽賀 僕は行く時、怖かったです。「ダメだったらどうしよう」「落ちたら超恥ずかしい」と思ったけれど、今は「僕がやれたんだよ。だからあなたにもできる」っていうことを強く言いたい。この経験から次のスターを生み出せればと、全国でウォーキングスクールをやりたいと思ったんです。「リバティウォーキング」という会社を立ち上げて、東京、沖縄、大阪、名古屋、福岡、北海道と全国に増やしていこうと考えています。

立ち上げは春くらいからで、まず東京が決まっていて、大阪、名古屋もほぼ決まりました。僕も月に1回は各スクールを回ろうと思っています。僕にも先生がいるのでその先生から教わりながら、一人でも多くの人に未来の足掛かりを提供できたらいいなと。日本から世界で活躍できる男性、女性のかっこいいモデルを育成して、そこからモデルを続けてもいいし、俳優になってもいい。僕がパリに行き、コネクションを作って、いろいろなデザイナーと仲良くなることで、何かきっかけ作りができたらなと考えています。

僕がもう一つ思っていることは、今回のインタビューも本当に感謝していますが、やっぱり事件のことは触れないでほしい。取材をする側からしたらそこを触れないと、今の羽賀研二は(メディアへの露出は)厳しいっていうこともよく分かっているんです。

――自分を傷だらけだと話されていましたが、何度失敗しても諦めない姿勢は共感を呼ぶのでは?

羽賀 どこかで読んだ本から引用するわけではないのですが、人生には「上り坂」「下り坂」があって、「まさか」っていうのがあって、僕はそのまさかをしてしまって。悪気はなく、でもそうなってしまうことが人生には本当にあって。でも、僕は日本を批判するわけでも、組織を批判するわけでもないんです。僕にはそんなレベルの脳みそはないし、地位にもいないので、批判ではないです。

人の責任ではない、すべて自分がいて起こり得たことなので。人生には多かれ、少なかれ、必ずミスをすることがあります。それが僕の場合には犯罪になってしまった。周りから批判される結果になってしまい、それが一度でなく、二度、三度あった。それで失ってしまったものがあまりにも大きかった。

でも、一つだけ褒められることではないけれど、僕は諦めなかったんです。「何クソ、この野郎」と思ったわけではない、反省がなかったわけではない。反省があったからこそ、前に進めました。では、なぜ諦めなかったかと問われれば、諦めることができなかったから。助けてくれたり、支えてくれた仲間、仕事のパートナー、家族、そういった人たちが自分の中にいたので諦めるわけにはいかなかった。悔しかったから「じゃあもう一回、絶対に立ち直ってやろう。立ち上がってやろう」って思ったんです。だから、みんなにも「諦めないで頑張って」っていうことを僕は言いたい。

七転び八起きを体現した人生

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――SNSを発信して視聴者、閲覧者からの反応は?

羽賀 ひどいコメントもいっぱい寄せられます。「消えろ」「また出てんのか」「何回目?」とか、本当に読みたくなくなります。でも、僕は読むんです。読んで、「確かにそうだよね。僕が逆の立場でもそう思うよね」って。

では、何ができるのか。僕はこれからじゃないかって思うんです。今から何かをやればいい。成し遂げられるかどうかは分からないけれど、とにかく何かをもう一回やることができたらなと。これまでのことを消しゴムで消すことはできない。僕はお手本になれるようなレベルの人間ではないけれど、本当に苦しんでいる人、つまずいてもう立ち上がることができない人たちに、少しでも勇気を与えられたらって思っています。

「あいつがやれるんだから、俺もちょっとやってみようかな」「俺の方がまだマシだな」「地獄にいた人間がここまでまた這い上がってきてるんだ」とか笑ってもらえるだけでも、僕のことを見てくれたんだって認識できてうれしい。

――これまで紆余曲折の半生でしたが、好きな言葉やポリシーなどは?

羽賀 僕の弟分からよく言われるんですが、研さんは「七転び八起き」じゃないですかって。転んでそれを売りにしてるわけじゃないし、決して趣味でもありませんからね。一番嫌なことなんですが、まあ自分を信じるっていう意味にも取れますからね。僕は「自分を信じる」という言葉が好きですし、「七転び八起き」も「諦めない」っていう言葉も大好き。ついこの間も皆さんをお騒がせすることがあったので、応援してくれている人に対して本当に申し訳なかったです。自分をとにかく信じて頑張ろうという気持ちです。

一つのことですべてを失って、どうにもならないと思っている人は、本当に諦めないでほしい。諦める必要はないんです。何をやっても食べていけますから。100万円の生活をしていて10万円の生活になったら確かにつらい。でも、また10万円を15万円にすればいい。15万円の生活を20万円にすればいいんです。諦めなければ食べていけるんです。

「俺もいなくなった方がいいのかな。死んじゃった方がいいのかな」と思う人もいます。そんなつまらないことを考えるくらいだったら、頑張った方がいい。僕は塀の中に入っていて、出所した時は生活することが大変で、きつかった。1泊1200円の民泊に1年間いました。恥ずかしいことで今、初めて言います。

芸能界には「未練たらたら」

羽賀 豚丼屋で5カ月前後、時給900円で働いていました。なぜ豚丼屋に行ったのかというと、僕には手に職がなかったから。18歳でスカウトされて、特技はバスケット、人より体が頑丈なことくらいが取りえ。どうしようかと考えた時、手に職をつけるには調理人になるのがベストだと。本当に当時は豚丼の作り方を覚えたら、豚丼屋ができると思っていたんです。

でも、やっぱり自分の頭の中から18歳の頃からやっていた芸能界っていうものが離れなくて、未練たらたらでした。その頃、知人のお店の開店祝いに行った時にたまたま出会ったのがティックトッカーのおりさちゃんでした。50万人ぐらいフォロワーのいる売れっ子で、おりさちゃんから「羽賀さん、SNSやったらいいのに」って勧められたんです。自分はものすごいアナログ人間ですが、後輩に教わりながらインスタをはじめ、そこからTikTok、YouTubeをやり、コツコツ続けて今やっと数万人ぐらいのフォロワーになってきました。

東宝映画でトップアイドルの相手役や、世界のディズニーの「アラジン」の声をやらせていただいた人間が、本当に皆さんに申し訳ないようなレベルまで落ちてしまって。それなのに、突然また皆さんにご迷惑かけるような飛んだ事件になってしまって。本当に恥ずかしいことの繰り返しです。でも、また一歩踏み出して頑張ろうと思っています。

――今後の活動について。

羽賀 僕はパリコレにトライして、ランウェイができました。そこから株式会社リバティウォーキングという会社を設立して、もうすぐホームページができるので皆さんにも徐々に知っていただけると思います。全国でウォーキングスクールを展開して、パリコレで活躍できる明日のスターをプロデュースしていけたらと本気で思っています。

プロダクションを作るというおこがましい考えは一切なくて、自分の持っているノウハウを伝授してあげたいという思いからです。素敵な人間をモデルとして活躍できるように送り出してあげたい。またこれからも頑張りますので応援してください。

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《プロフィール》
羽賀研二(はが・けんじ)タレント、実業家。1961年生まれ、沖縄県出身。高校卒業後に上京し、路上パフォーマンス集団「劇男零心会」に所属。1981年のミュージカル「ザ・ファンタスティックス」で芸能界デビュー。1982年「森田一義アワー 笑っていいとも!」の初代いいとも青年隊に選ばれる。2007年に知人男性に未公開株を知人に高価で売りつけた詐欺と恐喝未遂の容疑で最初の逮捕、懲役6年の実刑が確定し、沖縄刑務所に服役した。2019年には不動産の一部を元妻に譲渡し、これが偽装離婚による財産隠しとみなされ強制執行妨害容疑で逮捕。2020年に強制執行妨害の罪で懲役1年2カ月が確定し、再び同刑務所に服役した。