この記事は以下の動画を基に、動画投稿者の承諾を得た上で、AIライターが執筆しております

YouTubeチャンネル「江戸ざんまい」が公開した動画「【家族にも内緒で…】江戸っ子が熱狂した『抜け参り』の危険すぎる魅力とは?」では、江戸時代の庶民の旅行、とりわけ伊勢神宮への「お伊勢参り」の背景と、それを支えた仕組みを解説している。

動画は、現代に国内旅行が一般化した時期に触れつつ、庶民が本格的に旅に出られるようになったのは江戸時代からだと述べる。当時の定番の旅行先はお伊勢参りで、交通手段は徒歩が基本だった。江戸から伊勢まで片道約15日を要する長旅で、時間と労力が必要だったという。

庶民がお伊勢参りに行けるようになった要因として、徳川家康の天下統一による治安の安定が挙げられる。さらに、江戸日本橋を起点とする五街道(東海道・中山道など)の整備により、道中の宿場町も充実した。これにより長旅の負担が軽減されたと説明する。旅費については「伊勢講」という積立の仕組みが紹介される。村などの共同体単位で資金を積み立て、代表者が参拝する方式である。また、伊勢神宮の御師(おし)が各地で参拝を勧め、宿泊や案内を担うなど、現在の旅行会社に近い役割を果たしていた点にも触れている。

制度が整っても、当時の旅行には高いハードルがあった。藩を越える際には往来手形(通行許可証)が必要で、住所や氏名、目的(公用、冠婚葬祭など)、さらに旅の途中で力尽きた場合の取り扱いまで記して役所に申告したという。関所ではとくに「鉄砲」と「女性」への検閲が厳しかった。これは反乱防止と、江戸在住の藩主の妻らの無断出国を防ぐ「入鉄砲出女(いりでっぽう・でおんな)」の取締りによるものだと述べている。

こうした制約のなかで広まったのが「抜け参り」だ。これは家族や勤め先に知らせず、こっそりお伊勢参りに行くことを指す。当時は「お伊勢参りは善行」とする風潮があり、雇用主も「きっとお伊勢参りに行ったのだろう」と考えて帰りを待つことがあったという。戻ってきた人を叱るのではなく、無事を喜んだという説明だ。旅費や往来手形を持たない抜け参りの人々は、道中で人々からの「施行(せぎょう:巡礼者などへの施し)」に助けられた。施す側も「徳を積む」と信じていたとされる。抜け参りの目印は柄杓(ひしゃく)で、これを持つことで関所で大目に見られ、道中でも施しを受けやすかったという。お伊勢参りがとくに流行した「おかげ年」には、半年で460万人が参拝し、当時の日本人の6人に1人が伊勢を訪れたとされる。現在の人口に換算すると約2,100万人に相当するという。

病気などで主人が参拝できない場合、「おかげ犬」と呼ばれる犬が代参する例も紹介される。犬の首に締め縄を付け、道中費用や趣旨を記したメモを入れた袋を持たせ、人々の施行によって伊勢神宮に到着し、お札を受け取って戻ることで代参を果たしたという。

以上の説明から、動画は江戸時代の人々の「おおらかさや優しさ」に光を当てる。旅の途上で困っている人や動物を助ける行為が徳につながるという考え方があり、旅は「人との出会いこそが魅力」で、人を成長させる契機になるとまとめている。

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